子供時代、岡山で育ちました。
いまでも高い建物が少なくて、娯楽もあまりなくて、山あいに大きな川が流れていて、人通りが少なくて、よくいえば印象派の油絵のような、寂れた田舎町です。
ひねた子供で、友達も少なく、教師であった親の本棚の本を読んでいました。その中の一冊に郷土の詩人、薄田泣菫(すすきだ・きゅうきん)がありました。完全に意味が理解できたわけではないけれども、明治の詩人らしい、異文化へのあこがれとリズミカルで豊潤な文語の美しさに、ひねた子供は魅了されていったのでした。
「ああ大和にしあらましかば」は遠く奈良斑鳩に古代王朝を想う彼の代表作です。進学とともに上京し、職についてずいぶんたちますが、なかなか長旅なんてできません。それでも秋になってどっか行きたいなあなんて話になると毎年、この夢のようにきらびやかな詩と、学生の頃に一度くらいしか行ったことがないけど奈良のお寺の濡れた落ち葉の匂いを思い出します。
ああ、すべて解き放たれて、いま大和にしあらましかば。
ああ大和にしあらましかば 薄田泣菫
ああ、大和にしあらましかば、
いま神無月、
うは葉散り透く神無備の森の小路を、
あかつき露に髪ぬれて、往きこそかよへ、
斑鳩へ。平群のおほ野、高草の
黄金の海とゆらゆる日、
塵居の窓のうは白み日ざしの淡に、
いにし代の珍の御経の黄金文字、
百済緒琴に、斎ひ瓮に、彩画の壁に
見ぞ恍くる柱がくれのたたずまひ、
常花かざす芸の宮、斎殿深に、
焚きくゆる香ぞ、さながらの八塩折
美酒の甕のまよはしに、
さこそは酔はめ。
新墾路の切畑に
赤ら橘葉がくれに、ほのめく日なか、
そことも知らぬ静歌の美し音色に、
目移しの、ふとこそ見まし、黄鶲の
あり樹の枝に、矮人の楽人めきし
戯ればみを、尾羽身がろさのともすれば、
葉の漂ひとひるがへり、
籬に、木の間に、――これやまた、野の法子児の
化のものか、夕寺深に声ぶりの
読経や、――今か、静こころ
そぞろありきの在り人の
魂にしも泌み入らめ。
日は木がくれて、諸とびら
ゆるにきしめく夢殿の夕庭寒に、
そそ走りゆく乾反葉の
白膠木、榎、楝、名こそあれ、葉広菩提樹、
道ゆきのさざめき、諳に聞きほくる
石廻廊のたたずまひ、振りさけ見れば、
高塔や、九輪の錆に入日かげ、
花に照り添ふ夕ながめ、
さながら、緇衣の裾ながに、地に曳きはへし、
そのかみの学生めきし浮歩み、――
ああ大和にしあらましかば、
今日神無月、日のゆふべ、
聖ごころの暫しをも、
知らましを、身に。