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「ココロとカラダ」再生研究所、蒼穹堂治療室が送る、マニアックなまでに深く濃い、極私的治療論とお役立ち(?)情報の数々。

『お勢、断行』あるいは本当にしたいこと

2022-05-25 11:38:22 | 趣味人的レビュー

去る5/19、世田谷パブリックシアターに舞台『お勢、断行』のマチネ公演を見に行ってきた。実は新聞で『お勢、断行』の記事を見て、見に行く予定だった2本の芝居をこちらに変えたのである(見たいものを全部見に行ければいいのだが、さすがにカネがない)。

最初に『お勢、断行』という舞台のことを知ったのは、2020年の新聞記事だった。といっても、その記事は舞台の紹介やレビューではなく、緊急事態宣言によって公演が中止になったというものだった。元々の『お勢、断行』は、直前に緊急事態宣言が発出されたことで全公演中止となったのだという。記事が伝えるところでは、役者陣や公演スタッフは観客が誰もいない客席に向けて最後の通し稽古を行い、そのまま解散となったそうだ。その時のむなしさと悔しさを主演の倉科カナが語っていた。

ちなみに、この作品のタイトルにもなっているお勢は江戸川乱歩作品のキャラであるが、短篇『お勢、登場』の1篇にしか登場しない(私は乱歩作品に詳しいわけではないので間違っていたらアレだが)。なので、この『お勢、断行』は乱歩のお勢を登場人物の1人にした、劇作家/演出家、倉持裕のオリジナル作品である(なお、倉持裕はこれの前に乱歩の『お勢、登場』を原案とした舞台『お勢、登場』も制作しているが、私は見ていない)。


『お勢、断行』は資産家の後妻に入った女が政治家、精神科医と結託して夫を精神病院に入れ、家の乗っ取りを画策するという話。タイトルからは、それをお勢が主導していたように見えるが、その家の居候であるお勢は、むしろ全てを薄々知りながら事の成り行きを冷ややかに見つめている存在である。乱歩の『お勢、登場』がそうであったように、『お勢、断行』でもお勢は主体的に事件に関わっているわけではなく、そういう意味では彼女を悪女と呼ぶのはあまりふさわしくないように思う。

『お勢、断行』の物語はミステリとしての構造を持っているので、ここでその細かい内容に立ち入ることはしないが、公式がトレーラーを公開しているので、ここに貼っておく。ただ個人的には、このトレーラーもミステリ作品として内容に立ち入りすぎていると思うので、これからこの舞台を見ようという人は、できればまだ見ないことをオススメする。

 

ところで、舞台を見ていた時もそうだったが、このトレーラーにも収められている、お勢の非常に印象的なセリフがあるので、それだけはここで紹介したい(もちろん、このセリフを知っていても物語を見るのに何ら支障はない)。それはこんなセリフだ。

あれがしたい、これがしたい、と言ってるうちは、まださほどしたくないのよ。したいならするでしょう。私が本当にしたいことは、とっくにしたことの中にしかないわ。

私はこのセリフを聞いた時、頭の中で唸った。これは凄いと。倉持裕はこの作品のテーマを「罪と罰」だと述べているけれど、私はむしろ、お勢にこのセリフを言わせるために彼は『お勢、断行』を書いたのではないか、とさえ思う。

世の中には「あなたが本当にしたいことをしましょう」といった言葉が溢れかえっているが、このセリフはそんな言葉を根こそぎひっくり返す。そう、人は本当にしたいことは、とうにしているのだ。自分が本当にしたかったことは、既にしたことの中にしかない。

よくドラマなどで人を殺してしまった者が「ち、違う…。俺は本当はこんなこと、したくなかった」などと言うシーンがあるが、それは嘘だ。そいつは本当に殺したかったら殺したのであり、ただ自分が人を殺したということが怖くなって、そんなことを言っているにすぎない。だが、お勢はたとえ口が裂けてもそんなことは言わないだろう。

江戸川乱歩の、ではなく、倉持裕のお勢とはまさにそういう人であり、それゆえの『お勢、断行』なのである。


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