森岡 周のブログ

脳の講座や講演スケジュールなど・・・

揺れ動く身体

2008年06月16日 23時45分45秒 | 過去ログ

金曜日は岡山で講義をした後、
土曜日に倉敷へ移動。
1月に川崎医大に来て以来だが、
倉敷駅に降り立ったのは実に何年ぶりだろう。
もう記憶がない。



久しぶりにチボリ公園の入り口を見た。
もう何年も中には入っていない。
コペンハーゲンのチボリ公園にも。
コペンハーゲンのチボリは中に飲み屋があった「雑」な、
自己中心的な記憶はいつもよみがえる。
差異を生み出しているのだろう。
意識とはそういうもだ。

倉敷平成病院の講義では、
運動制御、運動学習機構を中心に1日目は進めた。
久しぶりに脳のネットワーク理論を持ち出し、
見えない層における情報変換システムを話した。
久しぶりだと新鮮である。
また、強化学習、教師あり、教師なりの学習理論のモジュール構造、
そして、それらが環境に応じてダイナミックに起こり、
最終的には大脳皮質で「自己組織化」を起こし、
行為がダイナミックに創発する、非線形構造について
話した。

難しい理論だが、ある程度、比喩を持ち出し、話したので、
解釈しやすかったのではないだろうか。
しかし、その比喩は私の解釈脳であり、
そうとはとらえることができない記述もあったと思う。
実に脳は面白い。
解釈脳がつきまとい、それは自己組織化を起こしてしまう。
経験による学習構造には大きな間違いが起こっている可能性がある。

片麻痺の非麻痺側強化システムも、その自己組織化のために、
非対称的現象が出現してしまうのだろう。
生きるために、そうしているのだろう。
そうなれば、シナプス結合を変えるための、
大きな「経験」が必要だが、
脳は自らの来歴を信じる傾向がある。

知覚の欠損よりも欠損の知覚を信じてしまうのだ。
それは豊かに生きていくための脳ではなく、
たくましく生きていくための脳だ。
自らの身体をneglectしてしまう脳の可塑性は、
たくましく、自分中心に生きていくための、
脳のネットワーク。
そのネットワークは、環境に応じて、
多様性を生み出し、選択性を生み出す、新たなネットワークに悪影響を及ぼしてしまう。
脳は柔軟な器官だから、とてもデリケートだし、
そして、そのパラドックスとして、とても強情だ。



倉敷美観地区での懇親会では、
その風情から、少々飲みすぎた。
「情動」とういうものが、微妙な脳の変化をつくり、
行為のシステムに影響してしまう。



翌日は、「認知神経リハビリテーション」の理論を
「行為の認知的制御」の視点から話し、
介入手続きを考えた。

出力が増えれば、脳の感受性(入力)は落ちる。
無理やり、出力を上げさせないことだ。
シナプス可塑性のためには強大な出力が必要といわれるが、
無駄な結合を増やしてしまえば、後々やっかいになることもある。
シナジーとしての行為のみの期待で、
ストラテジーとしての行為を期待しなければそれでよいのだが、
QOLを目指すのならば、環境と相互作用する身体を作らないといけない。
シナジーのみのシナプス強化であれば、
どんどん「負荷」すれば、関節運動の自由度解放のない「身体」を組織化してしまう可能性がある。
それでよければ、それでよい。
だが、それではリハビリテーションには未来がない。
いままでとまったく変わらないのだから。

間は奥埜君に症例検討してもらった。
差異を感じてもらいたい。
その差異から討論が生まれる。
差異がなければ、同一であれば、
リハビリテーションは意識のない無機的な固形物体となってしまう。
違いがあることは、実にすばらしい。
「そうは思えない」と理論を構築することは実に面白い。
そして、自らが属する「機関」にあっても、「組織」であっても、
そういう差異が生まれることが、両方の情報化となり、
双方向性ネットワークがうまれるはずだ。
この議論についてくることができればだが。
そうでなければ、「勝ち組」ニューロンと「負け組」ニューロンとなり、
勝者が決まってしまう。

社会のシステムと脳のシステムは実に等価だ。

最後に「共同注意」が学習を創る。
その科学性について話した。

行為のダイナミクス。
それには地道な経験が必要だ。

本気で、そして、できれば「学際的」に勉強をする。
それをすれば、自らの「心」にも創発を感じるはずだ。
神経ネットワークはそのためにある。
その瞬間に出会うと、生きていく楽しみになる。
それまでは、「わからない」ことだらけだ。
子どもの行為の連続は、その瞬間瞬間の連続なんだろう。

