わたしの好きな詩人

毎月原則として第4土曜日に歌人、俳人の「私の好きな詩人」を1作掲載します。

私の好きな詩人 第175回 ―小松郁子― 斎藤恵子

2016-05-16 10:04:44 | 詩客

 小松郁子さんは岡山県出身の詩人である。晩年になるにつれ西大寺(現岡山市東区西大寺)のことを書き、私は読むたび見ぬ時代の情景に包まれた。変哲のない短いことばが、杳とした世界を作る。最後の詩集『わたしの「夢十夜」』(2008年 砂小屋書房)の冒頭の詩。

  村の朝

  えのころ草のそよぐような
  美しい朝だった

 タイトルを入れて3行の短い詩である。えのころ草は狗(ゑ、犬)の子草といわれ、子犬の尾の形の垂れた花穂を持つ。猫がじゃれて遊ぶというネコジャラシとも呼ばれる。この小動物の尾のような花穂が群生して揺れるのを見ると私は薄気味悪さを感じる。なまなましく蠢くものが、ぞわぞわ音を立て迫る。折れそうに細い茎、薄く手の切れそうな葉、暗さがあり不吉感が漂う。私がこの草に気づくのはたいてい夕方である。「そよぐような」とあるから、そよぐ朝ではなく、そよぐ気配のする「美しい朝だった」のだ。村のひとたちがそれぞれ風に揺られるように暮らし、村に住んでいた少女のころは意識もしなかったのだが、何十年も経って老年になった今、揺れる少女の記憶が立ち上るのである。生きていることが美しい朝だった。
 記憶は、陰影のあるできごとでなく、日々忘れてしまうような些末なことの積み重ねから作られる。それがひとを作っていく。

  ほうき草

  ひろい庭(かど)のすみっこにはほうき草が生えた
  祖父は毎年それで
  庭ぼうきをつくっていた
  東京のお花屋さんで
  今日
  そのほうき草に出あった
 
 小松郁子さんは西大寺の女学校に勤めていたが、戦後しばらくして上京し職に就く。萩原葉子さんと親しかった。
ほうき草は、ネコジャラシの花穂を巨大にした形で、丸まった動物を思わせる。祖父が庭ぼうきを作っていたのは戦前の時代かもしれない。思い出が呼び起されるのに関しては、時間は存在しない。時間の不思議。苦しかったことは消え、ほうき草を見たことで祖父を思い出し慰められる。些細なことが大きな意味を持つ。ひとの難解でありながら単純である不思議。平明に思える詩の中に、ひとの謎のようなものがあり、そこに私は惹かれる。
 
  石畳

  石畳を一歩づつ踏んで
  母屋の方に歩んでいく
  母屋は体温のようなあたたかさが感じられて
  よろこんでむかえ入れてくれるようなけはいだ
  親しいたれかが まだ住んでいるのかもしれない
  石を一歩づつ歩いていく

 夢のようなあたたかさに満ちている。わたしを待つひとたちがいて、障子から明かりがこぼれ、台所のほうから夕餉の支度の音が聞こえてくる。ありえないことなのだ。だれも住んでいない古い家。いや家もあるかどうかわからない。それでも一歩づつ歩いていけば、近づくたびうれしさに胸が躍る。歩いているうちに少女に戻ってくる。幼年のしあわせが一歩一歩前に歩ませるということは、ありきたりのことだけれど、ひとの喜びはありきたりの中にあるのだ。だれかが住んでいるような気がしても、おそらく会わないだろう。こころの中にそのひとたちは生きていてからだの一部になっている。幼いしあわせなわたしが生きている。母屋へ歩みながら、わたしは今を保っている。「石を一歩づつ歩いていく」、死への歩みとそれを超える生のほの明るさを感じた。
 
 詩「旭館」の中に「その頃女学校は小さな丘のような金山の東側の斜面にあって」とあり、私は「その頃」は知らないが、後にその女学校の跡地にある職場に勤めた。坂を上るたび、小松郁子さんも上ったのだと思った。西大寺の観音院や町を歩きながら、どのあたりに母屋があったのだろうかと見回した。私の詩の中の「ねぶった」ということばに「郷里を思い出しました」というお便りを頂いた。


