詩は、いまだに感覚的に体当たりで読む。頼れる知識を持ち綿密に読むのも一方では必要だと思うのだが。「私の好きな詩人」として、テキストに魅力を感じ観客として本人の朗読に惹かれたという、両方の意味で好きな詩人のポーラ・ミーハン(Paula Meehan 1955年ダブリン生まれ、ダブリン在住)について書きたい。
昨年夏、アイルランドのスライゴーを訪れた。毎年行われるイェイツ・インターナショナル・サマースクールというW. B. イェイツを記念した詩の催事にポーラ・ミーハンがゲストで来るという情報を得たこともあってだった。
ポーラ・ミーハンがアイルランドで著名な詩人であるという先入観もあったが、予習的に入手した詩集を一読し――英語に対し母語のような直観力もなく、英詩に精通してもいないので「わかった」とは言えないが――深い作品だというぞくっとする感じがあった。朗読会場の教会で、ミーハン氏自身の力強く抑揚のある声の調子を聞き、以後彼女の作品は私の中で詩人本人の声で響く。詩が言葉であり、リズムであり、音楽であることを思いやることができた。
「書く」という欲求を持って日々過ごす中で彼女の作品を知った時、書き手としての立ち位置について考えた。自分と作品中の言葉との距離、言葉を飛ばし過ぎず常に自分の感覚から始めるということ。
彼女の詩は、読者にイメージしやすい比較的身近なことから始まる(初めから抽象的な語句が並ばないので、外国人として英詩に接する者には読みやすかった)。そして、その個人的な感覚が、言葉に注がれるイマジネーションによって他者に通じる普遍的なものとなって広がる。その変化の過程をなぞり、立ち止まり、内面に沸く感情や考えと向き合いながら、言葉がふと浮き上がる瞬間に出会って気持ちが高まる。
例えば、後で引用する「ハンナおばあちゃん」で、「きっちり作ったこの詩の箱の中で / 彼女の声は消え入る」というところ。「何だろう」と自分の頭に箱を作り情景を入れ、悲しみと強さを同時に感じた。キリスト教に通じていないので信仰ある者の文脈では読めないが、全体を通し「男にはわかりはしないのだから、女のことは女に任せて」というユーモアも秘めたしたたかさも、シンプルな表現で伝えきってしまうのが気に入った。生きることの理不尽さや美しさや強さ―詩を書き始めた頃の強い欲求と再び顔を合わせた気がした。
家族や自分の居場所など大事にすべきことは大事にし、その上に詩があるという姿勢に安心できる。名を残した詩人には、傍から見れば自分の生活を壊すように痛めつけ芸術を追求するスタイルを持つ者もあっただろうが、精神性を高めながら人が想像し得る身近な生活圏に生きるポーラ・ミーハンの姿勢は、現在の私が「こんなふうにできたらいい」と思えるものだった。
もちろん、アイルランド史やカトリック、アイルランド社会で女性がどう生きたかという背景から解釈が必要な部分もあるだろう。しかし、知識量や言語理解が壁を作りそうな所は脇に置き、純粋に個人的な解釈をしたとしても感じた共通項を語りたくなる、私にとってポーラ・ミーハンはそんな詩人だ。
詩人個人の訳詩集は日本で出版されていないようなので、『現代詩手帳』2007年2月号より栩木伸明訳の作品を引用する。詩集Painting Rain(2009, Carcanet Press) に掲載されている。
ハンナおばあちゃん(Hannah, Grandmother)
一番寒かった十一月の日
耳元でおばあちゃんの声――
神父様ニャアナンニモ言ッチャイケナイヨ。
わたしは十二歳、それとも十三歳だったかしら。
心ガケガレテルンダカラ。
罪ハジブンノ心ニ秘メテオクモンダヨ。
連中ヲゾクゾクサセテヤルコトハナインダ。
ダーティー・オウル・フェッカーズ。
鳥とか蜜蜂とかにおびき寄せられるみたいに
聖母像の前にひざまずいたおばあちゃん。
人生の現実をつかさどるわたしたちの聖母が
たたずんでいるのは懺悔聴聞室のすぐ脇。
聴聞室のドアは堅いオークをていねいに仕上げてあって
ワックスをかけた上に緩衝器(フェルトのクッション)までついていて
棺桶のフタみたいに音もなく閉まる。
きっちりつくったこの詩の箱のなかで
おばあちゃんの声は消え入る。
おばあちゃんは目を閉じて
組んだ両手にふれんばかりにおでこが下がって
おんなからおんなへの
一心不乱のお祈りがはじまる。
ジョアン・ブリーンを偲んで (In Memory , Joanne Breen)
ストーノウェーの紡ぎ工房で縒り上げられた
一本の毛糸を指先でもてあそぶ。
夏の牧草地みたいな緑の毛糸を
時計を戻す方向にねじってみると
青、緑、紫、ときにはだいだい色の
繊維が縒り込まれているのがわかる。
私はそうやって毛糸をほぐしながら
紡ぎの魔法をほどいている。
私たちが力を合わせれば
太綱みたいにつよくなれる。霊魂の船舶を
つないで安全な投錨地に停泊させることができる。
荒馬のかたちをした夢想をつなぐこともできるし、
私たちみんなをつないで自然の力に束ねあげる
ことだってできる。彼女はそう信じていた。
これが彼女のしごと。これが彼女の行動方針。
これが、彼女が生まれながらに背負った運命だった。
彼女を埋葬した日、ハリエニシダは金の炎を燃やした。
私たちは彼女といっしょに夏を埋葬した。私たちは
五月の成層圏の雲を埋葬した。ツバメたちを埋葬した――
陸地を縫い上げて海にいたり、空の高みで重労働に耐える
あの鳥たちを、彼女の美しさにみずからを開いた
黒々とした大地に、私たちは埋葬したのだ。
私たちは彼女の肉体の歌を埋葬し、その歌が約束した
婚約と子どもたちと仕事のすべてを埋葬した。
彼女が足取り軽く歩んだ地面、その地面を素材にして
海豚や鮭や白鳥をタペストリー風に織りこむとしたら、
彼女はきっとこんなふうにしただろう。そんなやりかたで
私たちは埋葬したのだ。縦糸も、横糸も、反物も、
染料も、定着剤も、いっさいがっさい土の中。
ストーノウェーの紡ぎ工房で繰り上げられた
一本の毛糸を指先でもてあそぶ。今は真冬だから
煙突のなかで風が泣き叫んでいる。
すきま風でろうそくの火が揺れる。
壁に映った影も揺れる。
そして、息づかい――息が記憶にあたってもつれる。
昔々、ある春の季節、彼女は
裏庭のブナの老木の枝々のまんなかをよじのぼる
少女。ロープをぐいっとつかんでジャンプする――
犬も、雲も、生け垣も、
屋根も、干し草を入れた納屋も、雌牛も
小川も、ムクドリも、牛小屋も、
蜜蜂も、丘も、村も、
あらゆるものがいっしょに回った――そして、ぐるぐるして、
目が回ってげらげら笑いながら、彼女はわたしたちの
愛の腕の中へ着地する。