帰り際に、備前焼をいただいた。




今回は倉敷平成病院の皆様によくしていただきました。
あたたかい、そして、情熱的な心に、リハビリテーションのともし火を感じた。

津田科長、そして、声をかけていただいた戸田先生に感謝します。

しかし、今日は体にムチを入れて、
ゆれながら原稿を書いた。

率直に「無理している」ような感じがある。

新幹線は本当に「無」になるか、「揺れ」を不快に感じているかどっちかだ。

明日より、高知の実習地訪問&高校訪問です。
帰り、研究室のメンバーのOT学会発表の援助のために、
長崎に飛ぶ予定。

マインドが大人になるとき

2008年06月12日 23時16分59秒 | 過去ログ
ここ数日間、ブログをUPできなかった。
まるっきり時間がなかったわけではないが、
深夜あるいは朝にそれをすることはできなかったということになろうか。
「ムチ」を入れて書くこともないだろうという判断である。

しかし、その鮮明な記憶のうちに、
再度、一日を組織化するためのブログ打ちがないのはよくないと思った。
synergy後色んな人たちとも出会い、
もちろん、授業も行い、
そこには自己批評(反省)も行っていたが、
その意識をより鮮明に顕在化していく作業にブログは役立つ。

記憶とは本当に残りづらいもので、
そこに感情を注入するこの作業おいて、
今までの経験(内部モデル)から、それを自己組織化することに意味をもつ。
子どもの発達が単に教師なし、教師あり、強化という3層でわかれていなく、
それらがダイナミックに環境に応じながらモジュール同士が相互作用することで、
次のステージへ突然進む。

それは「言語化」していくことで、
脳のなかで組織化されていく。


昨週までに1章分を仕上げておこうと思ったが、
体と相談しながらそのフィニッシュは昨日になった。
もう1章分を今日からスタートした。

授業、会議と本業の傍ら、もちろん研究も本業なのだが、
それをして、
今は毎日来る大学院生のアジア理学療法学会の抄録の修正だ。

自分はエントリーしなかった。
M2のうち、7名が発表する。
まだ仕上がっていない抄録が2本ほどある。
明日だな。

自分はもう1999年のWCPT以来日本で行う国際学会にはエントリーしていない(しない)。
もちろん毎年国際学会にはエントリーはしているのだが、
日本で英語を使うのがどうも抵抗がある。
合理的でいいという人がいるが、
僕はその「合理的」にどうも親しめないのだろう。

外国に行って、からだに体験を植えつける。
その知覚‐行為の円環がやはり好きだ。

予測を若干超え続ける。
この知覚を常に作りたい。

そうすれば、自己成長に常につながる。


世の中の流れは、それを止め、
合理的な、どこに行っても「同じ」世界を作りたがる。

マトリョーシカ人形みたいな「県学会」

ファミレス的「地方学会」、ファミレス的「病院」

どこでも同じサービス。


それが安楽なのだが。


身体の安楽、思考の安楽は


必ず「こころ」の安楽をつくる。


そうすれば、「違う」意識に出会ったときに、

必ず、攻撃するかネグレクトする、あるいは、「枠組み」をつくる。

その枠組みは「相容れない」ものであり、

近年の日本のひずみ、世界のひずみを作ってしまう。

きれいな世界は目に見える世界ではない。
雑草があつまり「田舎」のきれいな風景をつくる。
都市部の屋上の作られた緑は、
一見整備された「きれいな」風景かもしれないが、
無機的で人工的なものである。