私の好きな詩人 第174回 ―波多野裕文(People In The Box)― 睦月都

2016-05-08 18:26:01 | 詩客

 波多野裕文は詩人ではない。People In The Boxというバンドのヴォーカル/ギタリストで、その作詞作曲を担うアーティストである。
 詞を詩と呼べるかどうか、アーティストを詩人と呼べるかどうか、ということをレトリック抜きで考えていくと煮詰まってしまうのだけど、詩の持ちうる性質ということを考えたとき、波多野裕文の詞は「詩」的であると私は考える。

***

かくして僕は塔に君臨した
さあ角砂糖を献上せよ
遠い眼下をのぞき込んだ そこに元の君の姿はない
印刷機が作った未来の歴史
退屈な病に血清はない 革命に血は流されないからだ ――「旧市街」(『Family Record』収録、2010年)

 波多野裕文の歌はかつて、――若き詩人の多くがそうであるのに似て、――美しい内的世界への志向が強かった。自分たちだけの美しい王国を構築し、城壁を高く堅牢にすることで、外側の暴力的な世界への抵抗を試みていた。
 People In The Boxの音楽には歌詞の主体(”僕”)や客体(”君”)が幼い子供としてあらわれるものが多いが、『Ghost Apple』(2009年)や『Family Record』(2010年)の頃は特に顕著である。子供たちは現実世界に抑圧され、脅かされながらも、その力をふるう者(大人、神様、社会)の庇護なくては生きられない存在を象徴している。その子供たちが傷ついた果てに逃れ着くのが空想の王国だ。”僕”も”君”もそこで外の世界を呪い、また、”死”によって”次の世界”へ生まれ変わることを待ち望んでいる。
 その”王国”は傷ついた自我を匿うシェルターであると同時に、既存の権力に対するアイロニーでもあったと思う。前掲の「旧市街」では塔に君臨する王は”僕”だが、そこには同時に”革命”があり、また歌詞全体では王たる”僕” は”僕”自身に手にかけられ、新たな”僕”が王座につく……という円環構造になっている。また同じく『Family Record』収録の「JFK空港」はそのモチーフに「旧市街」とゆるやかな繋がりを見いだせるが、そこに描かれているのは「我らが愛すべき愚かな王様の/国を挙げてもてあます休日/アルコールの海に漕ぎだして/遭難したことを決して認めようとしない」と怠惰な王であり、権力側としてみなしてやや突き放した態度を見せる。また同年に発表されたシングル「天使の胃袋」(『Sky Mouth』収録、2010年)には、「だけど空席の王座へ飛ぶシュプレヒコール/僕らの欲望が吹き飛ばすパレード」というフレーズがあり、こちらでは”僕ら”が民衆の立場となって、盛大に異を唱えている。
 いずれにせよこの時点ではまだ、権力や現実世界による抑圧というのは実体の見えない大きな怪物のようなもので、People In The Boxの世界軸に沿って登場する架空の巨悪といった匂いを残している。その王国は現実世界の醜さを前提としているが、それゆえに、現実世界とは違って美しい。現実世界には相変わらず暴力が吹き荒れているが、内側から眺めているかぎり、傷だって美しく見える。

 しかし波多野は今、あえて現実の暴力的な世界に身を晒し、その上で音楽を生み出していると感じる。築き上げた城壁を解体し、現実にある痛みを引き受け始めたのは、6枚目のアルバム『Citizen Soul』からであったように思う。『Citizen Soul』は2011年8月、東日本大震災の混乱が強く残る中で録音された。

言葉が鳥のように晴れた空を飛んでいる
東京に溢れるこのくだらない信仰のなかで
僕らは議論を白熱させるくせに

あの太陽が偽物だって
どうして誰も気付かないんだろう
あの太陽が偽物だって
どうして誰も気付かないんだろう ――「ニムロッド」(『Citizen Soul』収録、2012年)

 波多野は2011年5月15日のブログ(1)で原発事故のことを取り上げ、当時の状況に強い憤りを表明している。その中には、"経済"や"情報"、"企業が利益の為に架空のニーズを作"るといったふうに、『Citizen Soul』以降のPeople In The Boxのテーマに据えられる重要な感覚が多く登場する。
 また2012年1月17日、『Citizen Soul』発売前日のブログ (2)では、次のように述べている。

