「詩客」短歌時評

隔週で「詩客」短歌時評を掲載します。

短歌評 橘上

2015-06-02 00:44:39 | 短歌時評
 僕は短歌を書いていない。何故書いていないかというと答えは簡単である。才能がないからである。才能って言葉が気に食わないならセンス、でもよい。じゃあなんで詩を書いているのかと言われれば答えは簡単である。才能があるからである。才能って言葉が気に食わないんなら運、でもよい。言ってることがよくわからない? 簡単に言おうとした結果、話が分かりにくくなるのはよくあることである。

 では一つ例示をしよう。
 僕が一番最初に書いた短歌は

 
 クリントン 秘書にセクハラ なお威張る

という中学生の時宿題で書いたものである。
 ちょっと待て。これはそもそも短歌じゃないじゃないか。五七五で終わってるしという声が聞こえてきそうだが、問題はそこではない。重要なのはこのどうしようもない「才能なさそう」な感じである。この作者(仮にこの作者の名前を『橘上』とする)が五七五七七などの短歌のルールを覚え、「未来」「かばん」「早稲田短歌」などの結社に所属した結果短歌史に残る歌人に残ると誰が言えようか? 可能性は無限大などというのはタダだ。タダほど高いものはない。
 ちなみにこの作の後『橘上』は一つも『短歌』をつくっていないのでこの『短歌』が『橘上』の最高傑作ということになる。
 では僕の初めての詩作は何かというと、これはが小学校一年生の時の「いろいろなむしのとびかた」或いは高校二年生の時の「桶狭間―okehazama―」かで意見が分かれているにせよ、どちらも「才能ありそう」感に満ちあふれ前者は先生から「ははぁ」と言われ、後者は同級生に「ややウケ」という高評価だったのである。特に後者は、「詩=ポエム=キモイ」という図式ができあがってる高校生を読者にしての「ややウケ」であり、それは初めて詩作であることも含め、奇跡といっていいほどの偉業である。
 何が言いたいか。つまり人は創作を始める(というか続ける)のは、他者の評価を経由して或いは自発的に「才能ありそう」「やってけそう」感を得たからではないだろうか?
 つまり入門書の類をきっかけとして創作を始める人がどれほどいるのだろうか?現に私は今まで現代詩入門を詠んだことはない。この文章を書くために初めて読んだのだが。

 
 などと考えながら図書館の「詩歌コーナー」に足を運ぶと、穂村弘氏の『短歌ください』(メディアファクトリー)が目に止まる。この本はどういう本なのか、「BOOK」データベースからの内容説明を引用すると

めくるめく言葉のワンダー。読者から寄せられた短歌の数々を、人気歌人が講評する実践的短歌入門。


とある。つまり穂村氏が出したお題に読者が短歌で応え、さらに穂村氏が講評で応えるといったダヴィンチ誌の投稿コーナーを書籍化したもののようだ。

 驚くべきはその短歌のレベルの高さだ。一読しておもしろい。「クリントン 秘書にセクハラ なお威張る」レベルのものが何一つにない。紙面に掲載されているのは入選作品で、あまりにひどいものは掲載されないのは当然だがこの粒ぞろい感は何だ。もしかしたら、穂村氏の短歌に負けてないものもあるんじゃないかと思わせる作品も珍しくない。短歌の門外漢であり、才能がないという理由で短歌をやめた人間が「レベル」などと口にしていいか疑問が残るが。まぁ、一般人にもその良さがわかる短歌がそろっているということで、レベルが高いということにしよう。しかし何故こんなにレベルが高いのだろう。
 書籍版『短歌ください』の冒頭には「テーマ・恋愛(サンプル版)」と題して

 短歌を募集します。短歌は五・七・五・七・七の形式をもつ日本の伝統的な定型詩です。俳句とちがって季語は入れなくて大丈夫。送って戴いた短歌を御紹介しながら、言葉や表現について考えてみたいと思います。初心者歓迎なので是非挑戦してください。といっても、最初は雰囲気が掴めないかもしれないので、実際に短歌は初めてというダヴィンチ編集部の方々にお願いして、「恋愛」のテーマでつくって貰いました。


との説明の後、編集者の短歌とそれについてのコメントが並んでいる。短歌の説明が「短歌は五・七・五・七・七の形式をもつ日本の伝統的な定型詩です。俳句とちがって季語は入れなくて大丈夫。」だけ。多くの短歌入門書が短歌の歴史から入ってるのとは対照的だ。それで次回からは「本番」なので早速短歌を読者から募集するというわけだ。

