わたしの好きな詩人

毎月原則として第4土曜日に歌人、俳人の「私の好きな詩人」を1作掲載します。

私の好きな詩人 第95回 -寺山修司- 白鳥央堂

2013-03-27 11:01:09 | 詩客
 詩人、という理想像について、松本圭二はスナフキンをそこにあてはめていた。ムーミンの、スナフキン。常に事態の傍観者でありながら、ぽつりとつぶやく言葉が物事の本質にまで届くような、代えのきかない、気の利いた存在。さらにスナフキンは仲間への助力を惜しまない、時に汗を流し、共に笑う。現場作業者としての秘めた優秀さ。
 詩人はどこにいるのか。僕にとっては、それが問題だった。じぶんが最初に詩を書いた日から十年が経とうとしている今、出会ってきたいくつかの詩、わずかばかりの詩集、それらが世界の秘密を揺るがしにかかる単独行の様、それを間近に見てきたはずだった。まざまざと見せつけられてきたはずだった。そうでなければおかしかった、今どんなにじぶんの気持ちを掘り下げても好きな詩人のひとりも見当たらない理由、ひとつにはそれらの詩のあまりにも奇蹟的な在り方が自らの輝きによって著者名さえ白く焼き飛ばしてしまうこと(嘉村奈緒「光のつぶてとパッセ」)、もうひとつには「詩人」の肩書きを甘受できるような詩作に関心を持つことができず、あらゆる剥奪の後に立つような詩ばかりを選って読んできたこと(中尾太一は「詩を書くひと」であり、やがて「詩を書いたひと」にはなるかもしれないが、「詩人」にはならないだろう、けして)。理由があるのだから、「好きな詩人はいない」という回答、それでいいようにも思えた。けれど、けれどだ。詩人、という言葉には聞き覚えがあった。皺の毛羽立った更紙の茶、印字の掠れたコピー。それは、最初の詩を書く以前、じぶんと詩とがまだなんの結びつきもなかった高校一年生の時に、現国の教師が配ったプリントの思い出だった。天声人語の(それはどうでもいいが)、そこに書かれた寺山修司の。
 
 きらめく季節に
 たれがあの帆を歌ったか
 つかのまの僕に
 過ぎてゆく時よ

夏休みよさようなら
僕の少年よ さようなら
ひとりの空ではひとつの季節だけが必要だったのだ 重たい本 すこし
雲雀の血のにじんだそれらの歳月たち


(「五月の詩・序詞」)

 記事の内容はもう忘れたし、それは関係がない。ただ載せられていた引用部分が頭のどこかに引っかかり、それから先何ヶ月も、机の中で捨てられないプリントの山と一緒に、まとまらない想いを燻らせていた。「詩」も「詩人」も知らなかったから、これが詩なのかとおもい、このひとが詩人なのかとおもった。改めて読むと、感傷を演じるような言葉の運びにつまずかないわけでもないが、その時は見知らぬ土地で良い友達を見つけたような充溢感が静かに静かに浸透し、どうしても引用のわずかな箇所が読みたくなって、机の中を漁ったこともあった。その翌年、ハルキ文庫から出ている寺山修司の作品集を買い、気に入った詩行を携帯で写メして壁紙にするなどした。ほどなくして同じハルキ文庫のシリーズの吉増剛造詩集を買い、その本の編者であった稲川方人の名を心に留め、などして現代詩に傾く準備が整っていった。僕の話だ。

 目つむりてゐても吾を統ぶ五月の鷹

 プリントに引用されていた寺山の句だが、その前後にあった「警句」という語と文意の上でまぜこぜになって、単に一行詩としてながらく上を読んでいた。てのひらに収まる一行はかっこいいバッジのようだった。詩人はバッジをつけたヒーローのようだった。
 今は、どう。
 これからは、どう。
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ことば、ことば、ことば。第1回 馬  相沢正一郎

