「詩客」短歌時評

隔週で「詩客」短歌時評を掲載します。

短歌時評175回 真実の言葉 竹内 亮

2022-05-08 02:39:24 | 短歌時評

 歌人は「真実の言葉」に敏感だと思う。

 歌が現実か創作か、本心かそうでないか、歌を読んでいると気になることがあるし、歌が事実かどうか歌会で議論になることがある。

 しかし、その議論がわたしは十分に整理できていない。まず、事実かどうかというのにはいくつかのレベルがある。そして、事実かどうかということと本心であるかどうかということには必ずしも関係がないように思える。

 事実という場合、少なくとも一定の客観性が存在することが必要だと思うけれど、本心は、事実でないことについてもなりたちうる。さしあたり、本心を「話し手が本当だと思って話すこと」と定義したとき、あること事実でなかったとしても本当に存在したと思って話されることはある。

 たとえば、インターネットのサイトで予約したはずの電車のチケットが予約されていなかったとき(最後の画面の「確認する」をクリックしないままブラウザを閉じていたとき)、前日に同行者に対して本心で話していた「チケットは予約してあるよ」は事実ではなかったことになる。小説は多くの小説家にとって本心であろうけれど、事実ではないことが多いように思う。

 いまの社会は、事実が隠されることが増えているのかもしれず、そのことを心配するけれど、同時に本心が話されない社会になっているようにも思う。事実は大切だけれど、本心も同時にとても大切な気がする。

 永田愛さんの第2歌集『LICHT』を読みながら、このようなことを思った。『LICHT』はリアリズムの歌集だと思うけれど、それ以上に本心に満ちているように思った。

いつからかわたしの歩幅を知っていてきみはわたしのはやさで歩く

ほんとうに行くべき場所は本屋でも職場でもない 影踏みながら

分銅の重さすこしも疑わず測定結果に100.0グラム(ひゃく)を書き込む

祖母はもうわたしの声が聞こえない 春のポストに葉書をいれる

A3のコピー用紙を運ぶとき溶けない雪の重みを思う

花水木の葉は風下へひらめいて 葉にも幹にも触れないでおく

──永田愛『LICHT』(青磁社、2021)


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