 簡潔な説明。シンプルなサンプル。選者穂村弘による明確な講評。短歌の歴史についての説明はなし。投稿されたもののレベルの高さと統一感。この簡潔さは読者に「やってけそう」感を与えるのには十分かもしれない。

 この構造は何かに似ている。

 そう。フジテレビの大喜利番組「IPPONグランプリ」及びそれの視聴者投稿版「IPPANグランプリ」だ。
 「IPPONグランプリ」は選ばれた大喜利の精鋭たちが互いの回答を競い合い、出演者自身が採点をするというものだ。出演者自身が採点するというシステムが歌会・句会的ではあるし、出演者も松本含めたスタッフが選んでいるし、選ばれた芸人も「松本人志以後」の世代の芸人だ。そこで出た回答に松本がコメントする(出場者には聞こえていない)。そこでセンスの統一感が表れ、点数を競い合う、採点することを可能にする。
 その「IPPONグランプリ」での芸人の答えが例示となっているわけで、番組視聴者は求めれる作風を理解した上で「IPPANグランプリ」に投稿し、幾つかの回答が番組で紹介される。
 そこでは『短歌ください』で穂村の短歌と遜色ないレベルのものが集まっているのと同様、芸人と比べても引けを取らない回答がそろっている。(さらに「IPPANグランプリ」もサイトは他の回答を採点しないと投稿できないシステムになっているので、批評と実作を兼ね備えた歌会・句会的であると言える。さらには問題まで募集しているのだ)。

 『短歌ください』には前衛短歌的なものは集まらないし、「IPPONグランプリ」には笑点的なものは集まらない。また、番組あるいはホームページを見れば短歌あるいは大喜利の歴史を知らなくても投稿できるところも共通している。「短歌ください」は短歌だが、短歌のサブジャンルともいえる。同様に「IPPONグランプリ」も大喜利だが大喜利のサブジャンルと言える。

 サンプル→実作というプロセスがあること、穂村弘・松本人志といった「企画の顔」的な存在がいることなどが、ある程度の作風の統一性を保ちながらも、個性を発揮し、密度の濃い空間が生まれている由縁だろう。

 しかし『短歌ください』と「IPPONグランプリ」には大きな違いが二つある。

 一つは、穂村は選者であるのに対し、松本はチェアマンであり採点に参加していないこと。それ故穂村の講評は明確なのに対し、松本の感想は「えええと」「うーん」などの曖昧さを残したものになっている。

 二つ目は、「短歌ください」には穂村が「わからん」短歌は載っていないが、「IPPONグランプリ」には松本にも「わからん」出場者が出ていることにあるだろう。
 どちらも会の統一感を出すことを重視しているが、「IPPONグランプリ」には、「もう中学生」のような(恐らく)ストレートに松本的センスの影響を受けていない芸人が度々出演する。
 そこでは「もう中学生」の発する従来の「IPPONグランプリ」の文法と異なる回答に出場者及び審査員が困惑し、会場は爆笑だが、点数は0点といった混乱を巻き起こし、松本も「よくわからん」とコメントすることが度々あった。「IPPONグランプリ」は、統一感を出すという方向とそれを壊す出場者といった矛盾を内包しているのだ。
 
 松本の曖昧さを残した解説と、「IPPONグランプリ」の文法から外れた出場者は、大会に大きな混乱を呼ぶが、同時に「IPPONグランプリ」の価値観を閉鎖的にするのを避ける役割を果たしている。
 『短歌ください』は後半(『短歌ください』2巻)になって、短歌の質(しつこいようだが俺が『短歌の質』などという言葉を使っていいのだろうか?)は下がっていないが、やや食傷気味に感じられることがしばしばあった。


 いずれにせよ明確なサンプルを示すことで、高いレベルの投稿を維持しているのは改めて驚くべきことである。
 
 
 一方で「現代詩手帖」の投稿欄は「既成の枠にとらわれない、真に新鮮な詩人批評家の登場を期待しています」「枚数、篇数の制限は特に設けません」と途方もなく自由で、年交代の選者がいるが、選者が変わると掲載作が一気に変わると言われている。当然、投稿欄の統一感はなく、選者のコメントも穂村のような明確な根拠や簡潔さはない。

 しかし穂村の短歌初心者への説明は何を見ても簡潔だ。
 同じ穂村の『はじめての短歌』(成美堂)を紐解いてみる。ここには穂村の短歌観が初心者向けに、よしとされる短歌とそれの改悪例が載っている。その中にこういうものがある。同書の40~41ページから引用しよう。


