わたしの好きな詩人

毎月原則として第4土曜日に歌人、俳人の「私の好きな詩人」を1作掲載します。

私の好きな詩人 第87回 -長谷部奈美江-中村梨々

2012-12-29 14:20:51 | 詩客
長いトンネルの途中がドラマで
バックスクリーンには松田優作のなんじゃこりゃ
シーンがうつっていた
だけどリンドバーグが横たわっていて
畑のどまん中で七面鳥がしきりに手を振っていたのだ
(「七面鳥もしくは、リンドバーグの畑」長谷部奈美江 1995年 思潮社)



 1997年に第二回中原中也賞を受賞した長谷部さんの詩。詩の言葉通り、なんじゃこりゃと思った。小さなアパートで昼も夜も寝違えたままのパジャマを洗濯することに一生懸命だった日々の中、飛び込んできた。Ⅱ受胎広告・Ⅲあなたの遠い森の方で。「五百二十四ポンドのあたしたち あたしたちが襲撃する日は近い。」読んだその日に襲撃され、「何か特別なものがくっきりと手に残っているのです」と、予言通りに言葉はつながった。

 その頃、詩集を買うという楽しみ方を知らなかった。新聞の文化欄と、詩誌を本屋で漁りまわった。紙に印刷された詩篇にしがみついて細々15年が経った! 昨年、長谷部さんにお会いすることができた。暁方ミセイさんの中也賞授賞式の席に偶然後ろ姿を見つけた。短髪で颯爽とした首筋から肩のライン。ふんわりカーリーなゆる巻毛をずっと想像していた。想像の世界でも月日は経つのだと思った。

わたしはとにかく鈴木春恵である
案の定窓口のねずみは
どこの田中ともしれない鈴木として
わたしをバスに押し込んだ
(「登録」)

あした博多君が博多君でなくなるよと朝子さんが電話をかけてきました。
(「臥待」)

先生はわたしのおなかをご覧になりましたが
わたしのおなかには
「梁山泊の夜」が流れていて
それでご相談にあがったわけではないのです
(「梁山泊の夜」(『セプテンバー・トレイン』1999年思潮社))


 考えてみて! もともとお会いしたことのない人だから、鈴木さんでも田中さんでも仕方ない。だけど、目の前の人が長谷部さんなのだとミサゴに宣言する。

はっきりしていてわからないミサゴの由来を考えながら
うしろめたいわたしを考えてみる
(「弦月」)

頭も首もなく
ほとんど胸までなかったのである
(「供物」)


 頭と首とほとんど胸まで見えている。椅子に腰掛けた後ろ姿の長谷部奈美江さんに近づく。
すとんと香しい美しさだった。銭湯へ通う女のような、立ち上がって田畑を見る姉さんのような(タイトルのどれをとっても)、有限のなかに潜む無限が虫や鳥や牛やきゅうりにとりついているので、服の上から私たちはお互いに挨拶を交わし、私はとても嬉しかった。

無人の野に行き倒れれたい。と第一詩集のあとがきにある。誰もが知っている言葉で誰も知らないところを歩きたい。

まつもとの肉はうまいのだから
わたしたちはからなず牛に会いにいく
(「まつもと」)

逆襲というより
なにかしら損なわれたくなかったのです
(「献身」)

落ち着くのはきいろい花の咲く処ですと揃えた声がきこえてきました。
(「きいろい花の処」)


 詩が連れて行ってくれるところなら喜んで行ってみたいと思った。15年のあいだ想い続けた、長谷部奈美江さんは唯一の詩人。答えは紙に書いてある。