有機的で凸凹なこころを持った人間のオアシスにはなりえない。

凸凹を知らない世代は、
凸凹な意識に出会うと、とたん狂う。

学校で習ったことの無い凸凹、
学校の先生とは違う意識の凸凹、
そして、自分とは違う意識の凸凹、

それに出会って瞬間、
閉じた自分の心のなかでしか生きられなくなる。

人間のこころは違って当然。
脳の神経細胞は宇宙に匹敵する。
さらに空間のみならず、人の意識は時間で刻々に変化している。
同じときなんかはない。

違うことを知ること。
まずはそこから始まる。

そして、違ったことから、
自らの内部モデルを更新していく。

それが学習だし、成長だ。

内部モデルを更新できず、
ず~と同じ自己意識のままいると、
それは殻に閉じこもった「有機的」に活動できない身体となってしまう。

心が身体化される瞬間だ。

そうすれば、心的イメージが浮かばない。

ならば、帰ってくるフィードバックに一喜一憂し、
それが痛みにかわる(心も体も)。

まさに、実習で苦労している人間たちは、
それに出会っている。


「違って当然」


その意識に出会うことによって、やっと心が成人になるのである。


それは天寿を全うするときかもしれないが、
それに近づこうとするのが人間なのかもしれない。


まだまだ、学生に「イラっ」ときたりする自分は、
そこに到達してはいない。



「借り物」では「こころ」は生きていけない

2008年06月09日 23時58分47秒 | 過去ログ
一昨日は岡山で講義を終えたのち、
新幹線に乗り、福岡へ。
大学院生の信迫君と新幹線内で会い、
博多駅まで。
講演内容のチェックをしようと思ったが、
乗り物酔いとなる。
視覚‐前庭感覚の不一致による自律神経系への波及を恨む。

土曜日はsynergyの面々と懇親会。



懇親会ならではの相互作用が起こる。
男性ばかりの熱い討議に「まじめ」なディスカスになり、
創発した現象もあったと思う。



翌日はsynergyで講演する。
会場の和白リハは相変わらず、おしゃれだ。
マチスの絵が花をさかせる。




運動器疾患のリハビリテーションになぜ「神経科学」の知見が必要かという視点で話した。
「運動制御」「運動学習」、そして、「痛み」という3本柱で話したが、
その一貫性に気づいてもらえただろうか。

午後は院生のノブサコ君の講演。
150人を前に講演体験は始めてと思い、
自己モニタリングに難渋していたが、
いつかリベンジできるよ。
自分自身にね。
臨床の視点の転換はある程度はその目的を達成できたと思う。

「ギコギコ」足を曲げる時代は、
もう息の根をとめないといけない。

その後、田中創先生に送ってもらい、
そして、「陶器」までいただき、本当に感謝しています。
このような「こころ」は率直にうれしい。
「芸術」とはきわめて「こころ」を喚起させうる。





彼は「信念」をもった若き戦士。
理学療法業界もそのようなともし火を消さぬように。
「change」
自分のことを守ることしか考えないと、
それは今の「理学療法」を守るためにすぎない。
それでは、「回帰」するだけだ。

そして、自己の信じるもの(こと)を貫き、
それを説得していくために(仮説を検証するために)、
せめてせめて(学んで学んで)いくしかないのだ。

「借り物」でしかない研究や臨床は、自分を埋没させてしまう。

自分の「思考」を鍛えることだ。

Synergyのメンバーは久しぶりに「頼もしかった」。


もっといろいろ書きたかったが、
完全に仕事のスケジュールが崩壊してしまっている。

無理がきかない身体となりつつある。

「時間」がもっとも大切になった。

「時間」を買えるものなら買いたいものだ。

今日はRockの日らしい。

大音響を出したい気分だ、皮質と辺縁系が双方向に行きあっている。


あ、水池先生 thanks! Mr. Shigemoriも!


ロマンティック・リハビリテーション

2008年06月05日 23時44分16秒 | 過去ログ
大西成明写真集
ロマンティック・リハビリテーション

ISBN 978-4-270-00363-3
A4変形判 184頁 6月下旬刊行予定
予価 2,940円(税込)


フォトドキュメント『病院の時代』(99年週間現代ドキュメント写真大賞,講談社出版文化賞受賞)を撮った写真家が,リハビリテーションの20の現場を凝視する
「夢みる力」のフォトドキュメント!
今という時代の希望の姿を鮮やかに描き出す20の物語


