わたしの好きな詩人

毎月原則として第4土曜日に歌人、俳人の「私の好きな詩人」を1作掲載します。

私の好きな詩人 第123回 -ポーラ・ミーハン- 芦田みのり

2014-04-29 12:51:16 | 詩客

 詩は、いまだに感覚的に体当たりで読む。頼れる知識を持ち綿密に読むのも一方では必要だと思うのだが。「私の好きな詩人」として、テキストに魅力を感じ観客として本人の朗読に惹かれたという、両方の意味で好きな詩人のポーラ・ミーハン(Paula Meehan 1955年ダブリン生まれ、ダブリン在住)について書きたい。

 昨年夏、アイルランドのスライゴーを訪れた。毎年行われるイェイツ・インターナショナル・サマースクールというW. B. イェイツを記念した詩の催事にポーラ・ミーハンがゲストで来るという情報を得たこともあってだった。
 ポーラ・ミーハンがアイルランドで著名な詩人であるという先入観もあったが、予習的に入手した詩集を一読し――英語に対し母語のような直観力もなく、英詩に精通してもいないので「わかった」とは言えないが――深い作品だというぞくっとする感じがあった。朗読会場の教会で、ミーハン氏自身の力強く抑揚のある声の調子を聞き、以後彼女の作品は私の中で詩人本人の声で響く。詩が言葉であり、リズムであり、音楽であることを思いやることができた。

「書く」という欲求を持って日々過ごす中で彼女の作品を知った時、書き手としての立ち位置について考えた。自分と作品中の言葉との距離、言葉を飛ばし過ぎず常に自分の感覚から始めるということ。
 彼女の詩は、読者にイメージしやすい比較的身近なことから始まる(初めから抽象的な語句が並ばないので、外国人として英詩に接する者には読みやすかった)。そして、その個人的な感覚が、言葉に注がれるイマジネーションによって他者に通じる普遍的なものとなって広がる。その変化の過程をなぞり、立ち止まり、内面に沸く感情や考えと向き合いながら、言葉がふと浮き上がる瞬間に出会って気持ちが高まる。
 例えば、後で引用する「ハンナおばあちゃん」で、「きっちり作ったこの詩の箱の中で / 彼女の声は消え入る」というところ。「何だろう」と自分の頭に箱を作り情景を入れ、悲しみと強さを同時に感じた。キリスト教に通じていないので信仰ある者の文脈では読めないが、全体を通し「男にはわかりはしないのだから、女のことは女に任せて」というユーモアも秘めたしたたかさも、シンプルな表現で伝えきってしまうのが気に入った。生きることの理不尽さや美しさや強さ―詩を書き始めた頃の強い欲求と再び顔を合わせた気がした。

 家族や自分の居場所など大事にすべきことは大事にし、その上に詩があるという姿勢に安心できる。名を残した詩人には、傍から見れば自分の生活を壊すように痛めつけ芸術を追求するスタイルを持つ者もあっただろうが、精神性を高めながら人が想像し得る身近な生活圏に生きるポーラ・ミーハンの姿勢は、現在の私が「こんなふうにできたらいい」と思えるものだった。
 もちろん、アイルランド史やカトリック、アイルランド社会で女性がどう生きたかという背景から解釈が必要な部分もあるだろう。しかし、知識量や言語理解が壁を作りそうな所は脇に置き、純粋に個人的な解釈をしたとしても感じた共通項を語りたくなる、私にとってポーラ・ミーハンはそんな詩人だ。
詩人個人の訳詩集は日本で出版されていないようなので、『現代詩手帳』2007年2月号より栩木伸明訳の作品を引用する。詩集Painting Rain(2009, Carcanet Press) に掲載されている。


ハンナおばあちゃん(Hannah, Grandmother)