「歌詞に関していえば、僕は一貫して醒めていました。
そして醒めていたいと思っていました。
音を通じて無意識下へ潜り言葉を拾い集めるという作業方法は今までと一切同じでしたが、
出来上がったものは自分でも説明のつかないほど自分の実在する世界と
具体的に強く結びついていました。
僕はいままで歌詞に関して明確な説明をしてきませんでした。
それは解釈を狭めて欲しくないという思いもありました。
(それが成功していたかどうかは正直わからない)
しかしそれよりもいちばん大きな理由は、核心を説明する言葉が、
自分にもわからないということです。と同時に、もしもそれがわかってしまったとすれば、
僕には歌詞を書く理由がなくなるということでもあります。
『Citizen Soul』の録音が終わって自分自身で気付いたことがあります。
People In The Boxの歌詞は、強いメッセージであるということです。
そして、答えは、ない。わからないということ。」

 作者の思想と作品とをむやみに絡めることには個人的に抵抗があるが、『Citizen Soul』の楽曲に、2011年当時の様相が少なからず反映されていることは否定しがたいだろう。引用した「ニムロッド」の“言葉が鳥のように……”は当時大きな問題となったデマや情報の錯綜を思い起こさせるし、“太陽”は原発とも読みかえられる。しかしだからといって『Citizen Soul』は“反原発メッセージ・ソング”ではありえないし、また同時に、社会とは全く無関係の創作でもありえない。あえていうならば、世界が波多野裕文を媒介して、People In The Boxの音楽で“再現”される、と、ここでは捉えてみたい。
 波多野は2015年に行われたインタビュー で(註3芸術って、計算式の解の部分じゃないんですよ。数式の部分なんです」と言っていて、それは私にとって非常に受け入れやすい考えだった。音楽は数式としてわたしたちに渡され、わたしたちの中でそれぞれ展開される。その過程で、聴き手の内部に発生するさまざまなイメージや熱を喚び起こすもの――たとえば作詞家が「戦争は悪だ」と書いた場合、その歌からは戦争の“悪”以外の側面がすべて削り落とされてしまうのだけど、同じ戦争の時代を経過した人々でも、その人の立場や考え方やそのときどきの状況によって「戦争」に対する無数の捉え方があって、そのときどきのその人それぞれの思いを開く鍵のようなもの――が、波多野裕文の詞であり、People In The Boxの音楽となっている。彼らの音楽性や歌詞に対してしばしば言われる「難解」というフレーズは、あるいは、ただひとつの真なるものに対する無数の視点が許されていることに起因するのではないだろうか。

***

 波多野裕文の放つ言葉と世界との対峙の仕方に、私は田村隆一の詩と似た感覚を受ける。

わたしは地上の死を知っている
わたしは地上の死の意味を知っている
どこの国へ行ってみても
おまえたちの死が墓にいれられたためしがない
河を流れていく小娘の屍骸
射殺された小鳥の血 そして虐殺された多くの声が
おまえたちの地上から追い出されて
おまえたちのように亡命者になるのだ

  地上にはわれわれの国がない
  地上にはわれわれの死に価いする国がない ――田村隆一「立棺」(『四千の日と夜』)

 戦後詩を代表する詩人・田村隆一は、言葉で世界に立ち向かった人であった。第一詩集『四千の日と夜』は徹底して観念的でありながら、死の感覚、荒廃した世界の気配、時代に対する危機感を読み手の中にありありと喚び起こす力を持つ。
 波多野も田村も、時事的な現象をただ歌い上げるのではなく、詩/詞/言葉の性質をもって、世界に向かって、世界の在りようを問うているように感じられる。わたしたちは実際にその時代や悲惨を経験しているか否かにかかわらず、そのイメージをそれぞれに正しく展開し、それに向かって思考することができる。
 詩にはまた、ある物事を十全に再現するために、その発生過程においては、物事の核心を探りあてようとする性質があるのではないかと思う。もっとも深く見えづらいところにある核、それを抽象するプロセスが、「詩」的と呼ばれるものではないだろうか。
 私のその漠然とした仮説は、先述の核心を説明する言葉が、/自分にもわからないということです。と同時に、もしもそれがわかってしまったとすれば、/僕には歌詞を書く理由がなくなるということでもあります」という波多野の言にも重なるように思う。しかしそれが、波多野の言葉が「詩」へと向かっているからなのか、あるいは、詩も音楽も「アート(芸術/人工物)」というより大きな活動として見たとき、究極的には核心を目指していくものをアートというのかは、わからない。どちらも同じことなのかもしれないし、どちらもまったく見当はずれかもしれない。