 鯛焼きの縁のばりなど面白きもののある世を父は去りたり  高野公彦

 ほっかほっかの鯛焼きなど面白きもののある世を父は去りたり (改悪例1)

 霜降りのレアステーキなど面白きもののある世を父は去りたり (改悪例2)

 お父さんが死んだんだよね。で、そのお父さんの死を悼んでいる歌で、(中略)普通、多くの人が作るのは改悪例1のような歌ですね。(中略)だ  けど、たまにこの改悪例2のような歌を作る人がいる。
 どういう人かというと、昨日まで営業部長をやっていたけど、定年になったから短歌でも作ってみようかなと思って短歌を作り始めたおじさん。昨日までいた世界の価値観に、まだ引っ張られているのね。…(中略)…僕も三者択一の中でこの中から選ぶなら、霜降りのステーキを選ぶけども、(中略)短歌的には、それはぜんぜん違う。
(中略)
 短歌においては、非常に図式化していえば、社会的に価値のあるもの、正しいもの、値段のつくもの、名前のあるもの、正しいもの、値段のつくもの、名前のあるもの、強いもの、大きいもの。これが全部、NGになる。社会的に価値のないもの、換金できないもの、名前のないもの、しょうもないもの、ヘンなもの、弱いもののほうがいい。
 そのことを、短歌を作る人はみんな経験的によく知っているので、鯛焼きのばりみたいなものを、短歌に詠むわけです。


 分かりやすい。明確な言葉と適切な例えだ。
 しかし、これは「霜降りのレアステーキなどを食べる営業部長をやっていたおじさん」が「普通」あるいは「社会的に力を持っている」からこそ成立したことではないのだろうか。
 平成生まれの若者たちにとってみれば、不況で基本的に金がなく、インターネットがあって当たり前になり、SNSや2ちゃんねる(のまとめサイト)やニコニコ動画のノリが一般的になり、恋人がいようがいまいが「リア充爆発しろ」とモテないアピールをしないとネット上で空気が読めない扱いをされるーそんな価値観が一般的になりつつある。
つまり「よわいこと」「変なこと」が若者にとっての「普通」「社会化」になってきている。

 例えば、マツコ・デラックスや有吉弘行は今やテレビで見ない日がないぐらいのメディアのスターという強者であるが、彼らはことあるごとに「私なんか」「俺ごときが」と自らを弱者の位置から外そうとしない。
 そしてそのマツコ・デラックスや有吉弘行の姿と「世界音痴」の穂村氏の姿がダブって見える。

 「弱ぶる」ことが社会で必要なスキルになってくると、社会的に価値のあるもの、強いもの、大きいものVS社会的に価値のないもの、名前のないもの、しょうもないもの、ヘンなもの、弱いものという構図が描きにくい。
 弱者が強者になり、強者が弱者になる時代。「強者」と指されれば結託した集団「弱者」に引きずり降ろされる。自らを「弱者」として規定し弱者化した「大衆」の指示を得られなければ「強者」にはなれないというパラドックスが潜んでいる。3500万人ぐらいの30代以下の若者は、貧困の危険性とこの世界にやりあえないんじゃないかという不安を抱えつつある。これからの日本は貧しくなる一方…かどうかはわからないが、そんなムードが若者を中心に広まりつつあるとは言えるだろう。「一億総中流」の時代は終わりつつある。これからは「3500万世界音痴」の時代だ。

 穂村の短歌観(ここでは『短歌ください』『はじめての短歌』で見られるもの)が一気に広まったのは、穂村氏の短歌が魅力的かつ説明が簡潔なだけでなく、今が強者と弱者が入れ変わる過渡期の時期だからではないだろうか? 
 不況で経済的な不安を抱えていたり、コミュニュケーションに不安がある「貧しい若者」の感性と穂村短歌が擁護する「社会的に価値のないもの、しょうもないもの、ヘンなもの、弱いもののほうがいい。」という価値観はすこぶる相性がいい。しかし「貧しい若者」の数が人口の過半数を超え、彼らの価値観が主流になった時、穂村短歌観はただの「普通」になるだろう。いずれ「霜降りのレアステーキなどを食べる営業部長をやっていたおじさん」の絶対数が減り、彼らが「弱者」になった時、穂村短歌は何を「弱者」と規定していくのだろう。
 