一番寒かった十一月の日
耳元でおばあちゃんの声――

神父様ニャアナンニモ言ッチャイケナイヨ。

わたしは十二歳、それとも十三歳だったかしら。

心ガケガレテルンダカラ。

罪ハジブンノ心ニ秘メテオクモンダヨ。

連中ヲゾクゾクサセテヤルコトハナインダ。

ダーティー・オウル・フェッカーズ。

鳥とか蜜蜂とかにおびき寄せられるみたいに
聖母像の前にひざまずいたおばあちゃん。

人生の現実をつかさどるわたしたちの聖母が

たたずんでいるのは懺悔聴聞室のすぐ脇。
聴聞室のドアは堅いオークをていねいに仕上げてあって

ワックスをかけた上に緩衝器(フェルトのクッション)までついていて
棺桶のフタみたいに音もなく閉まる。

きっちりつくったこの詩の箱のなかで
おばあちゃんの声は消え入る。

おばあちゃんは目を閉じて

組んだ両手にふれんばかりにおでこが下がって
おんなからおんなへの

一心不乱のお祈りがはじまる。


ジョアン・ブリーンを偲んで (In Memory , Joanne Breen)

ストーノウェーの紡ぎ工房で縒り上げられた
一本の毛糸を指先でもてあそぶ。
夏の牧草地みたいな緑の毛糸を
時計を戻す方向にねじってみると
青、緑、紫、ときにはだいだい色の
繊維が縒り込まれているのがわかる。

私はそうやって毛糸をほぐしながら
紡ぎの魔法をほどいている。

私たちが力を合わせれば
太綱みたいにつよくなれる。霊魂の船舶を
つないで安全な投錨地に停泊させることができる。
荒馬のかたちをした夢想をつなぐこともできるし、
私たちみんなをつないで自然の力に束ねあげる
ことだってできる。彼女はそう信じていた。

これが彼女のしごと。これが彼女の行動方針。
これが、彼女が生まれながらに背負った運命だった。

彼女を埋葬した日、ハリエニシダは金の炎を燃やした。

私たちは彼女といっしょに夏を埋葬した。私たちは
五月の成層圏の雲を埋葬した。ツバメたちを埋葬した――
陸地を縫い上げて海にいたり、空の高みで重労働に耐える
あの鳥たちを、彼女の美しさにみずからを開いた
黒々とした大地に、私たちは埋葬したのだ。

私たちは彼女の肉体の歌を埋葬し、その歌が約束した
婚約と子どもたちと仕事のすべてを埋葬した。
彼女が足取り軽く歩んだ地面、その地面を素材にして
海豚や鮭や白鳥をタペストリー風に織りこむとしたら、
彼女はきっとこんなふうにしただろう。そんなやりかたで
私たちは埋葬したのだ。縦糸も、横糸も、反物も、
染料も、定着剤も、いっさいがっさい土の中。

ストーノウェーの紡ぎ工房で繰り上げられた
一本の毛糸を指先でもてあそぶ。今は真冬だから
煙突のなかで風が泣き叫んでいる。
すきま風でろうそくの火が揺れる。
壁に映った影も揺れる。
そして、息づかい――息が記憶にあたってもつれる。

昔々、ある春の季節、彼女は
裏庭のブナの老木の枝々のまんなかをよじのぼる
少女。ロープをぐいっとつかんでジャンプする――

犬も、雲も、生け垣も、
屋根も、干し草を入れた納屋も、雌牛も
小川も、ムクドリも、牛小屋も、
蜜蜂も、丘も、村も、
あらゆるものがいっしょに回った――そして、ぐるぐるして、
目が回ってげらげら笑いながら、彼女はわたしたちの
愛の腕の中へ着地する。