2013-03-16 13:16:23 | 詩客
 ハンガリーの映画監督タル・ベーラの『ニーチェの馬』の冒頭、荒野の吹きすさぶ風のなか、喘ぎながら荷車を引く馬――土色のがっしりした体形は農耕馬だろうか。登場人物の父親は、右手が不自由だ。荒い息遣いの馬は、文字を書く方向に逆らって右から左へと、ビーグ・ミハーイの緊迫した音楽と強風のひびきとともに延々と走る。
 もうだいぶ前に観た映画だが、いまでも強烈に焼き付けられている。この馬の走るシーンで思い出したのが、「魔王」。シューベルトの曲で、たしか中学校の音楽の時間のときに聴いた。急き立てられるような緊張感がたたみこまれ、幼年時代に病気の高熱でうなされた記憶とも重なる。ゲーテの「魔王」の詩を読んだのは、音楽からだいぶ後。
 《何びとぞ 風荒ぶこの小夜更け馬を駆り行くは?/そは子を伴える父なり。父は子をその腕に、/暖けく 確と抱けり。//「吾子よ、何なればかくも怯え顔を覆う?」/「父よ、見ずや、かの魔王の姿を?/冠かぶり裳裾ひける魔王の姿を?」/「吾子よ、そはただ霧のたなびけるのみ」》。
 山口四郎の格調高いことばの音楽を生かした翻訳。夜の森を熱病に喘ぐ子を掻き抱き、父は馬を走らせる。最後、やっと家に辿り着いたものの、父親の腕のなかで子どもはすでに死に果てている。映画『ニーチェの馬』の登場人物は父と娘だった。なぜか父と馬は重なるような気がする。(また、魔王は父の負の側面のような気がする)。
 さて、シェイクスピアの芝居『リチャード三世』といえば、「薔薇戦争」の血で血を洗う抗争、暗殺の横行する時代を背景に、悪の歓喜に身を 任せるヒーロー。敵軍のリッチモンド伯ヘンリーに攻め寄せられ、最後に《馬をくれ、馬を! 馬のかわりにわが王国をくれてやる!》という名台詞を吐いて殺される。
 ここでは、逃げるための道具、という以上に、生命力の衰弱した「父」が求める過剰な「力」(ときに、暴力とかセックスアピール)ではないかと思う。それでは、「力」あるいは「走る」イメージとは別の馬は、と見まわしてみると、詩作品のなかにたくさん出てくる。まず、シュペルヴィエル(飯島耕一訳)の「動作」。
 《うしろをふり向いたその馬は/誰も見たこともないものを見た/それから彼はユーカリの木のこかげで/また草を食べつづけた。(……)/それはこの馬より二万世紀も前に/もう一匹のある馬が おなじ時間に/急にうしろをふり向いて/見たそれだった。/(……)
 以前にテレビを観ていたとき、ある能役者が、子どものときには動きは割と自由だったが、大人になってからわずかな動作になり、その分おおきな力を溜め込むようになった、と語っていた。《誰も見たこともないものを見た》馬のかすかな仕草にも、宇宙のひろがりと同時におおきな時間を感じる。キューブリック監督の映画『2001年宇宙の旅』で、類人猿が宙に投げた骨が宇宙船に変わった、あの冒頭シーンも思い出した。
 「走らない馬」で思い出したのが、三好達治の「大阿蘇」。ここでも今の瞬間と永遠がある。《雨の中に馬がたつてゐる/一頭二頭仔馬をまじへた馬の群れが 雨の中にたつてゐる/雨は蕭々と降つてゐる/馬は草をたべてゐる/尻尾も背中も鬣も ぐつしよりと濡れそぼつて/彼らは草をたべている/草をたべてゐる》。阿蘇山で、蕭々と降り続く雨に濡れながら詩人は、草を食べる馬を眺めている。繰り返される「ゐる」という現在形動詞のリズムと、《もしも百年が この一瞬の間にたつとしても 何の不思議もないだらう》といったフレーズの永遠が溶け合っている。
 最後に、もうひとつ。山村慕鳥の「馬」。《だあれもゐない/馬が/水の匂ひを/かいでゐる》。達治の「大阿蘇」でもそうだが、「馬」が「水」に近づくと、精神的になる気がする。慕鳥の馬は、草を食べるのではなく、がつがつ水を飲むのではなく、鼻づらを水面にちかづける微かな動作。いつ、どこの光景なんだろう、静かな雰囲気と水彩画の透明感。
 まだまだ馬の登場する作品はたくさん。とくに宮沢賢治や水野るり子、天沢退二郎などの「馬」についても触れたかったが、紙面も尽きたので、またの機会に。
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私の好きな詩人 第93回 -黒田三郎- 野村龍

2013-03-11 15:06:34 | 詩客
 「一番すきな詩人は、黒田三郎さんです。」
 そう答えると、
 「ほんとうですか? 今、あなたが書いていらっしゃるものとは、まったく違うじゃないですか。」という言葉が、必ず返ってくる。
 しかし、ほんとうなのだから仕方が無い。
 私にとって、最もすきな詩人、最も影響を受けた詩人は、川崎洋さんでも、松浦寿輝さんでもなく、黒田三郎さんなのである。
 では、私は、黒田さんがお書きになったもののどこがすきなのか、どこに影響を受けたのかを、簡単に見てみよう。

