わたしの好きな詩人

毎月原則として第4土曜日に歌人、俳人の「私の好きな詩人」を1作掲載します。

私の好きな詩人 第195回 ―冬野虹―  佐々木 貴子

2017-04-23 12:15:31 | 詩客

虹の白布をー『冬野虹作品集成Ⅱ巻 頬白の影たち』(書肆山田 2015年)―


 日ごろ詩を読むことは滅多にないのだけど、『冬野虹作品集成Ⅱ巻 頬白の影たち』は素敵な出会いだった。短時間で一気に読みきってしまったのを覚えている。

 

寛衣【チュニック】は洗われて 月の微光のふくらみとなるために

いつもの石の上に干されている


(引用「MINERVA」冒頭部分)

 集中最初の作品である「MINERVA」の、この布の描写にズギュンとやられた。
 布は人が肌を触れるもの、生活に用いるもの。それでいて何故か清浄さと神秘さを感じるもの。風にはためく白い布や陽に透ける布。私はよく、その美しさに見入ってしまう。そして神秘さを覚える。けれど何故、布にそんな神秘さを覚えるのかは分析できておらず、謎のままだ。
 この二行には、その謎が理屈っぽく説明されることもなく、するっと核心が現れる。寛衣【チュニック】の美しさが、心の中でふくらんでくる。
 以後、次のように続く。


ペネロープは丘に
はなれている けれど在る両の手は空を離れず
その色を編んでいる
ユリッスのほこりのマントは ひかりのベルトは
ほこりのマントは 場所をひたすらあふれて
そとの まわりの 水の轍に触っている
ペネロープは織る ほどく 織る
風の袖のほとんどと知恵の数の重さを語りあった
すぐそばの嵐のしめった空気を愛するために
招かれたナイヤード
寛衣【チュニック】は洗われて 月の微光のふくらみとなるために
石の上に置かれている

映しかえすペネロープの空


( 引用「MINERVA」p16-19のうちp16-17の中ほどまで)

 ユリッスとペネロープ。愛情ときずなで結ばれていそうな二人。夫婦だろうか。寛衣【チュニック】はきっとペネロープがユリッスのために洗ったのだろうし、寛衣【チュニック】に月の微光をふくませるなんて、ただの愛情じゃない。すっごく尊敬していて、誇らしい旦那さんなのだ。ペネロープは「両の手は空を離れず/その色を編んでいる」また「織る ほどく 織る」とある。それは、誇りに思うユリッスのためだろう。織る、という行為は献身でもある。織る、ほどく、また織る、ということには、想い合い、絆の中につながれる二人の時間が示唆されている。
 ところで、ペネロープとユリッスは誰。もしかして原典があるのでは、と気になりネットで調べてみた。彼らはオデュッセウスの登場人物で、ユリッスは王、ペネロープは妃、トロイア戦争から帰還できぬユリッス王をひたに待つペネロープ妃、という筋書きなんだそう。ふーむ、やっぱりね。
 物語の詳細に興味を覚えないではないが、この詩の中の二人を見ているだけで、十分満足である。だって、物語って起承転結があるから必ず終わってしまうし、違ったメッセージが籠められていたりする。この「MINERVA」という作品中の二人の姿の方が、物語そのものよりも、遥かなものを描いているかもと思う。物語からインスピレーションを得て冬野虹さんという詩人が書いた、この作品世界が素敵。それでいいんじゃないか。

 布といえば、冬野さんの詩には衣服について書かれたものが多い。私は、最初に書いたように布が好きなものだから、ついそこに目がいってしまう。


メアリは
霜の香のセーターを
重ね着しました

(引用「実南天」の一部)


ノノは白いブラウスと白いプリーツスカートで
くるりふりかえる
ノノは拡がったプリーツスカートを
ガムテープで
鏡に定着させる


(引用「ノノは念入りに着飾る」の一部)


服屋のハンガーには
伴奏のない混声合唱に飾られた
夜の星が
いっせいにびっくりしているドレスや
流行の水着が
にぎやかにぶらさがる
波をかきわけ
奥から
店の人があらわれる


(引用「赤血球」の一部)


 「霜の香のセーター」「白いブラウスと白いプリーツスカート」「夜の星が/いっせいにびっくりしているドレス」の描写にはどれも、無垢な少女性が感じられる。あるいは大人になっても心に住みついている「少女」の原型か。
 これ以外にも集中、衣服に関する表現がたくさんあるが、肌ざわり良く清潔そうな布の描写に、人物像の手がかりが籠められている。
 いずれも衣服や、布そのものへの愛着が感じられる。冬野さんは着ることが好きな人なんじゃないだろうか、と思う。
 衣服以外の布の表現もたくさんある。


空いっぱいに
声が
よろこびの
麻のリボンをかけていく


(引用「晴ればれとした」の一部)


ラウラを待っていたのに
タオル掛から
空色のタオルが
落ちてしまった


(引用「ある日」の一部)


カーテンの翳で
泣きつづける
あけぼのオロールのために

(引用「柄杓」の一部)


 日々の暮らしの中で、時折、布の表情にうっとりしてしまう。カーテンのドレープにたまる薄明りや、青空の下干されたシーツが風に揺れるところ、色とりどりのスカーフが陽に透けるところ。日常の中でふと、美しさを見つけるその瞬間、心はちょっとだけどこかに飛んでいく。
 冬野さんの布の描写には、そのように、生活の中に美しさを見つける目線がある。
「今日も私は家事をする。部屋を片付けて、掃除して…、あら、あそこにかけてある布が、陽に透けてゆれている。美しい…」
 そんなふうに、美しいものを見つけてはすうっと、心が詩世界に迷い込み、いつしか頭の中に言葉があふれだす。
 彼女はきっと、そんな詩人だったんじゃないだろうか。勝手にそう考えて、憧れている。

(終り)

 

※文中【】はルビです。