 穂村は塚本短歌について、塚本邦雄の逝去した2005年に出版された『塚本邦雄の宇宙』(思潮社)にて「『戦後』の終焉」という追悼文を書いている。一部引用する。


 一九八〇年代に大学生だった私は自分が生まれる前に書かれたこれらの歌(引用者注・塚本短歌のこと)に出逢って魅了された。なんて面白い言葉のパズルなんだ。(中略)そんな風に思った私は引用化の「日本脱出したし」「さらば青春」「かつてかく」に込められた切実感を完全に見落としていた。
(中略)
 彼は言葉のモノ化をベースとする高度なレトリックによって「戦争」を撃った。(中略)彼の作品世界の本質には、「戦後」的な喜びと快楽に充ちたレトリックによって「戦後」の流れを撃つ、という二律背反性があったと思う。
(中略)
 塚本邦雄はモチーフと表現の両面から(その二律背反性をも含めて)、まさしく「戦後」を象徴する歌人だと思う。彼の死によって「戦後」は終わった。後に残されたのは「戦前」とも「戦争」とも無関係な、無重力時間としての「戦後後」である。
 今、私たちが目の前で手をひらひらさせると、そこは重力も方角もない世界。武器どころかオモチャとしての言葉さえ溶けてしまうそんな場所で、私たちは、私はどんな歌を作ることができるのだろう。
 

  
 穂村の表現を借りて言うなら今は「戦前前」とも言える物騒な世の中だ。戦争がはじまって見なければ今が戦前なんてわからないが、どのタイミングで今が戦前になってもおかしくない。こう書くと「戦争ノイローゼ」と言われてしまいそうだが、10年前よりはるかに物騒な世の中になっているとは言えるだろう。「もはや平和ではない」と歌うロックバンドが現れ、「反日」だの「ネトウヨ」だのが騒がしい世の中ではなかったはずだ、10年前は。そもそも世界を見渡せばずっと「戦中」であり、その「戦中」を無視を決め込んでの「戦後」であり「戦後後」である。しかし法案およびそれの運用次第では「他国は戦争だが日本は戦後後」といった態度はとれなくなるだろう。

 2005年というと、徐々にオタク文化が一般化し、ネットの影響力が増してくる時代だ。オタク=マイノリティー=弱者という等号が、オタク=マジョリティー=自称弱者・実質強者に転換してきたのだ。逆に言うと2005年の段階では、まだオタクは、穂村的短歌観は弱者だったとも言える。穂村氏の言う「無重力時間としての『戦後後』」はむしろ終焉に向かっているのではないか。誰でもネットで発信できることになった反面、少しでも迂闊なことを言うと誰もが炎上する危険性のある「炎上社会」「監視社会」に日本は変わってしまった。
 穂村は所謂オタクではないだろうが、自らを世界音痴と規定し、この社会との違和や馴染めなさを発信していくという点ではオタク的である。
 無論穂村が「炎上社会」を奨励しているとか、物騒な世の中を作ったのは穂村だなどと言うつもりは毛頭ない。「オタクが悪」「ネットを捨てろ」ともいう気もない。
 ただ、穂村的な下から目線が今の時代にあまりにも対応しすぎてしまったのだ。

 穂村的短歌観が一般化したことで、無重力時間としての「戦後後」は終わった。
 もう穂村は弱ぶってはいられない。いや、弱ぶってはいないのだろうが、少なくとも自分の感性が大衆側につきつつあることを自覚せねばならない。いや、それも違う。「世界音痴」の穂村を「強者」の側に規定したって同じ事だ。「強者」「弱者」という二元論を超えるもの作らなければならないのだ。
ではどうやって?
 塚本が、「戦後」的な喜びと快楽に充ちたレトリックによって「戦後」の流れを撃ったように「戦後後」的な無重力時間から生まれたレトリックで「戦前前」の流れを変えるしかない。
 そしてそれは「IPPONグランプリ」の「もう中学生」のように「笑い」と「困惑」を生む二律背反の表現になるはずだ。
 「弱者」の言葉がいつの間にか「強者」の側にねじ曲がる場所で、僕たちは、僕はそんな詩を作るつもりです、穂村さん。

 え、「クリントン 秘書にセクハラ なお威張る」の二の舞じゃないかって?
 いや大丈夫だよ、だって俺才能あるし。この短歌評最後になんか違うものになっちゃったけど。

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2 コメント

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 (工藤吉生)
2015-06-02 14:08:27
はなんでしょう? 何も書かれていないようですが。
 (工藤吉生)
2015-06-14 10:54:09
前のコメントはなんでもありません。失礼しました。

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