 ある詩人を敬愛するとき、書く者のエクリチュールは、自然と敬愛する詩人のそれに酷似するようである。
 私は、松浦寿輝さんがお書きになったものに、言葉では言い尽くせないほど多大な影響を受けた。それは、私が高校生から大学生の頃のことである。
 昔話になって恐縮であるが、少々お付き合い願いたい。
 かつて、西武百貨店池袋店の書店部門「LIBRO」は、百貨店の最上階、12階にあった。そして、その12階でエレベータを降りると、すぐ左手に、ガラスで外界から区切られた、何とも言いようのない、「暗い」コーナーが現れた。これが、思潮社の直営店舗、「ぽえむ・ぱろうる」である。
 「ぽえむ・ぱろうる」は、詩集を中心に扱う、極めて詩集に特化した店舗だった。私がここ、「ぱろうる」に通い始めたのは高校生の頃だったから、ちょうど昭和の末頃の話だと言える。そして、この「ぱろうる」で、ちょうどその時期、販売されていたのが、同人誌『麒麟』だったのである。
 『麒麟』については、私が今更語ることでもないと思われるので、説明は割愛させて頂く
高校生の私は、『麒麟』誌上で松浦さんの作品を貪るように読んだ。そしてそれ以降、私が書く「詩」は、松浦さんそっくりの散文体となり、フランス文学を学ぶことを選んで、それからごく僅か後、私は仏文科の学生となったのである。

「では、あなたの黒田三郎さんは、どこへ行ってしまったのか?」

 それをこれからご説明しよう。
 仏文科の学生となった私は、「文学研究会」と言うサークルに所属していた。そして、それまでまったく書いたことのなかった、「詩」なるものを少しずつ、書き溜め始めたのである。
 「詩」では、「説明」する必要が無かった。「説明」が出来ず、小説を諦めていた私には、これは感動的なカルチャーショックだった。
 「物語もいらない」「意味さえもいらない」。そのような「詩」に、私はあっという間に取り憑かれてしまった。
 その時、私は多くの詩を書いたが、また、それと同じく、多くの詩を読んだのもこの時期である。
 松浦さんの本は言うに及ばず、硬軟併せて様々な詩集を読んだ。「現代詩文庫」は、既に「ぱろうる」で、その存在を知っていたが、本格的かつ縦横に読んだのは、学生になってからだった。
 その、「濫読の果て」に、黒田三郎さんの詩に出会ったのである。

 そこには、私が求めていた「秩序」と「美」とがあった。『失われた墓碑銘』(1955)から、冒頭の「道」を引いてみる。



道はどこへでも通じている 美しい伯母様の家へゆく道 海へゆく道 刑務所へゆく道 どこへも通じていない道なんてあるだろうか それなのに いつも道は僕の部屋から僕の部屋に通じているだけなのである 群衆の中を歩きつかれて 少年は帰ってくる


 こんなに短い作品においても、意味は既に破綻し、意味の用を為していない。
 「どこへでも通じている」と言う道が実際にはどこにも通じておらず、「僕」という人称は、記憶から消える前に、すぐ近くで「少年」へと説明なしに客体化されてしまっている。
 しかし、この言葉の連なりの中には、清冽な火が点ってはいないだろうか? 今、「清冽」という言葉を使ったが、黒田さんの他の詩作品にも、清冽な火は、一貫して点っているはずである。それが、「詩」というものではないだろうか。

 私も、今でこそ、現代詩の出来損ないのようなものを時折書いているが、かつては(セルゲイ・プロコフィエフ張りの)「古典的な」行替え抒情詩の書き手だったのである。だからどう、と言うことは、何もないのだけれども。
 ただ、ごくたまに、「意味の解る詩を読むと、ほっとするなぁ」と思うことがあるのは確かである。他でもない、この私が、「意味などない詩」を書いているのではあるのだけれども。

 論を急ぎすぎたかも知れない。
 黒田さんには、言うまでもないことだが、他にも火の点った「詩」が、数え切れないほど存在する。あといくつか、黒田さんの作品を実際に引いて、「火=詩」について語りたかったが紙数が尽きた。また機会を与えられれば幸いである。
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