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Not 「艶歌」、「援歌」, But 「怨歌」

2014-01-21 07:07:07 | Weblog

あの頃、あんな歌が流行っていた。

当時の記憶をたどるのに、その頃流行していた歌とセットであの時のことを思いだすことは容易です。

小学校低学年の頃、学校からの帰り道で「ブルーシャトー」(1967年)の替え歌を近所に住む同級生数人と歌いながら帰宅していたことを思いだしました。

「ブルーシャトー」は、フジテレビの音楽番組『ザ・ヒットパレード』の専属バンドだったブルーコメッツのヒット曲です。

替え歌の内容は「森と泉に囲まれて」を「森トンカツ、泉ニンニク、かコンニャク、まれテンプラ」と。

流行歌について書いた理由は、輪島裕介『創られた「日本の心」神話』(光文社新書)を読んでいた際に、当時のことを思い出したからです。

誤解のないように言っておけば、この本で書かれていることは流行歌と記憶に関するものではなく、「演歌」についてです。

「演歌」は日本人の心。

長い歴史を有する音楽のジャンルであると私もずっと思ってきました。

しかしながら、「演歌」という言葉を現在のように「日本的」または「伝統的」なレコード歌謡を指示するために用いるようになったのは、昭和40年代以降だったそうです。

この本に掲載されている昭和40年代以降に出てくる歌手や歌は当時よく耳にしていた楽曲ということもあり、その歌や歌手の当時置かれていた背景なども含めて詳しく知ることができました。

五木寛之によって作られたイメージを踏襲した歌手、藤圭子が歌ったのは、「艶歌」でもない、「援歌」でもない、「怨歌」。

その他として作家の野坂昭如さんが、「おもちゃのチャチャチャ」の作詞者であることは知りませんでしたし、

「演歌」が、1960年代末から72年ごろにかけて、

若者向きの流行現象として音楽産業によって仕掛けられた(若者が見る雑誌に掲載)されたこと、

又は小室哲哉さんが1990年代の一連のヒット曲を、「クラブで踊った後にカラオケに行く若者」をターゲットに制作していたことを始めて知り、とても勉強になりました。

★今週は22日、23日と高校入試で慌ただしい週になりそうです。

コメント
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