読書の秋なので西岡常一氏の「木に学べ 法隆寺・薬師寺の美」(小学館ライブラリー)を読み返しました。
2010年1月7日の回で書いた、新潮文庫「木のいのち木のこころ」という本の端緒ともいうべき本で、その棟梁の話しの聞き書きです。
「そこへいくと飛鳥の大工はえらかった。なにせやね、仕事が早い。
今の人は便利な工具持ってるくせに時間かかるわな。
薬師寺でもそうですわ。飛鳥の時代に、七堂伽藍全部とほかに14棟の建て物つくったんですが、それが14年でっせ。
わたしらは19年かかってやっと金堂と西塔と中門しただけですわ。
昔は工具かて今のようなもんやなくて、全部人の手でやったんでしょう。
優秀な人がたくさんいたんですな」
「千三百年前の飛鳥時代の大工は賢いな。
大陸から木造の建築法が入ってきた。中国の山西省應県に佛宮寺という六百年前の八角五重塔があるんですが、これは直径29mもあるのに軒先が2mしかない。
ところが同じ八角でも夢殿は径が11mなのに、軒の先は3mも出てる。ちゅうことはや、大陸は雨が少ないのや思いますよ。
ところが大陸の雨の少ない建築を学んだけれど、飛鳥の工人は日本の風土というものをほんとうに理解して新しい工法に変えたちゅうことです。
基壇も高くなっています。こういうのを賢いゆうんですわ。
今みたいに、なんでもそのまま真似したりせんのや。軒が浅くてはあかんぞと考えたんですな。
除々にやったんやなくて、そのとき一遍でなおしてるんです。
こういうのを文化いうのとちゃいますか。
(中略)人間が知恵だしてこういうものを作った。それがいいんです。それが文化です」
ちょっとカビラ・Jが入って来ました。
「さっき、わたしがマイケルさん(カナダからきている大工さん)のカンナくず見て、刃物が0.01ミリぐらいカーブしとると言いましたやろ。
それで研ぎ直しなさいと言いましたが、あれぐらいの細かいことがわからんと、すぐカンナくずに表れるんですわ。
あれを研ぎ直すのはたいへんや。
なぜかちゅうたら、0.01ミリやけど、その欠点に自分がきづいとらんのだから、それを直すのはたいへんですな。(中略)
刃がどんなに研げても台が悪ければあかんよ。さっきの人は、カンナかける前に台を削っとったでしょ。そこからやらなあきませんわ。
マイケルさんは、そんなこと知らんさかい、昨日も一昨日も、そのままでやっとるわ。
そういうことにも気づかずに、そのまま終わってしまう人が多いな」
「千早振る瑞穂の国は神代より、女ならでは世の明けぬ国」ということがありますのや。
男というものは現世に生きるために、また社会人としての責任を果たすために、一所懸命ですわな。
そやから少々間違ったこともあるわね。行き過ぎも、至らんこともありますわな。
それを家庭でじっと見ていて、自分の子供に、そういう悪いところだけは取り除いて、良識を植えつけていく。
そうせんと次の世代は今よりも悪くなります。
女の人の役割りというのは、現世的なもんやないんです。
この本は1988年に出たものが、1991年に文庫本になってかなり増刷を重ねたようです。
バブルの真っ盛りに、よくこういう本が出されたと思います。
人はやはり何処かしら不安なので、地に足のついた人の話を読むことによって、バランスを保とうとする心理がはたらいたのでしょうか。
2010年1月7日の回で書いた、新潮文庫「木のいのち木のこころ」という本の端緒ともいうべき本で、その棟梁の話しの聞き書きです。
「そこへいくと飛鳥の大工はえらかった。なにせやね、仕事が早い。
今の人は便利な工具持ってるくせに時間かかるわな。
薬師寺でもそうですわ。飛鳥の時代に、七堂伽藍全部とほかに14棟の建て物つくったんですが、それが14年でっせ。
わたしらは19年かかってやっと金堂と西塔と中門しただけですわ。
昔は工具かて今のようなもんやなくて、全部人の手でやったんでしょう。
優秀な人がたくさんいたんですな」
「千三百年前の飛鳥時代の大工は賢いな。
大陸から木造の建築法が入ってきた。中国の山西省應県に佛宮寺という六百年前の八角五重塔があるんですが、これは直径29mもあるのに軒先が2mしかない。
ところが同じ八角でも夢殿は径が11mなのに、軒の先は3mも出てる。ちゅうことはや、大陸は雨が少ないのや思いますよ。
ところが大陸の雨の少ない建築を学んだけれど、飛鳥の工人は日本の風土というものをほんとうに理解して新しい工法に変えたちゅうことです。
基壇も高くなっています。こういうのを賢いゆうんですわ。
今みたいに、なんでもそのまま真似したりせんのや。軒が浅くてはあかんぞと考えたんですな。
除々にやったんやなくて、そのとき一遍でなおしてるんです。
こういうのを文化いうのとちゃいますか。
(中略)人間が知恵だしてこういうものを作った。それがいいんです。それが文化です」
ちょっとカビラ・Jが入って来ました。
「さっき、わたしがマイケルさん(カナダからきている大工さん)のカンナくず見て、刃物が0.01ミリぐらいカーブしとると言いましたやろ。
それで研ぎ直しなさいと言いましたが、あれぐらいの細かいことがわからんと、すぐカンナくずに表れるんですわ。
あれを研ぎ直すのはたいへんや。
なぜかちゅうたら、0.01ミリやけど、その欠点に自分がきづいとらんのだから、それを直すのはたいへんですな。(中略)
刃がどんなに研げても台が悪ければあかんよ。さっきの人は、カンナかける前に台を削っとったでしょ。そこからやらなあきませんわ。
マイケルさんは、そんなこと知らんさかい、昨日も一昨日も、そのままでやっとるわ。
そういうことにも気づかずに、そのまま終わってしまう人が多いな」
「千早振る瑞穂の国は神代より、女ならでは世の明けぬ国」ということがありますのや。
男というものは現世に生きるために、また社会人としての責任を果たすために、一所懸命ですわな。
そやから少々間違ったこともあるわね。行き過ぎも、至らんこともありますわな。
それを家庭でじっと見ていて、自分の子供に、そういう悪いところだけは取り除いて、良識を植えつけていく。
そうせんと次の世代は今よりも悪くなります。
女の人の役割りというのは、現世的なもんやないんです。
この本は1988年に出たものが、1991年に文庫本になってかなり増刷を重ねたようです。
バブルの真っ盛りに、よくこういう本が出されたと思います。
人はやはり何処かしら不安なので、地に足のついた人の話を読むことによって、バランスを保とうとする心理がはたらいたのでしょうか。