森岡 周のブログ

脳の講座や講演スケジュールなど・・・

「何ができるかではなく、何が知りたいか」の論

2008年06月03日 23時30分10秒 | 過去ログ
火曜日はいつものように授業が3つ。
今日は朝、身体が起きずに大変だったが、
授業はある意味、運動なので、終わると疲労は起こるが、
昨日の原稿書きのときのような「疲労」ではない。
質が違う。
感覚質というべきか、情動質というべきか。

3回生が卒論ゼミで悩んでいるようだが、
「何ができるか(したいか)」というよりは、
「何を知りたいか」で動くべきだ。

Outputばかりだと、達成感のみが強調され、
本末転倒だ。
研究とは、「知る」という過程。
機器があるから、これができるのではなく、
何を知りたいから、この機器が必要、この機器を開発改良、
あるいは、他の機関で行わなければならない、といった戦略を意識する。
よき研究者は「知りたい」という願望が強い。
それは、「発表したい」とは違う。

とにかく、「何を知りたいのか」、それを「知るため」に、
その研究室がベターなのかで決断してもらいものだ。
「できる」ことより、「わかる」過程を重要視すること。
Input に基づく高度な情報処理(統合機構)がまさに研究の醍醐味だ。
それには、経験と記憶のダンスが必要だ。

リハビリ(PTやOT,ST)の世界の研究は、
研究の思考のプロセスを若干間違えている人もいるようだ。
Knowledge!

本日、来年の東京での日本理学療法学術大会への依頼が来た。
「ニューロサイエンスとニューロリハビリテーション」はまさに時代の船である。
「理学療法」が神経障害、運動器障害問わず、「ニューロリハビリテーション」へ進化することを切に願うとともに、
今までの歴史的背景を肯定するだけの「研究」、
まさに先の「ただやる」といった研究にならないよう、
たずなを引き締め、襟をただし、
パラダイム転換のために、
生涯をかけて邁進していかないといけないものだ。

それには、常に先を見据えて「新しい知見」をリハビリテーションの専門家に提供するように、学者としての仕事を優先していかないといけない。


今日は21時まで、奈良リハの佐藤先生の「道具使用による身体知覚の延長」の研究の進捗をディスカスし、その後、同僚たちが動かしているfNIRSの研究をみて、22時すぎに帰宅した。

一字も書いておらず、少し休んで、ムチを入れる。

「心を動かす」
「他者の心を動かす」ためには、まずは「自己の心を動かす」

それをすることが一番の教育的効果になる。