言葉のない世界を発見するのだ 言葉をつかって
真昼の球体を 正午の詩を
おれは垂直的人間
おれは水平的人聞にとどまるわけにはいかない
『言葉のない世界』より
「垂直的」といわれるとすぐに俳句や短歌を思い浮かべてしまうのは私のように短詩をやっている人間の悪い癖だが、「言葉のない世界を発見するのだ 言葉をつかって」なんていわれるとますます俳句の世界に近づいてくるのを感じてしまう。もちろん、これは詩歌、あるいは文学全般に通じることだ。垂直的とは、己の価値と倫理によって独立する人間のことであろう。一方水平的とは、世間との相対性によって揺れ動く人間だろうか。
知的で、鋭敏で、しかしダメ人間で、酔っ払いで、なおかつカッコいい。
田村隆一はそういう「詩人」の、最後の体現者だったように思う。本人の資質や才能に加えて、時代が「詩人』をつくった面も大きいだろう。いうまでもなく、田村は鮎川信夫、北村太郎、黒田三郎らとともに戦後詩を牽引した詩誌『荒地』のメンバーである。『荒地』はもちろんエリオットの『荒地』、そして戦後日本という「荒地」である。
モダニズムを通過した「荒地派」の詩人たちは、ダダやシュルレアリズムの技法を持ちながらも、華麗なレトリックに終始しない。むしろその文体は硬質で時に難渋ですらある。
戦前、戦中、戦後を経験した詩人たちにとって、これは当然のことだろう。残念ながら、多くの文学者は戦前戦中、そのレトリックを駆使してさんざっぱら戦意高揚に協力した。にもかかわらず、戦後はくるりと「戦後民主主義」を語りだす。
文学を、言葉を信じられなくなるのも無理はない。
一篇の詩が生れるためには、
われわれは殺さなければならない
多くのものを殺さなければならない
多くの愛するものを射殺し、暗殺し、毒殺するのだ
『四千の日と夜』より
詩人は言葉を捨てない。だが、再び詩が生まれるには、多くのものを「殺さなければ」ならなかった。実際に膨大な人間の死があった。言葉の死、詩の死があった。そしてそれらに迎合する精神を殺さなくてはならないのだ。
田村と金子兜太の対談がある。ここに兜太と意気投合した田村の発言があるが、これが非常に面白い。
「僕たちの一番理想的な世界というのは、言葉のない世界です。言葉のない世界というのは、言葉を蔑視したり、言葉を度外視したりするんじゃなくて、比喩がつけ込むすきのない世界を現出できたらすごいと思う。だから、全体がほんとうの直喩になればね。だけどもそれはあくまで言葉ですから。物じゃないんですから。」
田村によれば、言葉というものはなべて「喩」である。詩人はそれを使って、「喩」の向こう側に届こうとするわけだ。と同時に、言葉はあくまでも言葉である。言葉のちからと、言葉の限界とを知り尽くし、なお言葉に賭ける。吉本隆明はプロの詩人として田村隆一、谷川俊太郎、吉増剛造の三人を挙げたが、言葉を深く懐疑するゆえの鋭さを持つのは田村であろう。
言葉の向こう側を見据える詩人は、時に現実に対しても予見を発する。
「日本ていう国は、どうも経験というものを活かせない伝統というのがあるのかな。同じあやまちを何度も失敗するんですよ。/後手後手に回って、それで同じ失敗を繰り返す。経験が経験していないことになっちゃう。」(中島らもとの対談より)
まさに目の前で起こっている政治腐敗そのものであろう。失敗、都合の悪いことはいつのまにかなかったことにされる。当然、反省や改善に活かされることがないから、同じ失敗を繰り返し続ける。細々とした日常の些事ならば、忘れてしまっても構わない場合もあるだろう。しかし政治的社会的失敗は忘れても消えてなくなることはない。徐々に進行し、取り返しのつかないところに達してクラッシュするだけだ。
それが敗戦であり、バブル崩壊であり、原発事故であったわけだが、あっという間にその経験は忘れ去られる。
詩人は、文学は、これを忘れてはならない。文学に何ができるか、という問いがままあるが、忘れないこと、逃避しないこと、直視すること、書き残すこと。詩によって言葉の向こう側を縫いとめることが、詩人や文学にできることであろう。
おれは
<物>の言葉だけで
喋りつづけているのさ
『物』より
俳句においても「物」は大きなテーマであるが、田村ほど「言葉」と「物」の存在についてこだわり続けた詩人はいない。
田村隆一はいわゆる「戦後詩人」では終わらない。それどころか、今もっとも「現代」を歌っている詩人なのではないだろうか。
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