わたしの好きな詩人

毎月原則として第4土曜日に歌人、俳人の「私の好きな詩人」を1作掲載します。

私の好きな詩人 第163回―濱口國雄― 郡 宏暢

2015-11-29 00:50:22 | 詩客

 これはもっとも有名な戦後詩の一つと言えるかもしれない。濱口國雄の「便所掃除」。国鉄職員の詩である。

扉をあけます
頭のしんまでくさくなります
まともに見ることが出来ません
神経までしびれる悲しいよごしかたです
澄んだ夜明けの空気もくさくします
掃除がいっぺんにいやになります
むかつくようなババ糞がかけてあります
どうして落着いてしてくれないのでしょう
けつの穴でも曲がっているのでしょう
それともよっぽどあわてたのでしょう
おこったところで美しくなりません
美しくするのが僕らの務めです
美しい世の中も こんな処から出発するのでしょう
くちびるを噛みしめ 戸のさんに足をかけます
静かに水を流します
ババ糞に おそるおそる箒をあてます
ポトン ポトン 便壷に落ちます
ガス弾が 鼻の頭で破裂したほど 苦しい空気が発散します
心臓 爪の先までくさくします
落とすたびに糞がはね上がって弱ります
かわいた糞はなかなかとれません
たわしに砂をつけます
手を突き入れて磨きます
汚水が顔にかかります
くちびるにもつきます
そんな事にかまっていられません
ゴリゴリ美しくするのが目的です
その手でエロ文 ぬりつけた糞も落とします
大きな性器も落とします
朝風が壷から顔をなぜ上げます
心も糞になれて来ます
水を流します
心に しみた臭みを流すほど 流します
雑巾でふきます
キンカクシのうらまで丁寧にふきます
社会悪をふきとる思いで力いっぱいふきます
もう1度水をかけます
雑巾で仕上げをいたします
クレゾール液をまきます
白い乳液から新鮮な一瞬が流れます
静かな うれしい気持ちですわっています
朝の光が便器に反射します
クレゾール液が 便壷の中から七色の光で照らします
便所を美しくする娘は
美しい子供をうむ といった母を思い出します
僕は男です
美しい妻に会えるかもしれません


 この詩は、「男はつらいよ」の中でも取り上げられていたことで覚えているという人も少なくないだろう。定時制高校の教師役の村松達雄が生徒を前に朗読するという場面である。はじめ騒がしかった教室が、読み進めていくうちに静まり、生徒たちが言葉に引き込まれていくという場面である。
 また、茨木のり子の「詩のこころを読む」(岩波ジュニア新書)にもおさめられていることから、小中学校のころに、この詩を目にした人も多いだろう。私も仕事柄、この本を何度も繰ったが、この詩のページを開くと、ばたばたと騒がしい職場にいてもふと立ち止まって、いつも全文を読んでしまうのだった。
 47行9連の詩。このうち言葉が飛躍するのは最後の1連4行である。ここではじめて47の詩行が詩になるのだが、裏返せば、その前の43行が、4行の言葉を飛び立たせる確固とした地盤となっている。
 振り返って考えてみるに、いま私たちは、このように言葉をとびたたせる地盤と言えるような場所を、どれだけの人が持っているだろうか。…と、そんなことを考えさせられる詩なのである。


私の好きな詩人 第162回 ―シルヴィア・プラス―  荒川 純子

2015-11-18 08:39:00 | 詩客

 詩の活動を抑えてから十四年が経ち、ようやく動き出した。その間に詩を書いていない訳ではないが、私の引き出しには母、妻、女性の顔があり、一番奥にしまわれたのが詩人の顔だった。その顔をとりだせない間、私は自分に似た状況の女性詩人に共感し、その詩作品を読み、自分が詩人であることを忘れない励みにしていた。そのひとりがシルヴィア・プラスだった。
 彼女は美しく、才能があった。学校の成績も良く、若い頃より作品が雑誌に載り、男女交際も派手、奨学金をもらいイギリスへ留学、と理想的なプロフィールだが、彼女をよく知ると、複雑な状況に驚く。感受性の高い彼女は生まれてから「みんなのお気に入り」とお姫様のように扱われていたが、ぜんそく気味の弟の誕生と糖尿病の父の看病で祖父母や母の愛情はすべて二人に注がれ、嫉妬する。自分を可愛がってくれた最愛だった父も亡くし、その喪失感にずっとつきまとわれていた。
 スミス大時代に睡眠薬の自殺未遂から精神療法を受けるが、奨学金をもらいケンブリッジに留学しテッド・ヒューズと出会い結婚、テッドと帰国したアメリカでの教職を経て、イギリスへ戻り娘を出産。詩集「巨像」を出版し充実した結婚生活と思われたが、テッドの不倫から別居、そしてロンドンでの大寒波の年、彼女は三十歳。二人の子供をおいてガス自殺を図った。
 彼女にとって夫は父親を重ねていた存在だからこそ、別居は父の死を思い出させ、孤独感を増幅させたと思われる。夫不在の寂しさや心の傷、体調の悪さ、大雪でその日電話がつながらなかったこと、彼女が死を選んだ時にどうにもならない条件が重なり最悪の結果となった。彼女は女性、娘、妻、母、詩人である多くの顔を完璧に備えようとしていた。それは彼女が「女性」を「出産する存在(子供を産まないと地獄へ行く)」ととらえていたことや「作家」である自分は「母」である自分と一致し、「女」である自分は「作家」である自分に一致しはじめた、と自分の作品をとらえ、外からの反応を欲していた
 
