わたしの好きな詩人

毎月原則として第4土曜日に歌人、俳人の「私の好きな詩人」を1作掲載します。

私の好きな詩人 第189回 ―薄田泣菫―  宮田 斉

2016-12-30 15:47:40 | 詩客

 子供時代、岡山で育ちました。

 いまでも高い建物が少なくて、娯楽もあまりなくて、山あいに大きな川が流れていて、人通りが少なくて、よくいえば印象派の油絵のような、寂れた田舎町です。

 ひねた子供で、友達も少なく、教師であった親の本棚の本を読んでいました。その中の一冊に郷土の詩人、薄田泣菫(すすきだ・きゅうきん)がありました。完全に意味が理解できたわけではないけれども、明治の詩人らしい、異文化へのあこがれとリズミカルで豊潤な文語の美しさに、ひねた子供は魅了されていったのでした。

 「ああ大和にしあらましかば」は遠く奈良斑鳩に古代王朝を想う彼の代表作です。進学とともに上京し、職についてずいぶんたちますが、なかなか長旅なんてできません。それでも秋になってどっか行きたいなあなんて話になると毎年、この夢のようにきらびやかな詩と、学生の頃に一度くらいしか行ったことがないけど奈良のお寺の濡れた落ち葉の匂いを思い出します。

 ああ、すべて解き放たれて、いま大和にしあらましかば。

 

  ああ大和にしあらましかば  薄田泣菫

  ああ、大和にしあらましかば、
  いま神無月、
  うは葉散り透く神無備の森の小路を、
  あかつき露に髪ぬれて、往きこそかよへ、
  斑鳩へ。平群のおほ野、高草の
  黄金の海とゆらゆる日、
  塵居の窓のうは白み日ざしの淡に、
  いにし代の珍の御経の黄金文字、
  百済緒琴に、斎ひ瓮に、彩画の壁に
  見ぞ恍くる柱がくれのたたずまひ、
  常花かざす芸の宮、斎殿深に、
  焚きくゆる香ぞ、さながらの八塩折
  美酒の甕のまよはしに、
  さこそは酔はめ。

  新墾路の切畑に
  赤ら橘葉がくれに、ほのめく日なか、
  そことも知らぬ静歌の美し音色に、
  目移しの、ふとこそ見まし、黄鶲の
  あり樹の枝に、矮人の楽人めきし
  戯ればみを、尾羽身がろさのともすれば、
  葉の漂ひとひるがへり、
  籬に、木の間に、――これやまた、野の法子児の
  化のものか、夕寺深に声ぶりの
  読経や、――今か、静こころ
  そぞろありきの在り人の
  魂にしも泌み入らめ。

  日は木がくれて、諸とびら
  ゆるにきしめく夢殿の夕庭寒に、
  そそ走りゆく乾反葉の
  白膠木、榎、楝、名こそあれ、葉広菩提樹、
  道ゆきのさざめき、諳に聞きほくる
  石廻廊のたたずまひ、振りさけ見れば、
  高塔や、九輪の錆に入日かげ、
  花に照り添ふ夕ながめ、
  さながら、緇衣の裾ながに、地に曳きはへし、
  そのかみの学生めきし浮歩み、――
  ああ大和にしあらましかば、
  今日神無月、日のゆふべ、
  聖ごころの暫しをも、
  知らましを、身に。


私の好きな詩人 第188回 ―大手拓次―  川津 望

2016-12-05 11:11:37 | 詩客

 大手拓次の眼球には、どのような香りの和声が流れていたのだろう。騒ぐ時間のまるみに瞬間だけがとがった。拓次の詩との出会いは、私にとって衝撃的なものだった。

 拓次は口語の音楽性にこだわった書き手だった。受験を取りやめて以来、一時的に音楽と疎遠になっていた私にとって、拓次の詩は生き生きとリズムを刻み、匂いたつイメージは一度放たれたならば脳裏に焼きつく、ピアノの音色そのもの。彼の詩集によって、あれほど離れたかった音楽に再会した気分だった。拓次の言葉に打ちのめされてから、表現する上でとてつもなく爆発したい欲求が日に日に強くなった。こころを弾くことは、実際のピアノ演奏のように、私を消してゆくことなのか。いずれにせよ、自分の内なる楽器を自身の力で調律しなければならない。演奏から詩作へ。拓次の詩をきっかけに、私の鼓動は高鳴っていった。

 拓次は度の強そうな眼鏡をかけていて頬の肉はうすく、伏し目がちだ。唇は詩語のうえを這う動脈と測りあえる程に、浮かぶはじらいによってひき結ばれている。写真で受けるそんな印象とは対照的に、彼はフランスの香水を多く集めていた。

香は、内にこもるもので、香水は外にひらくものである。一面からいへば、香は精神への呼びかけで、香水は肉体への呼びかけである。(※1)

 ……そう分析し、愛情をもって書いている。また、勤務先のライオン歯磨で短い間ながら共に働いた山本安英への気持ちを日記に打ち明け詩作に生かし、秘密の慕情はどこまでも清らかだった。(※2)孤独者としての拓次を、自分の属す性がこわく、慕わしい相手に話しかけることもできなかった自分の姿と当時は重ねた。だが、弱弱しい十代の私と決定的に異なる点は、どのような時も彼が常に詩作を一番に考えていた所にある。その態度からして薫香なのだ。事物や意中の人へ視線を向けるたび、彼の心臓は熱心に収縮して詩を抽出した。透かしたレンズ越しに伝わる拓次のたましいの香りは今もなお、作品となって薄まることが無い。

 無言の時、アトマイザーの玉を指先でつまむと、詩人の眼から香水は噴かれる。かぐわしい霧が私の胸を通り、その奥の鍵盤に触れる。Heliotropeの襞なす旋律は永遠の対旋律と睦み合い、そりかえり、時として入りくむ輪郭は、ひとひらずつ涙をためて。ちいさな海底で眠っていた魚さえ、矛盾と香気をはらんだ声部の導き手となり、水面で跳躍。波紋はうまれ、その余韻は私の内部で微動しつづける花に。拓次はフェルマータが無く、生前発表されることのなかった曲を、独自の運指法で確かに奏でたのだ。

けはひにさへも 心ときめき しぐれする ゆふぐれの 風にもまれるばらのはな。(※3)

引用・参照:
※1(大手拓次「「香水の表情」に就いて――漫談的無駄話――」より)
※2(生方たつゑ『娶らざる詩人 大手拓次の生涯』 東京美術)
※3(大手拓次「薔薇の散策」32より)