森岡 周のブログ

脳の講座や講演スケジュールなど・・・

空間と時間の向こう側

2008年06月02日 18時18分29秒 | 過去ログ
岡山より帰り、またもや「寝だめ」をしてしまった。
久しぶりの休みに12時間ぐらい寝たような感じだ。
関東~関西~中国地方の新幹線の行ったり来たりは、
知らないうちに身体にその「力」を蓄積させている。
運動をしているわけでもなし、スポーツをしているわけでもないのに、
筋肉疲労を起こしている。

このブログも2004年の10月から書いている。
当初は、自らの研究室のページにボヤキをHTML形式で書いていた。
相当に面倒であったが、1か月に1~2回程度かな、UPしていた。
その後、2005年からはyahooブログに移り(時代の流れにのり)、
ルーチンに更新した。
ジオシティも含めると、1年ちょっと、このgooブログに移るまでは、
Yahooユーザーだった。
重いという点と、字が小さいという、自己中心的な視点から、
Gooに引っ越した。
Yahooのころは熱くブログを書いていた。
また、ときには、ヨーロッパの風景を取り入れていた。
ちょうど、年末年始の3週間足らず、研修兼リラクゼーションのため、
パリにアパートを借り、そこからUPしていたのが懐かしい。
その当初は、福岡で学会を主催するにあたり、
パリから講演依頼をしたものだ。

今思えば、なぜ衝動的にけしてしまったんだろうと思う。
その時の決断に後悔はしないが、
その決断の意識(脳)を知りたい。

先日、イタリアの田舎町が出て、
一人暮らしの「おばあちゃん」が出てきた。
毎日日記をかきとめている。
そして、年に数回見返し、その時々の表象を取り出している。
一人暮らしであるが、その時々は、一人でない。
人間の脳には、その記憶を注意によって引き出すことができるすばらしさを持っている。
それは目の前の生きるための行動のみを制御する脳ではない。

もっと豊かな脳だ。


なんのためにブログを書いているかは「自らのこころ」の闇の中だが、
その「おばあちゃん」の話をきくと、書くということはいいものだと
自然に思った。



ここ最近、gooブログに移転し、文章が「やんわり」表現になっている。
Gooブログの初期は、まだ熱く、そして、ときには相当に攻撃的な文章もあったが、
その時々の「情動の変化」を物語っている。
もちろん、ブログは「表現」の一つのツールであるため、
「認知過程」が働いていないわけはない。
ある面、戦略的文章も含んでおり、それには予期が働いている。
しかしながら、その時々で、やはりみずからの「心理」は揺らいでおり、
前期哺乳類優位なときもあるし、後期哺乳類脳優位なときもある。
人間はときに、暴走し、メタ的視点を失い、
一方、人間はときに、抑制をかけまくり、メタを効かすが、
前に向かって進めない。

その個人脳のなかで、いろんな物語がある。
すなわち、相互作用は外界と自己におこるのみでなく、
自己のなかでのもおこる。
それが人間だと思う。
人と人の間というのみでなく、自己と自己の間(はざま)に
せめぎあいがある。
これが人間なんだろう。
それは、ヴィゴツキー的視点のみならず、
自己を優位に考えたピアジェ的視点にもなるかもしれないが、
その両方があるから、現段階の進化の過程における「人間」なんだろう。
これは「人間」形成・発達そのものの議論でなく、
今現在の「人間」が作られた背景の議論である。




AM,授業の準備をいつものように行う。
まだ高次脳機能は終了していないが、小脳に進もうととっさに思った。
繰り返すと、情動が強化されてしまうので、
ときには、マニュアル(シラバス)通りにいかないのに意味が存在するかもしれない。
パスという枠組みににている。
機械的生産は避けたい。
しかし、人間は機械になろうとする。
それが「脳と身体」に疲労を感じないからだ。
自己の形成に基づく「無」ではなく、
自己を滅亡させる「無」であるような気がする。

今日から「運動学習の章」を本格的に書き始めた。
今は休息の意味でブログを打っている。
サイバネティクスに入る前の「条件づけ」、
久しぶりに行動心理学の本を読むと意外と新鮮だった。
トールマンの「認知地図」も、当時は画期的であったかもしれないが、
「ネズミ」にその「身体機能」がなければ、と考えるものだ。


今日から4回生は2期目の実習がスタートしましたね。
「あせらず、謙虚に」
まだまだ人生は続く。
目の前の「現象」の解釈は、単に自分の脳での先入観にすぎないかもしれない。
とにかく、謙虚に考え抜くことだ。
そして、体を動かし、感じて脳にその経験を植えることだ。

実績を積むということはそういうこと。
「水泳は冬の間に上達し、スケートは夏の間に上手になる(ウィリアムス・ジェームズ)」
知・情・意、そのどれもがいま成長の途中。

知識に自らの経験を注入し、知恵とすること。
自らの情動を知り、その情動を操作し、相手の情動に応対すること。
外に向け、自らの意を発すること。

「一般に思いつき(ひらめき)というものは、人が精出して仕事しているときにかぎってあらわれる(ウェーバー)」

自分の限界を超えることだ。

その向こう側に何かがある。

それを知るために、今まさに苦労している。


Synergy第5回外部講師勉強会

2008年06月02日 12時51分22秒 | 過去ログ
Synergy第5回外部講師勉強会

日 時:平成20年6月8日(日)

時 間:9時~15時

講 師:森岡  周 (畿央大学大学院健康科学研究科 主任・教授)
    信迫 悟志 (東大阪山路病院・畿央大学大学院健康科学研究科)

内 容:整形外科疾患と脳科学・痛みと脳科学
    AM:1.運動制御モデル
      2.運動学習モデル
      3.痛みの認知機構(森岡)
    PM:1.情報器官としての身体
      2.整形外科疾患に対する認知的な治療介入(信迫)

会 場:和白リハビリテーション学院 (http://www.fukuokawajiro-reha.jp/access/index.html)