 今やわたしは
 麦畑の泡立ち、海のきらめき
 子供の鳴き声は
 壁の中に溶ける。
 そしてわたしは
 走る矢となり

 わが身を断とうと
 飛び散る露となる、
 煮え立つ大鍋、

 真っ赤な朝の眼へと。   
                 (「エアリアル」8連目から最終連)

 彼女が自殺を決意したとき、子供部屋の窓を開け、ドアには目張りをし、ベッドにミルクを置いてからガス栓をひねった。子供を道連れにせず、二人の子供の生命を守る「母」を優先した最後の行動。この時代、子供を産み主婦になることが女性のあるべき姿だった。彼女もそれに逆らえず、そして逆らわなかった。
 現在に彼女が生きていたなら死ぬことはなかっただろうか。どの自分も完璧にこなすことは難しい、優先順位は変わる。たとえこなせなくても非難はない。しかし、きっと完璧を目指してしまう。シルヴィアも、私も。


私の好きな詩人 第161回 ―市島三千雄― 市島三千雄と詩誌「新年」と1920年代の詩と 長澤 忍

2015-11-10 22:26:53 | 詩客

 市島三千雄やその周辺について興味がなかった。
 詩を書きはじめた90年代に図書室の棚で「市島三千雄詩集」や「新潟詩壇史」をよく見かけたけれども、触手が伸びなかったことを覚えている。
 00年代になって、市島三千雄を語り継ぐ会が発足されても、荒川洋治氏がゲストで招かれても、気持ちがさほど変わらなかった。
 興味が湧いた、きっかけはよく分からない。
 2015年6月20日に、市島三千雄を語り継ぐ会で「1920年代の詩」というテーマで講師を務めさせて頂いた。準備段階で、「市島三千雄詩集」「新潟詩壇史」を、ほんぽーとから借りて読んだ。
 詩を書き始めてから四半世紀すぎていた。
 参加した詩人たちはみな萩原恭次郎の詩集「死刑宣告」を持参していた。
 市島の詩と萩原のタイポグラフィーの観点から比較検討したかったのだが、時間も準備も足りず、次の機会に譲ることにした。
 「メディアと100年詩史」という資料を用意したが、とりわけ1920年代は、詩史上、多様性が充満している。
 1920年代のriricは、無意識的抒情であり、madiaは、レコードであり、cinemaはトーキーとモンタージュであり、artはバウハウスとシュールレアリスムである。私見による。
 1920年代は、モダニズムが形成され、大正デモクラシーにより市民が登場した、言わば、現代詩の芽を内包した時代と言える。
 そのような時代の中で、詩誌「新年」は奇跡的に生まれた。新潟という地で奇跡的に生まれた。(あるいは詩の進化から俯瞰すれば必然だったのかもしれない)
 詩誌「新年」は、1920年8月10日に創刊された。ここでは、1926年という両義性に着目したい。
 大正と昭和という時代性。12月25日を境目にして、大正の終わりと昭和の始まりが重層している。
 詩誌「新年」の同人4人をビートルズの4人になぞらえてみたい衝動に駆られる。寒河江眞之助はポール、市島はジョン、新島節はジョージ、八木末雄はリンゴといったところか。大正時代のこの若きインテリゲンチャが交通した時空という奇蹟、あるいは必然。
 「新年」5号と、11号、12号が不明というのもミステリーに充ちて興味をそそる。
 一年に一度、ある消印の日に、海の見える丘を訪れる。1984年に詩人になった場所だ。その近くにはドン山があり、市島の詩碑「ひどい海」がある。あの日の午後と同じ海と空と光と風を確かめに行く。
 余談になるが、先日、旧二葉中の3Fで和合亮一氏と再会した。(水と土の芸術祭の座談会場で)。20年前に磐越連合なるものを結成し、福島と新潟で互いに朗読会を開いたりした。その交流が元になり、詩誌「ヒ」となり詩誌「ウルトラ」となって結実した。
 2009年以来再会したことで、3.11.以降のわだかまりのようなものは消えていた。
 思えば、詩誌「新年」も新潟と福島出身の詩人達の同人誌でもあった。
 和合氏と私の試みは、既に大正時代に先行されていたことになる。旧二葉中3Fの特別活動室の窓から松林を指さし、「あそこに市島三千雄という詩人の詩碑がある」と彼に伝えた。夏の午後の潮風にカーテンがゆらめいていた。
 今後、抒情の時代的分析については「メディアと100年詩史」に任せることにして。「グーテンベルク病とWWW病」では、主体の時代的分析を行いたいと思っている。(本来、00年代の仕事だったのだが)
 また、見附→長岡→来迎寺→小千谷というR(ルーロ)8の詩人たちとの関連性。
 矢沢宰→堀口大學→山口哲夫→西脇順三郎との関連性を。
 市島と同時代のプロレタリア詩人の長澤佑との比較を。


(2015年7月29日)