わたしの好きな詩人

毎月原則として第4土曜日に歌人、俳人の「私の好きな詩人」を1作掲載します。

私の好きな詩人 第97回 -藤富保男- 網谷 厚子

2013-05-12 10:55:29 | 詩客
 私は詩というものは〈言葉の躍動〉であると考えています。いかに下世話な〈日常〉から、鮮やかに拉致してくれるのか、〈ワクワク〉して読みたいものです。そんな詩を創ることを夢見ています。
 藤富保男さんの詩と出会ったのは、私がまだ嘴の黄色い頃で、現実をデフォルメして、〈あり得ない〉世界を創り出そうと〈格闘〉していました。どこか神経を病んででもいるような、〈危ない〉言葉の世界に憧れていました。そんな〈文 学少女〉が、いっぺんに彼の詩の〈虜〉になったのは当然でした。
 22歳のときに出版した処女詩集『時という枠の外側に』(国文社・1977年)には、彼の影響を認めることができるように思います。

風景
                       藤富 保男

  「窓を開けっぱなしにしておくと
   雲がはいって来ますよ」

  「けれど
   ヴァイオリンの中から
   蝶が一枚づ(ママ)つ 
   とび散って行くからいいでしょう」

  「雲が
   とてもゴムくさいね」

  「ほら
   ごらんなさい
   あの遠い燈台の下の岩に
   黒い舌がはりついていますわ」 
               (『コルクの皿』より)


 ここに一体何人の人が出てくるのか、性別は、年齢はどうなっている?
と考えることは〈ナンセンス〉です。
読者の〈予想〉を裏切り、〈翻弄〉させ続けることが、詩の世界の一つの〈醍醐味〉であるとするなら、彼の詩はその魅力を十分に発揮しています。詩の中には〈暗闇〉から〈暗闇〉へと読者を引きずり回し、しまいには〈どん底〉へと突き落すようなものもあります。しかし、貴重な時間と、場合によっては高額な費用まで払って、読者は詩を読みます。少しでも「読んで良かった」「なんかわからないが気分が明るく軽くなった」「メチャクチャ感動した」などと、思ってもらいたいものです。詩は〈エンターテイメント〉であってもいいのではないかと思います。そこには、〈一工夫〉が当然求められます。
 この詩の主題は〈雲〉でしょう。〈雲〉が主題となる有名な詩に山村暮鳥の詩がありますが、ここでは黒々とした雲の影を〈舌〉と表現し、その舌がやがて〈窓〉から見える限りの風景を〈嘗め回していく〉移りゆく情景までも、想像させてくれます。開け放たれた〈窓〉から、黒い舌が入ってくるであろう、描いていない世界までも〈想起〉させることが、可能となります。
 〈言葉遊び〉のように日本語を重ねながら、ずらしていく。そこには、誰も恐らく踏み込めないほどの〈真実〉や〈切実〉な思いがあり、少しずつ〈ガス抜き〉をしながら、一つの完成された世界を差し出している。藤富保男さんの詩の世界は、〈独特〉であると思われます。
ともすれば〈重く〉なりがちな言葉の連なりを、いかに〈軽み〉を維持しながら、しかも〈失速〉せずに持続できるかは、どんな詩でも大切な〈要素〉のような気がします。
 私にとって藤富保男という詩人は、〈初恋の人〉のようなものです。いつまでもきっと〈記憶〉に刻み続けられることでしょう。  

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