昨日12/12(日)はCBSセミナーに参加。これは以前からずっとそうなのだが、セミナーの実技でクラニオセイクラル・ワーク(クラニアル・ワークとも言う)を受けると、決まって頭痛が起こる。今回もそうだった。
最近はクラニオを受けていて頭痛が起こり始めたら、相手からクラニオを受けたままでも自分でそれをある程度、調整できるようになったので、以前のようなひどい状態にはなりにくくなったが、それもやはり頭が痛くなるのはイヤなもんだ。
クラニオには静止(stillness)とシャットダウン(shutdown)という概念がある。いずれも頭蓋仙骨リズム(craniosacral rhythm)が止まることを言うが、その違いを大雑把に言えば、静止がリズムの生理的な停止であるのに対してシャットダウンは非生理的な停止である、ということになるだろうか。もう少しクラニオの機序に沿って言うならば、静止とは体がさまざまな問題を解消するために一旦動きを停止するプロセスであるのに対して、シャットダウンとは体が危険を感じるなどでやむを得ず緊急停止することだと、物の本には書かれている(ただし、バイオメカニックなクラニオでは静止とシャットダウンを明確に区別していない)。
どうも私の頭は人一倍、シャットダウンしやすいのかもしれない(それが子供の頃から頭痛持ちだったことと関係があるかどうかはわからないが)。以前は、セミナー中に何人かの先生達に治療をお願いしたこともあったが、こと頭痛に関しては変わらないか余計に悪くなるかのいずれかであることがわかったので、それ以降は自分で治療することにした。とても皮肉なことだが、セミナーで一番実技の勉強になるのは、そうやって電車の中で自分の頭痛を治しながら帰ることなんじゃないか、という気がする。
昨日は応用クラスとしては今年最後のセミナーで、いつもは終了後の懇親会には出ないのだが、今回は忘年会ということもあって参加。始まった時間が5時からと早かったので終わったのも7時過ぎ。せっかく横浜に来たからと有隣堂で本を物色していこうと思ったが、頭痛が辛くなって早々と店を出て帰りの電車に乗り、そして治療を始めることになった。
使う方法はクラニオとフォーカシングだ。意識を向けるとフッと頭痛が和らぐ体の部分を探し出し(場所はその時々で異なり、複数カ所の場合もある)、そこに意識を向けながらクラニオを行う──と言っても、頭痛だからといって頭をホールドするようなことはしない(電車の中だから、ということもあるが、実は自宅でやる時も同じ)。手は上前腸骨棘(ASIS)の上に軽く乗せるか、どこにも触れていなくてもよい。シルズは『クラニオセイクラル・バイオダイナミクス』の中で「クラニオの最中は絶対に手による接触を保っていなければいけない」といったことを書いているが、そんなことはない。クラニオで本質的なのは、物理的な接触を保つことではなく、接触しているという意識を保つことなのだ。
そして手をASISに触れていても、ここで最も重要なことは
ただそこに手を触れているだけで、それ以上何もしない
ということだ。決して、
動きを評価したり調整するようなことはしない
それがコツ。
以前は教えられた通り、屈曲・伸展のリズムだの振幅だの動きの対称性だのを評価し、それに応じて一連のプロトコルに従って調整して──といったことを真面目にやっていたこともあったが、(やり方がヘボだったからかもしれないけど)ただ一度を除いて、それで頭痛が良くなることはなかった。それどころか、頭痛がひどいと精神的にも余裕がなくなるから、そんなことをしていると、ますます痛みがひどくなって追い詰められていく、という悪循環に陥ることさえあった。
それがバイオダイナミックなクラニオを知り、教えられたことと真逆なことをするようになって、徐々に自分の頭痛を自分で治せるようになっていった(ま、そういうこともあるよね)。上に述べた方法は自分の体を実験台に、そうやって試行錯誤の中で見つけてきたものだ。ただし、この方法、私にはとても良く効くが、汎用性があるかどうかはわからない。
最近はクラニオを受けていて頭痛が起こり始めたら、相手からクラニオを受けたままでも自分でそれをある程度、調整できるようになったので、以前のようなひどい状態にはなりにくくなったが、それもやはり頭が痛くなるのはイヤなもんだ。
クラニオには静止(stillness)とシャットダウン(shutdown)という概念がある。いずれも頭蓋仙骨リズム(craniosacral rhythm)が止まることを言うが、その違いを大雑把に言えば、静止がリズムの生理的な停止であるのに対してシャットダウンは非生理的な停止である、ということになるだろうか。もう少しクラニオの機序に沿って言うならば、静止とは体がさまざまな問題を解消するために一旦動きを停止するプロセスであるのに対して、シャットダウンとは体が危険を感じるなどでやむを得ず緊急停止することだと、物の本には書かれている(ただし、バイオメカニックなクラニオでは静止とシャットダウンを明確に区別していない)。
どうも私の頭は人一倍、シャットダウンしやすいのかもしれない(それが子供の頃から頭痛持ちだったことと関係があるかどうかはわからないが)。以前は、セミナー中に何人かの先生達に治療をお願いしたこともあったが、こと頭痛に関しては変わらないか余計に悪くなるかのいずれかであることがわかったので、それ以降は自分で治療することにした。とても皮肉なことだが、セミナーで一番実技の勉強になるのは、そうやって電車の中で自分の頭痛を治しながら帰ることなんじゃないか、という気がする。
昨日は応用クラスとしては今年最後のセミナーで、いつもは終了後の懇親会には出ないのだが、今回は忘年会ということもあって参加。始まった時間が5時からと早かったので終わったのも7時過ぎ。せっかく横浜に来たからと有隣堂で本を物色していこうと思ったが、頭痛が辛くなって早々と店を出て帰りの電車に乗り、そして治療を始めることになった。
使う方法はクラニオとフォーカシングだ。意識を向けるとフッと頭痛が和らぐ体の部分を探し出し(場所はその時々で異なり、複数カ所の場合もある)、そこに意識を向けながらクラニオを行う──と言っても、頭痛だからといって頭をホールドするようなことはしない(電車の中だから、ということもあるが、実は自宅でやる時も同じ)。手は上前腸骨棘(ASIS)の上に軽く乗せるか、どこにも触れていなくてもよい。シルズは『クラニオセイクラル・バイオダイナミクス』の中で「クラニオの最中は絶対に手による接触を保っていなければいけない」といったことを書いているが、そんなことはない。クラニオで本質的なのは、物理的な接触を保つことではなく、接触しているという意識を保つことなのだ。
そして手をASISに触れていても、ここで最も重要なことは
ただそこに手を触れているだけで、それ以上何もしない
ということだ。決して、
動きを評価したり調整するようなことはしない
それがコツ。
以前は教えられた通り、屈曲・伸展のリズムだの振幅だの動きの対称性だのを評価し、それに応じて一連のプロトコルに従って調整して──といったことを真面目にやっていたこともあったが、(やり方がヘボだったからかもしれないけど)ただ一度を除いて、それで頭痛が良くなることはなかった。それどころか、頭痛がひどいと精神的にも余裕がなくなるから、そんなことをしていると、ますます痛みがひどくなって追い詰められていく、という悪循環に陥ることさえあった。
それがバイオダイナミックなクラニオを知り、教えられたことと真逆なことをするようになって、徐々に自分の頭痛を自分で治せるようになっていった(ま、そういうこともあるよね)。上に述べた方法は自分の体を実験台に、そうやって試行錯誤の中で見つけてきたものだ。ただし、この方法、私にはとても良く効くが、汎用性があるかどうかはわからない。
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