前回親知らずを抜いた日にちを調べた。
WBCの決勝当日だったから、2009年3月となる。
入庁直前だったのか・・・
つまらないことだが、ふと懐かしむ。
さて、まだ彼女のご両親宛ての手紙を考えている。
そろそろ書き上げて、彼女に渡さねばと思うが、
今回の手紙を書くことを通して、
自分のダメなところに気づくことができた気がする。
やっぱり、彼女と結婚したいという意識が、
以前の自分は今よりも低かったように思うのだ。
4月に彼女の母親に会い、
5月に私の母親と彼女が会ったのに、
それ以降、私も彼女も仕事が忙しいことと、
彼女のご両親が結婚に強く反対し始めたことで、
彼女の実家に挨拶に行くことが出来ずにいた訳である。
別の言い方をすれば、
「私がビビり過ぎて動けなかった」
ということ。
これはよくなかったな~、と今になって思う。
もちろん、彼女自身も親の反対によって気持ちがぶれ、
「別の人を探そうかな~」とか、
「今は親の機嫌が悪いから待ちたい。急がない方がいい」
などと言っていたので、そこにも少しは原因があるとは
思うが、
やはり、一番の原因はこの私なのだろうなと痛感する。
ご両親の気持ちが軟化するのを待とう、とか、
彼女が両親にはっきり自分の気持ちを言えるように
なってほしい、とか、そんな他力本願的なことばかり
考え、自分がどうしたいか、どうすればベストなのかを
考えてこなかった。
親の機嫌が悪いなら悪いなりに、
それでも接触する手段はあったはずだ。
彼女への接し方もそれなりにあったはずだし、
言われるがままに、数ヶ月も放置しておいたのは
明らかに悪い。
結婚の話なのだから、なおさらである。
まあ、そもそもは、
「結婚は本人同士の問題」と考えていたから、
本人たちが良ければ、自由に進展できるものと
考えて疑わなかったのが、よくなかったのかもしれない。
私の周囲で、親が怒って揉めたという話は
一切聞かなかった。
だから「怒る親」=「有り得ない」となった。
予定と違うことに戸惑い、対策が講じられなかった。
彼女と結婚したい気持ちは変わらなかったが、
いつまでもご両親を理解できなかった自分が
まだまだ未熟だったと、今では思う。
手紙を作りながら、
彼女への思いを今まで以上に心の中で確認している。
こんな心境は初めてだ。
採用試験と同じくらいの緊張感と言える。
本気で成功させたい。
久々に燃える。
WBCの決勝当日だったから、2009年3月となる。
入庁直前だったのか・・・
つまらないことだが、ふと懐かしむ。
さて、まだ彼女のご両親宛ての手紙を考えている。
そろそろ書き上げて、彼女に渡さねばと思うが、
今回の手紙を書くことを通して、
自分のダメなところに気づくことができた気がする。
やっぱり、彼女と結婚したいという意識が、
以前の自分は今よりも低かったように思うのだ。
4月に彼女の母親に会い、
5月に私の母親と彼女が会ったのに、
それ以降、私も彼女も仕事が忙しいことと、
彼女のご両親が結婚に強く反対し始めたことで、
彼女の実家に挨拶に行くことが出来ずにいた訳である。
別の言い方をすれば、
「私がビビり過ぎて動けなかった」
ということ。
これはよくなかったな~、と今になって思う。
もちろん、彼女自身も親の反対によって気持ちがぶれ、
「別の人を探そうかな~」とか、
「今は親の機嫌が悪いから待ちたい。急がない方がいい」
などと言っていたので、そこにも少しは原因があるとは
思うが、
やはり、一番の原因はこの私なのだろうなと痛感する。
ご両親の気持ちが軟化するのを待とう、とか、
彼女が両親にはっきり自分の気持ちを言えるように
なってほしい、とか、そんな他力本願的なことばかり
考え、自分がどうしたいか、どうすればベストなのかを
考えてこなかった。
親の機嫌が悪いなら悪いなりに、
それでも接触する手段はあったはずだ。
彼女への接し方もそれなりにあったはずだし、
言われるがままに、数ヶ月も放置しておいたのは
明らかに悪い。
結婚の話なのだから、なおさらである。
まあ、そもそもは、
「結婚は本人同士の問題」と考えていたから、
本人たちが良ければ、自由に進展できるものと
考えて疑わなかったのが、よくなかったのかもしれない。
私の周囲で、親が怒って揉めたという話は
一切聞かなかった。
だから「怒る親」=「有り得ない」となった。
予定と違うことに戸惑い、対策が講じられなかった。
彼女と結婚したい気持ちは変わらなかったが、
いつまでもご両親を理解できなかった自分が
まだまだ未熟だったと、今では思う。
手紙を作りながら、
彼女への思いを今まで以上に心の中で確認している。
こんな心境は初めてだ。
採用試験と同じくらいの緊張感と言える。
本気で成功させたい。
久々に燃える。