〔収録内容〕
音楽が生かしてくれた命(館野泉さん)
壊れた脳とともに生きる(山田規畝子さん)
わが心,慰めかねつ(多田富雄さん)
この子たちの知性が私の腕の中に降りてくる(人見眞理さんと子どもたち)
わたしのからだをさがして(小川奈々さんと中里瑠美子さん)
詩が「もっと生きろ」とつぶやいた(須藤洋平さん)
遊びをせんとや生まれけむ(金沢大学附属病院精神科作業療法室)
身体は世界とのきずな(孟仁会・摂南総合病院)
医療への愛(大道会・森之宮病院)
明日はきっと本当の路上に(神奈川リハビリテーション病院の運転シミュレータ)
氷上の格闘技に燃える(東京アイスバーンズ)
道具に命を吹き込む(中村ブレイス)
変えられるものは,変えていく勇気を(沖繩ダルク・リハビリテーションセンター)
語りあう,伝えあう(平澤哲哉さん)
タッチしてごらん,ハグしてごらん(藤井輝明さん)
ロマンティック・サイエンスからの出発(森岡 周さん)
「病院」に五感の世界を取り戻したい(内藤久幹さん)
移りゆく命を舞いながら(田中利男さん,佐藤忠吉さん,石橋典子さん,桑原博子さん)
馬を命の使者として(NPO法人インフォメーション・センター)
再生への巡礼(玉川温泉の岩盤浴)




知的好奇心

2008年06月05日 22時50分03秒 | 過去ログ
昨日は「発達脳科学」の授業にて、
ホムンクルス、そして錯覚問題を取り上げた。
教育学部とデザイン学科の学生のため、
難解さは否めなかったが、
それについて興味を持ってもらった学生もいたようだ。

今後取り上げたい科学としては、
みなさんから9つぐらい課題をいただいた。
調べたいものだ、「一目ぼれの脳」も。

岐阜から河村、吉田の両氏がゼミでの発表のために大学に来た。
19時40分より大学院の授業(ゼミ)。
まずは、河村君が、運動機能回復を取り上げ、
可塑性の視点、そして、半球間抑制の視点から述べた。

生理研ではある問題が取りあげられてた。

本研究室でも半球間抑制が、機能回復に影響を与えるという根拠を
臨床データでリサーチを始めたので、ぜひともここ数年で、
何でもかんでも運動負荷し脳を活性化させるのに苦言を呈したいものだ。
同側の領域の活性化は本当にいいのかの議論を、
脳の活動だけでなく、身体運動からも捉えていきたいものだ。
非麻痺側強化一辺倒の時代は最近の神経科学研究を読めば終わったのかな。
ブレークスルー的示唆に富む研究に期待する。

「刺激」の強度は、「情報」の難易にも影響する。
「情報化」できなければ、それは「身体知覚」できなく、
反射的に運動あるいは周期的に運動を出現させる身体システムに切り替わる可能性がある。
それでは、多様性は生まれない。

ついで、吉田君はUSNの研究の経緯を壮大なプレゼンで示した。
Brainの記述から始まり、
USNの解釈がapraxiaに比べ、右へ左へといっている現状が良く分かった。
とにかく、まずは、レビューを仕上げ、
何がわかっていて、何がわかっていないかを浮き彫りにしないといけない。
USNは検査バッテリー至上主義的であり、
それでは、セラピストの意識は
周辺的症状ばかりに目が向けられてしまう。



その後、熊谷さんによって、mental rotationの2007年の論文が取り上げられた。
色んな研究が出ているが、
やはり、rapid なレポートは方法論に幾多の問題が残る。
Mental rotationを何の感覚様相に基づいて制御しているかで、
働く場所は大きく変わるであろう。
また、今はその判断をキータッチなどで行っているが、
その判断を下したのがmental rotationである保障はなく、
空間的な情報処理でなく、形態的なゲシュタルト的判断で正否を判断するのであれば、
Rotationさせずとも回答可能である。

22時までに終わり、
少し猶予をいただいて、帰宅した。

今日は、会議以外は、研究時間なので、
一気に書き進めた。

間に2年生の発達系の科目の質問が10名ほどあって研究室に来たが、
みんな「用語」に体当たりしてよい、

今は「自己組織化」そして「生態学的視点」を久しぶりに読み漁っているが、
脳科学を勉強する前は、もっぱら生態学的視点の大きく影響を受けていたので、
行為・知覚と環境のダイナミクスの知識はあったと思ったが、
解釈がだいぶぶれていたことが判明した。
脳科学を経由すると、色んな考えが沸き立つ。
Kelsoらのシナジェティクスによる周期運動の考え方も、
知覚できないと周期運動になってしまう視点がよくわかり、
それは「情報化」に由来するのではないかと考えた。
速度が上がれば、「情報化」できない。
ただし、それをやめることは「自由意志」からできる。
中枢神経系がまったく運動に関与しないわけでない。
しかし、「知覚できない」という現象は大変面白い。