ことば、ことば、ことば。第14回 日記4 相沢正一郎

2014-04-16 19:35:45 | 詩客

 ちょっと角度を変えて今度は「音楽」について考えてみましょう。西洋の音楽の源流ともなった古代ギリシャ(紀元前五~四世紀ごろ)のことば「ムーシケー」から「ミュージック」が誕生します。もともとはアポロンに仕える女神(ムーサイ)の職能をあらわしたことばで、はじめは「詩と音楽、舞踏」の三つ。日本でも、室町時代に始まり、以後六百年つづく芸能「能」の本質も舞と歌謡、そして囃子方(笛、小鼓、大鼓、太鼓の演奏)「能」が「橋掛り」から顕われた死者が物語る――といったことを考えているうちに宮沢賢治が浮かび上がってきました。どこか響きあっています。先ほど述べました「詩と音楽、舞踏」も、なにか賢治の作品の土台ともいえる、と思います。
 賢治の詩や童話には「死」のイメージが濃厚なので観念的に思われがちなんですが、じつは「能」の「足拍子」――足が床板を踏み拍子を取り、大地のエネルギーを呼び覚ますような生命力もまたあるような気がします。《ドツテテドツテテ、ドツテテド》と行進する『月夜のでんしんばしら』、《キック、キック、トントン》と足ぶみする子どもと狐の『雪渡り』などの童話。また詩やすべての作品には、大地を踏みしめ歩く足のリズム、呼吸、からだの鼓動が感じられます。文字を読む、というよりも声を聴く、とでもいったような生き生きとした口調に触れられます。ですから、詩を読むとき、意味をとらえようとすると難解かもしれませんが、じっさいに音読してみると、からだの奥底のリズムと共振します。
 さて、古代ギリシャに話を戻しましょう。哲学者のピュタゴラスは万物のアルケー(根源)を「数」としました。ピュタゴラス学派の人たちは後の西洋音楽の基盤ともなる8度音程――オクターヴの周波数比2:1の音程であることを発見します。おなじように音楽にとって大切な5度が2:3、4度が3:4と、数比は1から4までの自然数。合計すると10。このように音と数の調和した状態を「ハルモニア」(「ハーモニー」の語源)といいます。人間の心身の調和と宇宙の太陽と惑星の運行にも「音楽」が関係づけられてきました。ヨーロッパでは、音楽が自然科学と密接に結びついていた――科学者賢治と共通します。惑星の運行と「音楽」ということで思い出しました。一九三二年、無線通信の技術者カール・ジャンスキーによって「天の川」の中心から放射された電波が発見されます。電波天文学の登場です。哲学者の中村雄二郎は『かたちのオディッセイ』のなかで、一九六〇年代以降、いちじるしく発達した電波天文学によって、わたしたちの宇宙は急に賑やかになった、といっています。そして、ピュタゴラスやケプラーが「天球の音楽」について語っているが、それまでは隠喩的に語られていたのが文字どおり「天球の音楽」を聴くことができるようになった、と。そして惑星の出す電波は、胎児が胎内で聞く母親の心臓の音と似ている、といっています。
 実際、賢治はたいへんなクラシック好き。農民たちに農業に必要な科学の知識や肥料のことなど教える農学校「羅須地人協会」を開設。そこでレコードコンサートを開いたりしました。それでは、賢治の作品は……というと、本人が意識しているかどうかはわかりませんが、ずいぶん壊れています。中心となる音がなく、音どうしが細胞のように関係しあって作られる音楽――主音を欠いた「無調」といえば、「十二音音楽」を確立したシェーンベルク。音を「ことば」に置き換えてみるとそのまま賢治作品。詩を読むと「現代音楽」にずっと近い。わずかな理解者がいたものの生前無名だった、というのもわかるような気がします。早すぎたんですね。もっともシェーンベルクの無調音楽『弦楽四重奏曲第二番』の初演が一九〇八年、賢治十一歳のとき。ちなみに、複雑なリズムのクラスター、ポリフォニー、不協和音にみちた(賢治の詩にも言えます)ストラヴィンスキーのバレエ音楽『春の祭典』の初演が一九一三年、賢治十六歳のときです。この曲を聴くたびに賢治の詩『原体剣舞連』の《dah‐dah‐dah‐dah‐dah‐sko‐dah‐dah》のリズムを思い浮かべてしまいます。民俗音楽を吸収して作曲したバルトーク、不確率性の音楽、偶然性の音楽のジョン・ケージにも通じます。シェーンベルクに影響を受けた抽象画家の創始者カンディンスキーが、「芸術作品は時代の子で、しばしば感情の母」といっていますが、日清戦争の翌年、明治三陸大津波と陸羽大地震の年に生まれた賢治も、アインシュタインの相対性理論を『銀河鉄道の夜』に反映しています。ただ、ちょっと思うのですが、はたしてシェーンベルク、ストラヴィンスキー、バルトークなどの曲をレコードで聴いたかどうか、もし聴いたとしても好きになったかどうか。


