昨日今日明日

きのうを思い、きょうを実感し、あすに想いを馳せよう。
若年性或いは老人性痴呆症にならない為にもね?

これぞ日本国本来のスタンス

2005年12月07日 | Weblog
東アジア共同体は開放的に 外相、中国の発展は利益 (共同通信) - goo ニュース

 常識ある日本人は、かねがね、いわゆる和製中国人のセンチメンタリズムと日本本来の外交姿勢を明確に区別してかかるべきだと思っていたに違いない。彼ら(和製中国人)と公人(外務大臣)との間に厳とした壁を作ることが、こと中華権の親玉とその属国に対しては必要不可欠なものであると痛感してきたのであるが、第三次小泉内閣の麻生外務大臣と安倍官房長官のワン・ツー・コンビになってからは、あの連中の内政干渉にも似た恫喝に対し毅然とした立場が取れるようになったことは、実に喜ばしいと思う。
 
 国内では、いわゆる売国メディアどもが自虐、贖罪日本人(実は売国奴のピエロと成り下がった日本人)に向って、明日にでも日本国が無くなってしまうかのごとき報道を繰り広げているのだが、流石に最近では、国民の間にも、かつての売国メディアによる亡国報道に誑かされない、所謂「免疫力」が体内に蓄積されたようである。まことに、結構なことである。

 東アジア共同体などともったいぶって「中共」が叫んでいるのだが、こんなものは、かつて日本が主張した「大東亜共栄圏」の二番煎じに過ぎないのである。
 所詮中国などという国は、その言語体系の難点を以前から私が指摘している通り、口移しでよく聞き鸚鵡返しに繰り返し発声しないと、国語さえまともにマスターできないのである。新しい考案など、その言語体系からして「絶対不可能」な国柄である。その代わり驚くべきまね上手である。
 
 このような国は日本語の素晴らしさに憧れ、いっそのこと日本語に「改宗」したら、「喜怒哀楽」に満ち満ちた民主、自由、人権を享受できるであろう。

 現時点では、中華圏との勢力争いというか、人民拘束国家と自由国家の鬩ぎ合いの場であるから、「靖国問題だの教科書問題」だのといって、相手のペースに乗せられることがあってはならないのである。

 この段階では、小泉、麻生、安倍ラインに国運を託して間違いはないであろう。経済界の面々もこういう折に、マスコミに向ってこれ見よがしに「インド人の知能程度は素晴らしい、やはり中国人の比ではない」とか発言してみたら如何なものか。今は中共に官民一体で揺さぶりをかける時である。