久しぶりにKelsoの原著やBernsteinの原著、Thelenの原著を出してきた。

書き始める前は「情動系」が喚起され、
勉強というものは本当に億劫なのだが、
それをあるラインから超えると、
「知的好奇心」がべき関数的に増幅する。

発達・学習が非線形システムであることが、
自らにおいてもよくわかる。

自らが自らの手で「最近接領域」に向かわせる、
まさに「自己組織化」の醍醐味はここにある。

芸術家・舞踏家・ダンサー(たとえば吉田都や坂東玉三郎)の身体とは何か?
それを知りたい。
バレエとはスポーツでなく芸術である。
それは精神と肉体の両者の一致が求められ、
過酷な身体表現でもある。
スポーツとは大いに違うことを、
言語表出から感じることが多い。
近所の先生も「意識」「身体」「イメージ」を大事にする。

脳から離れるわけでないが、
それが一人歩きし始めたので、

もう一度、勉強を開始した原点、
脳-身体‐環境のダイナミクスに向かおうと思う。

それを乗り越えることが、
脳賦活一辺倒の視点を変えられるかもしれない。
これが、何でもかんでも生態学的視点(環境視点)を重視する者とも違うような感じがしてきた。

明日は岡山で講義、明後日福岡入りする。

しかし、いくつかのブログ(1) 、 (2)で工作されているようだ(すみません、リンクしてしまって、消さないでね・・・)。

うれしい限りです。
本当にありがとうございます。
もちろん、作っていただいたすべての人に。


うちの学生はあまりしていないようだが・・・

そのプロセスに脳と身体の秘密が隠されているとは知らずに・・・




2008年度 卒業研究ゼミ生 テーマ

2008年06月04日 08時38分34秒 | 過去ログ
脳と運動制御

久保侑平:物品使用に関連する視覚的注意機構に関する研究
初瀬川弘樹:修飾的言語が物体把持力に及ぼす影響
田中慶一:筋疲労時における中枢神経機構
中辻維都子:姿勢制御機構に影響を及ぼす筋感覚的力量調整に関する研究

脳と運動学習

尾川達也:運動学習は練習時間に依存するのか?
田津原祐介:運動学習における左右肢の交差性運動転移の検討
新熊重信:運動休息時における運動イメージ練習の効果検証
大村 豊:外界からの聴覚刺激による作業効率影響時の神経科学的基盤

脳とコミュニケーション

中山朋子:言語と声の抑揚の矛盾が感情の類推に及ぼす影響
大森陽介:心的イメージが情動的表情知覚に及ぼす影響


ここ3ヶ月あたりの論文

2008年06月04日 08時33分05秒 | 過去ログ
以下の原著論文が掲載されました.
研究室ページUP前に報告します.

Akira Ochi, Shu Morioka, Yasunori Kataoka, Hidetoshi Tabaoka. Stroke patient’s perception of an inclined sitting support surface: a comparison between visual and perceptive inputs. J Phs Ther Sci 20: 44-49.2008

Shu Morioka, Wakako Sakamoto, Atsushi Matsuo. Increased activation of prefrontal cortex in playing cards by the presence of others. Bulletin of Kio University 7 :7-12. 2008

越智 亮・太場岡英利・片岡保憲・森岡 周. 足底面摩擦特性の違いが立位外乱時の下腿筋活動とその適応戦略に及ぼす影響. 理学療法科学 23:47-53.2008

上田知世恵・森岡 周. 慢性腰痛者における体幹運動の誤認角度と脳活動~fNIRS研究~.認知運動療法研究 7:99- 106. 2008

西谷圭人・森岡 周. 物品使用時における言語教示の違いが対象への視覚的注意に及ぼす影響. 認知運動療法研究7:107-114. 2008

山田 実・杉村修平・森岡 周. 手指運動による弁別課題が脳血流量に及ぼす影響. 理学療法科学 23: 261-265. 2008

宮本謙三・竹林秀晃・滝本幸治・井上佳和・宅間 豊・宮本祥子・岡部孝生・森岡 周・八木文雄. 加齢による敏捷性機能の変化過程. 理学療法学 35: 35- 41. 2008

冷水 誠・松尾 篤・森岡 周・庄本康治・笠原伸幸・嶋田智明. 脳卒中患者における座位および立位姿勢の違いが語想起課題遂行能力に及ぼす影響. 理学療法学 35: 62-64, 2008