「詩客」短歌時評

隔週で「詩客」短歌時評を掲載します。

短歌時評193回 歌会の「棋譜」としてのノート 竹内 亮

2023-11-07 12:10:32 | 短歌時評

 最近、歌会や参加している短歌の短歌講座のノートを取るようにしている。特にオンラインの場合は、事前に送られてきた詠草の歌をあらかじめマイクロソフト・ワードのファイルに貼り付けておいて、歌会が始まったらそれぞれの歌の後に山本夏子さんの発言、とみいえひろこさんの発言というようにすべての人の評や質問の発言をできるだけ入力していく。議論がもりあがったときはキーボードをすごい速さで押している。
 それまでは紙の詠草に「ここの表現どうか」「下の句は付きすぎ」とか簡略化して手書きでメモしていたのだけれど、簡略化しても余白に書き切れなかったり、とくに自分の歌以外は後で見るとよくわからなかったりしていた。全体のノートを取ると歌会のやりとりを後で読み返せる。
 全国でたくさんの歌会が行われているけれど、そこでのやりとりはその場で消えていっているものも多いのではないか。やりとりのなかに新しい発見があるから、その発見が蓄積されればいいのにと思う。そのために将棋の棋譜のような記録は意味があるような気がする。
 もうひとつ、批評会の記録ももっと読めたらいいのにと思う。歌集が出たあとに開かれる批評会は、その歌集の批評にとってもっとも重要なもののひとつである。出席できない場合も多いからその内容がどこかで読めたらいい。パネリストの報告は後日歌集評や評論となることもあるけれど、やりとりの部分にも大切な発見があるように思う。
 とはいうものの、ノートを取ることに集中していると、その場で考えることが少し減るというのもわたしにはある。こういうのは人によるのかもしれないけれど。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