「詩客」短歌時評

隔週で「詩客」短歌時評を掲載します。

短歌評 知花くらら『はじまりは、恋』という22の連作からなる「連作」 谷村 行海

2019-08-14 16:28:23 | 短歌時評

  知つてるでしょきつく手首を縛つても心まで奪へぬことくらゐ

 知花くららは2006年にミス・ユニバースの世界大会で準グランプリを受賞し、モデルとして活動を続けてきた。一方、歌人としても活動し、2017年には角川短歌賞佳作、2018年も角川短歌賞予選通過を果たしている。
 掲歌は彼女が今年の6月に発刊した第一歌集『はじまりは、恋』(角川書店)の巻頭歌。この一首を含む連作のタイトルも歌集の題名と同じ「はじまりは、恋」。恋人とすれ違い、やがて破局を迎える様子が描かれた連作のようだ。

  チュイルリーのネオンの移動遊園地ねえそつときみの射的の的にして

 同じく「はじまりは、恋」のなかの一首。よくよく考えてみると射的とは不思議なものだ。日本で定着した射的では、縁日でみられるように景品目がけて球を発射し、撃ち落とされたものが自分の手元にやってくる。痛めつけたあとにそのものを我が物にしてしまうという「恐ろしさ」を秘めていて、それが遊びとして定着している。調べた情報によるとチュイルリーの遊園地の射的では、日本でよく用いられるコルクの代わりに火薬の入った球を使用するのだそうだ。そうすると、日本の射的よりも的に対する痛めつけはより強いものになる。
 恋愛も射的の的のように相手に身をゆだねることがある以上、自分の一部が相手に支配されてしまう。その支配は強いものもあれば弱いものもある。しかし、いくらそうやって支配されたとしても、やはり「心まで奪へぬこと」なのだろう。歌集の題名にもなっているように、そうした恋愛に対する歌がこの歌集には数多く収録されている。

 

  制服の裾から見える骨張つた両膝の間に命は宿れり

  学校は歩きて遠く思ひて遠く明日は知らぬ男に嫁ぐ 

 恋愛に関する歌がある一方で、海外に目を向けた歌が多いのもこの歌集の特徴だ。知花くららは国連WFPの大使としても活動を続けてきた。これらの歌からはその活動を通して目にしたであろうその地の現実がよく伝わってくる。
 同時に、先ほどふれた恋愛に関する歌との相違が目を引く。恋愛を題材にした歌では、作中主体としての自己の内面が歌のなかにはっきりと現れていた。しかし、引用した2つの歌を見てもわかるように、異国のことを詠んだ歌については伝統的な俳句のようにあくまでも事実を描写したものがほとんどで、自己表出はほとんど起きていない。こうした差を示すかのように、恋愛を含めて自己の周りに目を向けた歌と海外に目を向けた歌とが1つの連作に混在しているものはほとんどなかった。

 ここで、彼女が2017年に「ナイルパーチの鱗」で角川短歌賞の佳作になったときの選評をみてみたい。応募時の「ナイルパーチの鱗」は後半にくる15首ほどを除き、その多くが海外での経験をもとにした(であろう)短歌によって構成されている。

 “前半はドキュメンタリーとして非常に面白く読ませていただいたし、考えさせる面もあったのですけど、やっぱり後半との関連性という面で疑問が残りました”(東直子)

 東直子が「ドキュメンタリー」と評したように「六頭の山羊が贈られけふからは妻となる卒業式のかはりに」など、応募時の連作でも海外詠は内容面で客観的な描写が多い印象を受けた。一方、後半に出てくる歌には「あの晩のあなたの匂ひのするシーツを洗へずにゐる夜10時」など、やはり内面が表れているように思える。

 “難民キャンプに行ってボランティアしていることとそうでない自分があるから、こういう構成もあるかなと思ったけど、後半は弱いかな”(伊藤一彦)

 “後半が自分になるんだけど、前半難民キャンプで作者がもうちょっと出てくるということと、後半日本に帰ってから難民キャンプにいたことがどういうふうに生活に反映しているかということが、もうちょっと交錯している方がいいだろうということが惜しい”(永田和宏)
 
海外の難民キャンプまでボランティアに行くという行動性、生きる力の強さが出てて、前半はパワフルでいいと思った。後半の自分の話になってくるのが、分裂という感じ、あるいは話題が尽きたから書くみたいな感じで、一連の構成としては惜しまれる”(小池光)

 そして、選考委員4名全員が構成面での甘さを指摘している。
 歌集に戻ろう。『はじまりは、恋』にも「ナイルパーチの鱗」と題した連作が収められている。しかし、この「ナイルパーチの鱗」は角川短歌賞応募時のものとはまったく別の作品と言えるほどに大きな変容をとげている。まず、角川短歌賞応募時の50首から歌を大きく削り、22首の短歌によって連作が構成されている。そのうえ、さきほどふれた「六頭の~」のように海外を詠んだと思われる歌の多くはこの削られた歌のなかに入っており、再構成された連作は日常の歌が中心を占めている。
 ここまで極端に内容が変わっていると、彼女が意図して海外詠と日常・恋愛の歌とをわけているであろうことが推察される。ゆえに、ほかの連作でも海外は海外といった具合に内容を細かくわけて歌集に収録したのだろう。
 こうして細かくわけられたことにより、恋愛に関する連作を見た後に今度は海外、そしてまた恋愛と、ぐるぐる入れ替わる作品を見ていくことになる。その内容のギャップは連作間で互いに効果を及ぼし合っているように思えた。日本で恋愛に悩む「私」がいる一方で、海外では苦しい生活を強いられている人たちがいる。そうした相対化により、今を生きている「私」の生活に新たなまなざしが徐々に介入されていく。これは複数の連作が並ぶ歌集単位でしかできないことだろう。その点において、知花くららは歌集の効果をうまくいかしていると言えそうだ。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