わたしの好きな詩人

毎月原則として第4土曜日に歌人、俳人の「私の好きな詩人」を1作掲載します。

私の好きな詩人 第98回 -ポール・ヴェルレーヌ=渋沢孝輔- 有働薫

2013-05-10 19:01:09 | 詩客
白い月

白い月
森に映え、
葉をふるわせて
発する声……

おお、愛するひとよ。

底深い
池の鏡に
映る影、
その黒い柳に
風は泣き……

さあいまは、夢みる時。

ゆったりと
やさしい和らぎが
月の渡りの
虹色の空から
降りてくるよう……

いまこそは たえ妙なる時刻。


原詩を透明な紙に記し、裏に訳詩を記したような、双子の影のような訳詩の美しさに魅せられる。実生活と詩の追求の意志との狭間をのた打ち回ったヴェルレーヌだが、その詩的闘争の前夜にすでにこれほどの詩的結晶に到達していたのだ。「不死性というのは、他人の記憶のなかに存続しつづけるのである。」(ボルヘス、中川千春「詩の永遠についてIV」より)
この詩に20世紀初頭の作曲家レイナルド・アーンがまだコンセルバトワールの学院生時代に作曲しヴェルレーヌの前で自分でピアノを弾きながら歌ってみせたというのは、詩人の最晩年のことである。そして21世紀のはじめ若いカウンターテナーの歌手がCDに歌い、いちばん自分にぴったりな曲だとYouTubeで語る。こうやって不死性は繋がっていくのだろう。
もうひとつ、ランボー狙撃事件で服役中の作品とされる「空はいま、屋根の上に」もまたアーンによって曲名を「牢獄より」として作曲されており、マリー=ニコル・ルミューがコントラルトのふくよかな透明感をもって歌っている。ヴェルレーヌの詩の到達点である実存的意識の詩化の永遠の現前を見る。これもランボー学者だった渋沢さんの最晩年の日本語訳で、私の人生の節々でよみがえり、人間的な感情を汲み直させてくれる、私の詩的自意識にとって不可欠の詩であり、詩は詩人ひとりだけのものではぜったいにないことを明かしてくれるのである。

空はいま、屋根の上に

空はいま、屋根の上に、
あんなに青く、あんなに静か!
ひともと一本の樹が、屋根の上で
枝葉をゆすっている。

鐘の音が、あそこに見える空の中で
やすらかに鳴りわたる。
あそこに見える樹の上で 一羽の鳥が
嘆きの歌をうたっている。

ああ、神さま、神さま、人生はあそこに
素朴に 物静かに。
あの和かやかなざわめきは
街のほうからやってくる。

――どうしてしまったのか、そこにそうして
きりもなく泣いているお前は、
ねえ、どうしてしまった、いったいお前は
おまえの若い日を。


(了)

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