***

 2015年リリースのアルバム『Talky Organs』では“戦争”が重要なテーマとなっており、アルバムを通して軍事や戦場のモチーフが頻出する。それは映画や童話のようなフィクショナルな世界観の中にも、現実と同じ形を取って唐突に現れる。かつてシェルターであった物語にも侵犯の手は伸びているのだ。さらに残酷なことに、この世界でも“死”はもはやジョーカーではなくなってしまった。死によっては“僕”も“君”も救われず、ただ同じ現実が続いていくだけのようである。
 だから『Talky Organs』は、生きること、の音楽なのだ。惨めで、傷だらけで、弱々しい生を。声をあげて、世界に抵抗するために。

***

 吉本隆明は彼の論において、「詩とはなにか。それは、現実の社会で口に出せば全世界を凍らせるかもしれないほんとのことを、かくという行為で口に出すことである4) 」と言った。
 波多野裕文の詞はまちがいなく、世界を凍らせる言葉となるだろう。そして波多野はきっと、本当に全世界が凍りつくまで言葉を放ち続ける。そんな気がしてならないのだ。

 

 

【引用・参考文献】

註1) 20110515 – People In The Box Blog http://peopleblog.jugem.jp/?eid=407

註2) 20110117 – People In The Box Blog http://peopleblog.jugem.jp/?eid=441

註3) 波多野裕文に質問攻め。いまこの時代を生きる表現者の姿勢を問う(インタビュー・テキスト:柴那典)- CINRA.NET http://www.cinra.net/interview/201509-peopleinthebox

註4) 初出は「詩学」1961年7月号。ここでの引用は『詩とはなにか―世界を凍らせる言葉』(思潮社, 2006年)によった。


私の好きな詩人 第173回 機影と影法師―久谷雉― 亜久津 歩

2016-05-07 00:00:00 | 詩客

 あるひは いまも【久谷雉】は
 民衆のひとりであるのかもしれない

 たゞ 【久谷雉】の靴下や胃袋の中に
 民衆がひそんでゐたのかどうかは
 きはめて 疑はしい――

 詩「桜前線」より引いた。久谷雉最新詩集『影法師』(ミッドナイト・プレス)所収。【 】は、作中では「わたくし」である。詩作品において作中主体と作者を同一視するのはナンセンスであろうが、妙にしっくりきたので勝手をさせていただいた。

 この「民衆」らしからぬ……いっそ人間離れした得体の知れなさも、魅力のひとつだ。わたしが久谷作品のファンになったきっかけ、第1詩集にして第9回中原中也賞受賞作『昼も夜も』(ミッドナイト・プレス)に「エイリアンの夜」という詩がある。

 じぶんの汗のにおいが
 たにんのそれのように香ってくる
 (略)
 もはや 半分エイリアンになりかけている

 2002年初出(84年生まれでいらっしゃるので当時18歳)の作品だ。それから14年、そろそろ全てエイリアンになられた頃か。いや、今度は『影法師』である。

 

 渋みのある特殊紙にタイトル「影法師」の空押し(箔のない空押しが影の虚ろさに合う)。カバーはフィルムではなくしっかりとしたビニール製。この種の紙の風合い、手触りを生かすのであればビニールはなかなか選ばないだろう、が、汚れや水濡れ予防にはぴったり。あっさり合理的判断を下した感じも快いが、むしろ「本体には触れられないよ」とやわらかなバリアをはられているふうでもある。その本体は、カバーの内側にかけられた帯で半身しか見えない。帯文(?)は「えっ!?」と「ん……」。著名な先達の推薦文も受賞歴を掲げた販促コピーも要らないのだ。いや「えっ!?」「ん……」も要らないのではと始めは思ったが、これがないと「決まり過ぎる」のだろう。ちょっぴり斜に構えたような遊び心もご愛嬌。総じて「古風」風。現代的だ。

 

 なぜこんなに装幀について熱苦しく語るかというと、この造本こそがわたしの思い描く詩人・久谷雉そのものだからだ。

- -

ひし形の口が明るい中空を向いたまま、ゆるやかに開きはじめた。受けるべきふくらみはいまだあらはになつてはゐないはずなのに、黒々とひかる瞳の底には早くもさゞ波がたつてゐる――若葉の影がうごめく。かぐろいまだらがうねりとなつて、スカートや肌をもやもやと揉む。息だ。若葉のむかふで燃えてゐる太陽の息の切れはし。手足も目鼻も性器も切り落とされた筒めいた切れはしとして、わたくしは伯母の家までの小道を移動してゆく。(「円筒形」全文)