私の好きな詩人 第122回 -エミリー・ディキンソン - 水嶋きょうこ

2014-04-09 20:48:37 | 詩客

 1830年アメリカの北東部ニューイングランドに生まれたエミリ―・ディキンソン。彼女は生涯独り身で、家からも出ず、隠遁者のような生活を送りつつ、詩を書き続けた。生前わずか10篇の詩を匿名で発表しただけであるが、死後みつかった作品は千数百篇にのぼる。56年間という決して長くないその生涯のなかで、なぜこれほど情熱をもって、彼女は詩を書き続けることができたのだろうか。讃美歌を思わせる心地よいリズム、ダッシュや大文字を使った視覚的なおもしろさ。様々な魅力を持つディキンソンの作品だが、私は特に小動物が出てくるものに心ひかれる。「草むらが櫛を入れたように分かれます―/斑点のついた矢が見えて―/それから草むらは足もとで閉じ/向こうへ行って開きます―」(「A narrow Fellow in the Grass」引用)嫌われものの蛇が草原をわたっていく様も詩的で美しい。「銀の玉をかかえ」「真珠の糸を―くり出す―」(「The Spider holds a  Silver Ball」引用)と蜘蛛が巣をかける動きも神秘的に描かれる。そこには愛情にあふれた小動物への視線がある。生きものの身体から溢れ出る生命の力、営みの不思議さをみつめる詩人の眼差しがある。
 しかし、人生への洞察となるとシニカルで辛辣だ。人生をおおらかに肯定する安直な明るさとは無縁の所で描かれている。「露の味を知るには/激しい渇きがなければならぬ。」(「Success is counted sweetest」引用)満たされないもの、虐げられているもの、人生の敗者からの視線が、言葉を成り立たせる。ニューイングランドの保守的な風土、南北戦争で混乱した時代に反するように時代のうねりとは離れ、部屋にこもり詩人は書き続けた。
 彼女は「死」についても数多くの個性的な作品を残している。宗教色の強い土地に育っても、信仰の教義とは違う個人的で独特のものだ。

 

 馬車に乗っているのはただわたしたち―
 それと「不滅の生」だけだった。
  (中略)
 わたしたちは学校を過ぎた、子供たちが
 休み時間で遊んでいた―輪になって―
 目を見張っている穀物の畠を過ぎた―
 沈んでゆく太陽を過ぎた―
  (中略)
 わたしたちは止まった
 地面が盛り上がったような家の前に―
 屋根はほとんど見えない
 蛇腹は―土の中―

 それから―何世紀もたつ―でもしかし
 あの日よりも短く感じる
 馬は「永遠」に向かっているのだと
 最初にわたしが思ったあの一日よりも―


(「Because I could not stop for Death-」引用)

 

 死は不意に現れる。死に誘われ、「わたし」は馬車に乗り込む。過ごしてきた時を確認するように様々な風景を過ぎる。町から郊外の墓地へ向かう景色は生き生きと描写され、人生の流れとも重なり、魅惑的で美しい。しかし、時の経過は死で終わらない。死後もなお旅は続く。「不滅の生」とともに永遠にむかって、残された言葉は進み続ける。
 「詩人はランプに火をともすだけ―/みずからは―消えていく―」(「The Poets light but Lamps-」引用)と彼女は記す。自らの身体は消えても、言葉は残る。個人の詩的言語が世界と関係性を結び、時代の「レンズ」となって表現空間を押し広げていくことを彼女は望んでいたのだろう。小さな場にこもった詩人はひたすら発表するあてのない詩を書き続けた。しかし、自然や命あるものへの尊厳は、詩人の内的世界を豊かにし、溢れ出す言葉は外界と共振し、世界は更に開かれていく。「歓喜とは出て行くこと/内陸の魂が大海へと、/家々を過ぎ―岬を過ぎ―/永遠の中へと深く―(「Exultation is the going」引用)彼女の想像力は大きく自由へと羽ばたく。永遠に挑むように、現実を幻視し、言葉の数々を解き放ったディキンソン。彼女の詩への強い信頼、書くことへの意志、ひた向きな情熱に、私は強く心ひかれてしまうのだ。
    

