朝日新聞に夢枕莫の『宿神(すくがみ)』という小説が連載されている。その10/27の回に、非常に心に響くものがあり、今回それを引用させていただく。実は以前、鬱病について、「感情の揺れ」という切り口からの私見をブログに書いたのだが、そこで上手く書ききれなかったことが、この中に全て含まれていると感じたからである。
引用の前に、この前段の部分を知らなければならない。『宿神』の時代背景は平安時代末期、主人公は佐藤義清(のりきよ)、後の西行法師である。佐藤義清は北面の武士の一員で、同僚には平清盛がいた。北面の武士とは御所の警護をする武士の一団、今で言う近衛兵団に当たる、エリート部隊である。その中でも義清は武人としての技量に優れ、なおかつ歌人としても傑出していた。
その義清が女院(にょいん)を激しく愛してしまう。女院とは帝の后のことであり、身分の違いから決して成就することのないものであった。だが義清はその思いを断ち切ることができない。そんな中、義清は帝から襖絵に合わせて10首、歌を詠んでほしい、という要請を受けて御所に赴く。そして、その場で自らの激情の赴くままに、女院への愛の歌を10首詠んでしまう(と言っても、もちろん「俺は○○を愛してる~」のような安っぽい歌ではないので、わかっている人にしか、それが女院に宛てた愛の歌であるとはわからないものではあったが)。帝は義清の真意を理解しながら、それを咎めるどころかお褒めの言葉を与える。しかし義清は御所を辞去した後、屋敷には戻らず鴨川に太刀を投げ捨て、その場で頭を丸めてしまうのである。
だが、ふと我に返り、義清の心には迷いが生じる。自分が詠んだ、あの歌は、あの場に居合わせた人には、帝を除き、女院への愛を歌ったものだとは気づかれていない。また、誰にも自分が出家するなどと宣言もしていない。捨てた太刀を拾って屋敷に戻り、家人には「御所で無礼な振る舞いをしてしまったので、反省のために頭を丸めた」と言えば、またこれまで通りの暮らしができる、と。
だが、義清にはわかっていた。
自分は、そんなことをするつもりがないということを。
“そなたは、そのままそなたであるだけでよいのじゃ”
覚鑁(かくはん)の言った言葉が、胸に蘇った。
ああ……
義清は、心の中でつぶやいた。
(中略)
そうなのだ。
自由になったと感じているのも自分であり、不安を感じているのもまた自分である。どの自分が本当で、どの自分が嘘であるということもない。どちらも自分である。人は常に、ひとつ心で生きているわけではない。常に、人は、幾つもの様々な自分の心を抱え、それをもてあましながら生きているのである。
よいではないか。
と、義清は思った。
自由も、不安も、未練も、全部自分なのだ。
不安と未練を今抱えているのが自分なら、そのまま僧になればよい。未練があるのならその未練を抱えたまま、不安があるのならその不安を抱えたまま、煩悩があるのなら、その煩悩を抱えたまま……
…そう、これだ。以前、ブログで紹介した『ツレがウツになりまして』の、ウツになったツレさんが最後に辿り着いたところは、まさにこれだったのだ。ありのままの自分の心を、ありのままに抱きしめてゆくこと…それが自分自身の全てで感じ取れること──多分それが、鬱病というものがその人に課した課題なのだと思う。
それは、ある種“悟り”のようなもので、一度わかったからもう終わり、ではなく、一生かけて繰り返しわかり続けていかなければならないのかもしれない。
自分はそういう風(かぜ)であればよい。
どこへ行くとも知れぬ、あてのない風──そういう、吹きやまぬ風であればよいのだ。
吹きやまぬ風であれば、その風が果つるまでに、いつか西方浄土へ、その風はたどりつくこともあるやもしれぬ。
引用の前に、この前段の部分を知らなければならない。『宿神』の時代背景は平安時代末期、主人公は佐藤義清(のりきよ)、後の西行法師である。佐藤義清は北面の武士の一員で、同僚には平清盛がいた。北面の武士とは御所の警護をする武士の一団、今で言う近衛兵団に当たる、エリート部隊である。その中でも義清は武人としての技量に優れ、なおかつ歌人としても傑出していた。
その義清が女院(にょいん)を激しく愛してしまう。女院とは帝の后のことであり、身分の違いから決して成就することのないものであった。だが義清はその思いを断ち切ることができない。そんな中、義清は帝から襖絵に合わせて10首、歌を詠んでほしい、という要請を受けて御所に赴く。そして、その場で自らの激情の赴くままに、女院への愛の歌を10首詠んでしまう(と言っても、もちろん「俺は○○を愛してる~」のような安っぽい歌ではないので、わかっている人にしか、それが女院に宛てた愛の歌であるとはわからないものではあったが)。帝は義清の真意を理解しながら、それを咎めるどころかお褒めの言葉を与える。しかし義清は御所を辞去した後、屋敷には戻らず鴨川に太刀を投げ捨て、その場で頭を丸めてしまうのである。
だが、ふと我に返り、義清の心には迷いが生じる。自分が詠んだ、あの歌は、あの場に居合わせた人には、帝を除き、女院への愛を歌ったものだとは気づかれていない。また、誰にも自分が出家するなどと宣言もしていない。捨てた太刀を拾って屋敷に戻り、家人には「御所で無礼な振る舞いをしてしまったので、反省のために頭を丸めた」と言えば、またこれまで通りの暮らしができる、と。
だが、義清にはわかっていた。
自分は、そんなことをするつもりがないということを。
“そなたは、そのままそなたであるだけでよいのじゃ”
覚鑁(かくはん)の言った言葉が、胸に蘇った。
ああ……
義清は、心の中でつぶやいた。
(中略)
そうなのだ。
自由になったと感じているのも自分であり、不安を感じているのもまた自分である。どの自分が本当で、どの自分が嘘であるということもない。どちらも自分である。人は常に、ひとつ心で生きているわけではない。常に、人は、幾つもの様々な自分の心を抱え、それをもてあましながら生きているのである。
よいではないか。
と、義清は思った。
自由も、不安も、未練も、全部自分なのだ。
不安と未練を今抱えているのが自分なら、そのまま僧になればよい。未練があるのならその未練を抱えたまま、不安があるのならその不安を抱えたまま、煩悩があるのなら、その煩悩を抱えたまま……
…そう、これだ。以前、ブログで紹介した『ツレがウツになりまして』の、ウツになったツレさんが最後に辿り着いたところは、まさにこれだったのだ。ありのままの自分の心を、ありのままに抱きしめてゆくこと…それが自分自身の全てで感じ取れること──多分それが、鬱病というものがその人に課した課題なのだと思う。
それは、ある種“悟り”のようなもので、一度わかったからもう終わり、ではなく、一生かけて繰り返しわかり続けていかなければならないのかもしれない。
自分はそういう風(かぜ)であればよい。
どこへ行くとも知れぬ、あてのない風──そういう、吹きやまぬ風であればよいのだ。
吹きやまぬ風であれば、その風が果つるまでに、いつか西方浄土へ、その風はたどりつくこともあるやもしれぬ。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます