わたしの好きな詩人

毎月原則として第4土曜日に歌人、俳人の「私の好きな詩人」を1作掲載します。

私の好きな詩人 第208回―稲葉真弓― 藤川 夕海

2018-05-16 01:03:56 | 詩客

 稲葉真弓は2014年8月に膵臓癌で亡くなった。直前の5月に紫綬褒章を受章、3月の64歳の誕生日に詩集『連作・志摩 ひかりへの旅』を出版している。

   ひかりは 樹木の一本一本を
   避けるようにして差した        

(詩「ひかりへの旅」の冒頭  詩集『連作・志摩 ひかりへの旅』所収)

 愛知県に生まれ、19歳で詩集『白い日々を唄うために』を自主制作(没後にガリ版刷りの冊子が発見され、エッセイ集『ミーのいない朝』新装版に収録された)。
 就職、結婚、転勤上京共稼ぎ。しかし、石油ショックのあおりでインテリアデザイナーの職を失った。夫は仕事で大阪へ。
別居を選び、東京の生活の中で小説『ホテル・ザンビア』を執筆、作品賞を受賞。小説で得た賞金のすべてを詩集『ほろびの音』出版に充てる。詩を捨て自分に新しい出発だと言い聞かせるためだったという。だがこれをきっかけに、小説雑誌の編集者との繋がりが増えるのと同じくらい、詩に関わりのある仲間が増えていくこととなる。彼女は作家・詩人として執筆活動を続けた。
 書くことに飢え、心の中に夫との距離感が生まれ、精神的に追い込まれた彼女は、がむしゃらに生きるため、離婚する。

    私はその行き先を知らないが
    きっと 世界の底まで降りていくのだ
    風と水と光が きらきらと光る場所へ

    その世界は あしたもあるだろうか       

(エッセイ「林よ、さよなら」の詩の部分より抜粋 エッセイ集『ミーのいない朝』所収)

 離婚後の三十代から四十代初め、稲葉真弓はフリーライターとしてあらゆる仕事をした。スーパーの社内報、政治家の自伝テープ起こし、編集プロダクション手伝い、金融商品特集記事、豪華列車特集記事、などなど。充実してはいるが、収入の少ない、忙しすぎて小説を書くいとまのない日々。そのとき、美少女アニメのノベライズを引き受け、「倉田悠子」のペンネームによる印税が、彼女に金銭的ゆとりと小説を書く時間をもたらした。ここで、彼女は書きたいものに出合う。(亡くなる二ヶ月前に、エッセイ「私が“覆面作家”だったころ」が文芸誌「新潮」に発表され、世間を驚かせた。エッセイ集『少し湿った場所』所収)

 42歳、小説『エンドレス・ワルツ』で女流文学賞受賞。新しい次元に立った。そののち、小説『声の娼婦』平林たい子文学賞。小説『海松』川端康成文学賞、芸術選奨文部科学大臣賞。小説『半島へ』谷崎潤一郎賞、中日文化賞、親鸞賞。日本大学芸術学部教授就任。磨き上げられた文章、選び抜かれたテーマ、輝かしい賞歴。小説を書き、同時に仲間との仕事を続け、学究者・教育者としての職に就いた。

 稲葉真弓が強靱かつ耐久力のある魅力的な女性であることは間違いない。生活力、観察力、社交力、文才、誠意、意欲。こういった力が無ければ、様々な沢山の仕事を成せるわけがない。小説『半島へ』の主人公は、志摩半島に土地を買って別宅を建てるために借金をし、さらに沼も山も借金で買うことにし、「お金は、元気でいればなんとか返せる。仕事を増やす。」「…借金をしたが、結果、それは余りある喜びをもたらした。」と語る。この本を読むと、不安も困惑も苦悩も、あふれる喜びと入り交じり、繋がり合い、志摩半島と東京の往還の生活へと導かれる。現実をベースに、物語が立ち上げるリアルな虚構。稲葉真弓の素晴らしい小説文。

 詩集『連作・志摩 ひかりへの旅』の後記から抜粋する。

 小説を書く合間合間に、詩の言葉が水滴のように私のなかに溜まり、それが滴る水のように言葉となって降りそそぐ瞬間を、至福の時として味わった。

 稲葉真弓は、稼ぐ文章を書き、書きたい小説を書き、そしてさらに自分の内側から溢れる詩を書いた。なんと素敵なことだろう。詩人とはみんなこういう人なのだろうか? 詩を書く行為をこのように表現できることを幸せと言わずしてどうするか。
 私は、稲葉真弓という詩人と、詩集『連作・志摩 ひかりへの旅』が大好きだ。

   わたしらの体内のくらがりを
   照らすもの
   あれもまたひかり(のようなもの)と呼ぼうか
   なまぬるい脳の襞に刻まれた記憶は

(詩「ひかりへの旅」第三連より部分)

   あっと言う間に千年が過ぎていく

(詩「ひかりへの旅」第四連より部分)


 
 先に冒頭を揚げた詩「ひかりへの旅」第二連では、志摩半島の森の中の光が、言語としての<ひかり>になる。第三連では、幼少の頃の具体的な記憶が時を経てひかりのように「なまぬるい脳」に刻まれていることが詠われる。第四連で、再び志摩の森をゆくと、過去に戻ることはできなくとも過去を放つ人間の声がえがかれている。それが千年の経過であることを、詩は世界の当然として、私たちに提示する。

   足元に転がる 一個のぽとんが
   青や緑や黄色や紫のうつくしい樹影になるとき
   わたしはもういないだろうが
   きょう この瞬間を
   あ、ここに! という叫びに乗せて
   わたしは歩く                         

(詩「ひかりへの旅」第五連より部分)

   出口のない森の奥で
   動き出している
   わたしの過ぎ去った ひかりたちが            

(詩「ひかりへの旅」最終連の末尾)

 稲葉真弓の詩の中で、「ひかり」が、時代と場所と人間の意識に満ち、同時にそれらを満たし、移行していく。この詩では、志摩半島という現実の場所が、過去も現在も未来も同じくひかりをたたえ、大きな空間となって世界そのものに繋がっている。
 時間も空間も個人も、同じく世界の一部となるとき、出口も入口もなくなった森に、すべては見つかるのだろう。何が見つかるのか、何を見つけるのか、何に見つけてもらうのか。詩の世界をさらに感じたいと思う。ひかり「への」旅は、人生とも言えるし、世界そのものとも言える。未来から過去へ、過去から現在へ、旅の終わることはおそらくない。


藤川夕海:「陸 俳句会」同人