わたしの好きな詩人

毎月原則として第4土曜日に歌人、俳人の「私の好きな詩人」を1作掲載します。

私の好きな詩人 第214回― 野口雨情 ― 上田 玄

2018-11-15 16:10:54 | 詩客

 なかなか悩ましい設問である。正直多すぎるのである。金子光晴、草野心平、石原吉郎、アレン・ギンズバーグ。しかも好きである理由に一貫性があるわけでもない。
 もともと遥か遠い幼少期に、陽で洋の白秋や八十より、陰で和の雨情の童謡の方に親しみがあったのは確かだが、詩人としての雨情に引き合わされたのは、二十代の頃に秋山清の『近代の漂泊』を読んだときだ。この本には大きな恩恵を受けている。川柳人の鶴彬を知ったのも、竹久夢二や石川啄木のアナーキーな側面を知ったのもこの本からである。中で最も引き込まれたのが雨情ということになる。雨情の童謡や民謡のなかに「沈潜するレジスタンスの精神を見る」という件が、反権力の感情のままに突き進んでいた当時の私には、励起と慰撫両面の効能があったのだ。そして、折々に詩作品にも手を伸ばしていった。

   時雨唄

  雨降りお月さん
  暈(かさ)下され
  傘(からかさ)さしたい
  死んだ母(かゝ)さん、後母(あとかゝ)さん

  時雨の降るのに
  下駄下され
  跣足(はだし)で米磨(と)ぐ
  死んだ母(かゝ)さん、後母(あとかゝ)さん

  柄杓(ひしゃく)にざぶゝゝ
  水下され
  釣瓶が重くてあがらない
  死んだ母(かゝ)さん、後母(あとかゝ)さん

  親孝行するから
  足袋下され
  足が凍(こゞ)えて歩けない
  死んだ母(かゝ)さん、後母(あとかゝ)さん

  奉公にゆきたい
  味噌下され
  咽喉に御飯が通らない
  死んだ母(かゝ)さん、後母(あとかゝ)さん
 
 大正八年刊行の詩集『都会と田園』の巻頭の詩である。
 いつも何か欠落したものを抱えながら生きることの哀しい覚悟が、あくまで平易に生活の言葉で綴られている。西欧モダニズムと一線を画しながら、口語自由詩の中に五七の韻律を溶かし込んでいる。この韻律に託すしかない俳句の作り手として、身に滲みこんでくるのだ。
 この韻律の和歌的伝統に寄り添うのではなく、『梁塵秘抄』や『閑吟集』などの俗謡の系譜に連なることで見えてくるであろうもの、それがここにはあるのだと思う。 

コメント