(「対訳ディキンソン詩集」亀井俊介編 岩波文庫 参照)


連載エッセー ハレの日の光と影 第4回 ブリングル

2014-04-03 23:45:53 | 詩客

仏陀は生まれ、キリストは復活、そしてピカピカの1年生は・・・・

 

 4月です。新入生とか新社会人とか新生児とか新妻とかの季節ですね。新社会人と言えば最初のお仕事は花見の席取りだなんていうのが冗談なのか本当なのか言われた時代もありました。花見ないのに花の下で酒飲みたいんですね、日本人は。というか酒が飲めれば、どんな理由でもいいんだな。我が家の近くでは日曜日の公園でフリーダムに花見の宴が設けられ、調子に乗ったどこぞの集団がおもむろにバーベキューセットでこともあろうに、くさやを焼き始め、騒然となったこともありました。

 しかし浮かれてばかりいていいのでしょうか。4月8日は世界的有名人である仏陀の誕生日。ツートップである相方(?)キリストの誕生日は12月でクリスマスだと大半の人間が浮かれたお祭り騒ぎを繰り広げるが、そこはストイックな仏陀殿、とても地味に祝われる。甘茶の味が微妙で評判が良くないのか。それとも新年度始まったばかりで皆、心の余裕がないのか、どうしても盛り上がりにかけます。しかも最近ではイースターなぞというまたしてもキリスト教の行事が日本上陸なわけで。昔はクリスチャンだけが教会で祝っていたはずが、最近は有名ショコラティエでイースターエッグが普通に売っていたりする。花祭りもここらへんでイメチェンをはかってみてはどうか。釈迦像に甘茶かけると恋が叶う!や、ノンカフェインで甘みもあるからダイエット中の飲み物にサイコー!とか。

 4月はやっぱり入学式。ピカピカのランドセルに負ぶさられ、腕につける黄色の安全ワッペンがまぶしい1年生たちがいっぱい生えてくる季節です。まだ緊張の面持ちで横断歩道なんかでも背筋ビシーッ!と手をいっぱいにあげて渡ったりが微笑ましい。やっぱりこの歌を思い出しますね。

 

「一年生になったら」
 まど・みちお作詞/山本直純作曲

一年生になったら
一年生になったら
 ともだち100人 できるかな
100人で 食べたいな
富士山の上で おにぎりを
 パックン パックン パックンと

一年生になったら
一年生になったら
 ともだち100人 できるかな
100人で かけたいな
日本中を ひとまわり
 ドッシン ドッシン ドッシンと

一年生になったら
一年生になったら
 ともだち100人 できるかな
100人で 笑いたい
世界中を ふるわせて
 ワッハハ ワッハハ ワッハッハ

http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/ichinenseininattara.html

  2月末にこの世を去られた、まどみちおさん。100歳を超えた頃から、このままずっと元気でいそうな気が私の中ではしていた。年齢的にはけして驚くことではないのだけれど、まどみちおのいる世界があまりに長く当たり前だったので、今はとても不思議な気持ちのままでいる。谷川俊太郎さんの名前は知っていても作品は意外に知らない一般人は多そうだけど、「ぞうさん」「やぎさんゆうびん」などを小さい頃に歌ったり耳にしたことがない人はいないんじゃないだろうか。

 さて、そんなすてきな歌なのに、今は怖い都市伝説として語られることが多い。友達100人できるかな、100人で食べたいな!っておまえ入れたら101人じゃね?ってやつです。諸説いろいろあるのが興味深いです。時間のある方はぜひ調べてみて。ちなみに、うちの近くの小学校は新1年生が40人しかいないけれどね!