『7人目の子』という本の話をしよう。
この本のことを最初に知ったのは早川書房の新刊案内を見てだったか、本屋で実物を見てだったか、もう覚えていない。ただ、初めて知った時から、なぜか異様に気になる本だった。
あなたにはないだろうか? 何かに自分が「呼ばれた」ように感じることが。
本というのは放っておくとどんどん増えていくので、私は専門書など読むのに時間がかかり、また必要な時にいつでも手元にある必要がある本以外は、できるだけ買わないことにしている。小説などは大抵、一度読んだらもう読むことはないから、ほとんどは図書館で借りている(そのために近隣4つの公立図書館の貸し出しカードを持っている)。
『7人目の子』もいつものように借りて読んだのだが、結局、一度読んだにもかかわらず(そして読みたければいつでも図書館で借りられるにもかかわらず)、それに「呼ばれ」たかのように、買うことになってしまった。
『7人目の子』はエーリク・ヴァレアが2011年に発表したミステリで、その年の〈ガラスの鍵〉賞受賞作である。
〈ガラスの鍵〉賞とは、国際推理作家協会北欧支部のスカンジナヴィア推理作家協会が北欧5カ国の作品から選定する、北欧最高のミステリ賞。他に日本で出版された〈ガラスの鍵〉賞受賞作としては、アーナルデュル・インドリダソンの『湿地』や『緑衣の女』、スティーグ・ラーソンの『ミレニアム』、ヨハン・テリオンの『冬の灯台が眠るとき』、ユッシ・エズラ・オールスンの『特捜部Q』などがある。
だが同じ〈ガラスの鍵〉賞受賞作でも、日本での『7人目の子』の評価は他の作品と比べて芳しくない。私も実際、二度通読したが、例えばラーソンの『ミレニアム』シリーズやオールスンの『特捜部Q』シリーズのように分厚いけれども軽快に流れるように読める本と違って、泥沼の中を進むような重い読み味で、容易に先には進めない。二度目に読んだ時も文庫で上下巻、計900ページを、一日150ページずつ6日間かけて読んだ。二度目にもかかわらず、これ以上のペースで読むことはとてもできなかった。
1つには日本人に馴染みのない北欧圏の人の名前がなかなか覚えられないこと、そして扱っているテーマが重いことがあるが、それは他の北欧の作品も同じであって、だからこの粘りつくような異様な重さは、やはり『7人目の子』特有のものなのだろう。
ここで初読の際にブクレコに投稿したレビューを引用していおこう。
1961年、デンマークで国王にちなむ最も由緒ある児童養護施設、コングスロン児童養護院に1人の赤ん坊が「例外中の搬送」によって運び込まれる。その直前、スタッフは1本の電話を受けていた。「何があっても、彼女(=その赤ん坊の生みの親)に自分の子を見せてはならない」という指示だった。
2001年9月11日の早朝、デンマークの浜辺で、顔を砂に押しつけるような格好で死んでいる女が見つかる。その女の周囲には4つの奇妙なものが散らばっていたが、どれも意味不明のものだった。この事件は、そのすぐ後にニューヨークで起こった同時多発テロのために十分な捜査もなされず忘れ去られた。
2008年、国務省に匿名の封書が届けられる。中には7人の幼子の写真が載った雑誌の切り抜きと、1961年と書かれた養子縁組申請用紙。そして、その用紙にはヨーン・ビエルグストランという名が記されていた。
エーリク・ヴァレアの『7人目の子』は、この3つの出来事を結びつけて展開する事件を描いた物語で、スカンジナビア推理作家協会賞である「ガラスの鍵」賞を受賞している(「ガラスの鍵」賞は過去に『ミレニアム』や『特捜部Q』などが受賞している、かなり権威ある賞だ)。
デンマーク国家を揺るがすことになるある事件が、1961年の児童養護院を起点に始まり、その鍵を握る人物、ヨーンが当時、養護院のゾウの絵が描かれた部屋にいた7人の赤ん坊の中にいる。ヨーンとは7人のうちの誰なのか?
──というプロットはミステリとしてはなかなか魅力的なはずだが、私は『7人目の子』を一度、上巻の半分くらいのところでリタイアしている。自分の読んでいるものが一体どういうものなのか分からなくなってしまったからだ。
今回は2度目なので、ある程度勝手は分かっていたが、正直、最後まで読むのは本当にしんどくて、下巻の残り50ページを切ったところでも「まだ、こんなに残っているのか!」と、本を床に叩きつけてやりたい衝動に駆られた(全体のボリュームは上下巻で計900ページ弱)。
そうなった理由は2つ。
1つは、これは特に上巻に言えることだが、ゾウの部屋から里親にもらわれていった子供たちのその後が、ミステリとしての物語のバランスを歪めてしまうほど微に入り細にわたって描かれているため、読み手が視界を失ってしまうこと(実際、物語が動き始めるのは上巻の最後になってからだ)。
そしてもう1つは、この作品には著者であるエーリク・ヴァレアの、この世界に対する深い怒り、憎悪、呪い、悪意が込められていて、それが読み手の持つ怒りや憎悪や呪いや悪意と共鳴して、それを引き出そうとしてくること(少なくとも私にはそうだった)。
その理由は解説に書かれたことから知ることができる。
ミステリとしてプロットは非常によく練られていて、(上巻の退屈さに耐えられれば)本当に見事な作品。さすがは「ガラスの鍵」賞受賞作だと思う。だが、読むのには覚悟が必要だという意味で、万人にオススメはしない。少なくとも暇つぶしに流し読みできるような本ではない、とだけ言っておこう。
そして再読してみて思うのは、とにかく難解で不可解な作品だということだ。ミステリとしては超絶技巧を駆使して書かれた作品であると言える。けれども、それはある意味、アンフェアとなるギリギリのところでもあって、それが読み手を混乱させ、読みにくくしている大きな原因の1つである(例えば、この物語を語っているのは一体誰なのだろう?)。
また全体として、話がとても暗い。そして救いがない。たとえ物語の中でも安易な救いは示さない、というのが著者であるエーリク・ヴァレアのポリシーであり良心であるのだと思う(し、あの話のラストが「でも、みんな最後には幸せになりました」では、それまで書いてきたことが全部ウソになってしまう)が、カタルシスがない分、読んでいてやり切れない。
『7人目の子』は読む者に、「この重く救いのない物語を、あなたは背負う覚悟があるか?」と問うてくる。
この本は、そんな本だ。
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