タイトルと冒頭から先ず、「円筒形」は陰茎かなとイメージが結ばれかける。ついで芋虫(言わずもがな、江戸川乱歩)。しかし語られぬまま立ち上がってくる情事の予感はさっくりと「切り落とされ」、何事もなかったように「移動してゆく」。

芋虫」の這い蹲るような生々しさとはまるで対局。すべすべした1mほどのソーセージ(あるいはエイリアン)が、軽く前傾しただけの力で何の抵抗もなく地上数cmを水平に滑っていくかのようだ。行き先は死に場所でも恋人のもとですらもなく「伯母の家」。この何でもなさそうな感じが、かえって致死的である。

受けるべきふくらみ」で思い出した。ずいぶん雰囲気は違うが、第二詩集『ふたつの祝婚歌のあいだに書いた二十四の詩』(思潮社)に「ふくらみ」という作品がある。

 おとこは
 あいているほうのうでで
 ねむりのひきだしをあけて
 あたしにはみえない
 あけがたのふくらみと
 おうせをしようとこころみる

 おふろばでひとりきり
 うすべにいろにひかるまたぐらを
 からだをむりやりおりまげて
 のぞきこもうとした
 おさないひの
 しずけさのようなものが
 おうせのさなかの
 おとこのきんにくから
 しとしとしぼりだされて
 ああ
 うすくひらいたあたしのまなこを
 すすいでゆく

 女性に類するわたしよりもずっと繊細におんなのこころを紡ぎあげる感性や技術にも舌を巻くが、己の性を知ってゆく「しずけさ」に締めつけられる。詩集『昼も夜も』の表題作にも次のような部分がある。

 肉を
 焦がす
 匂い
 がした

 じぶんの
 性器が
 昼も夜も
 たぶん
 一生
 あたたかいまま
 である
 こと

 に
 気がついた
 こども
 のように
 僕は
 さめざめと
 泣きだして
 しまいそうに
 なった
           (「昼も夜も」より)

 性別違和ならぬ性違和―いや、纏うべき肉体、生そのものへの違和か。希死ではない。変わりゆくこのからだで、 絶え間なく生を継続してゆくこと、それを受け入れることの、しずかなかなしみが通底する。

 にんげんが
 からだだけで歩けてしまうことが
 けさはなんだか無性にかなしい
           (「泡かもしれない」より/『ふたつの祝婚歌のあいだに書いた二十四の詩』所収)

 『影法師』には、感傷的な書かれ方をした詩は見当たらない(「びしい」という言葉やうしなわれた対象へ語りかける描写などはあるが)。受け入れが済み、からだと合致したのだろうか。いや……、

 『影法師』を読んでいると、しばしば「抒情」とは何かわからなくなる。これは抒情詩だろう、しかしこれは抒情だろうか。抒情だとして、誰の情だ……?と。透徹したまなざしとか端正な技術とかいえばそうだろうが、「情」をあまりに自在に造形する、情の気配の無さ。人の情など絵の具のひとつ、ねじ1本に過ぎない。でもそれってうつくしいよね。とでも、言うような。「」を読めば胸が痛み、「さゝげるな」に至ってはこみあげてくるものすらある。操られるように自動的に感動してしまう。こんなにも他人の心を掻き乱しながら、当の詩人は表情ひとつ見せず、ただただ静かに、影の中にある。彼にとって抒情とは何なのか。ヒントはこれではないだろうか。

 抒情とはおそらく
 飛行機が落とす影にしか
 過ぎないのだらう――
           (「機影」より)

 ならばやはり「影法師」とは、久谷自身に他ならな。あたたかなからだではなく、それが落とす影にこそ詩人は宿っている。そこはきっと、抒情の世界だ。

*

余談だが、三角みづ紀さんのオフィシャルサイトにある「21歳のころのはなし」が好きだ。21歳の三角さんも十代の久谷さんも、失礼だろうか、とてもかわいい。そしてまばゆく、内心、羨ましい。この詩人たちと同じ時代を生き、作品を追いかけられることを幸運に思っている。