タンムーズともうひとつのこと
地球のからだの上を 彼のみどりの指が走っていく
生命の儀式を行い、地面の起伏をみつめ、雨ごいの祈りをあげる
石の動脈から水をやり青々とした作物を育てる
すべての規則をつくりなおし、
季節のめぐりを止め、
地球の軌道をかえる
(なんと重たい私の心、ああ……
影が私に忍び寄り、夢の顔を黒く塗る
なんと重たい私の心……この苦しみはどこから来るのか、この痛みはどの穴から来るのか)
地球のからだの上を 彼の柔らかい薄絹の指が通っていく
鳥のように ここにも、あそこにもとまる
見渡す限りは 彼の国々
彼の薄絹の指がお守りを投げれば
氷山が溶け、水平線の向こうから夕暮れの太陽が再び昇って
新しい朝が来る
地球のからだに再び血がめぐり、祭りがよみがえる
(なんと重たい私の心…悪夢の風が吹き荒れる……
私は 幻想と現実の狭間に落ち込む
影が私に忍び寄る、ああ……
いくつもの問いが私の心を傷つけ、行く手をふさぐ)
彼の両手のたなごころの溝は 小さな川となり
地球のからだに溶けこむ
果樹園に芳香をかぐわせ
しげみの土に水を注ぐ
彼の両手のたなごころの溝は
季節と バビロンの神話の輝きとなる
私たちはタンムーズを愛した
丘の灰を揺り落とし 私たちの夜に彼の黄金の太陽をもたらした
タンムーズを 私たちは愛した
(なんと重たい私の心
私の夢の岸辺に 悲しみの木が育ち
影が私に忍び寄る、ああ……なぜ
なぜ タンムーズの背に傷口が開き
短剣が光っているのか)
詩集『タンムーズともうひとつのこと』
ファドワ・トゥカーン。パレスチナを代表する、そしてこの国の今日に至るまでの悲劇を象徴するこの女性詩人について知ろうとする時、私が手がかりとすることができるのは1996年に新評論から邦訳が出版された『「私の旅」パレスチナの歴史-女性詩人ファドワ・トゥカーン自伝-』(武田朝子訳)という一冊の本だけだ。
1917年、パレスチナのナブルスというヨルダン川西岸地区の小さな都市で生まれ育ったファドワは、非常に保守的なアラブ社会に閉じ込められた女性たちの暮らしを 「入口が細い香水びん(クムクム)のような女の世界での生活(括弧内はルビ)」 と表現する。当然彼女もその「クムクム」の中にあって、小学校課程の途中までしか教育を受けることができなかった。思春期に入ったファドワに想いを寄せた16歳になる少年が、学校の行き帰りに彼女の後を少し離れて歩くようになった、それを-言葉を交わすことさえなかった。ただ一度、ジャスミンの花を手渡されたことはあった―家族に見咎められたことによって、家を出ること自体を禁じられてしまったのだ。
その後、成長と共にいよいよ激しく燃え上がるばかりだった彼女の向学心を理解し、豊かな才能を見出した兄の手ほどきによって詩を学び始め、やがてパレスチナという悲しい祖国を、そしてアラブ世界を代表する女性詩人となっていく。
彼女の激しくも美しい生き様と、パレスチナという国の歴史については是非実際に本書を繙いていただくとして、私がすっかり魅せられてしまったのは、日本語訳を通してさえ溢れるように迫ってくる、言葉への、文学への、狂おしいまでの愛である。「自伝」ですら、そして「日記」ですら、彼女が書き綴る言葉の一句一句が、美しい詩そのものだ。
自伝は、1967年、第三次中東戦争でナブルスがイスラエル軍によって占拠されたところまでを綴った日記で終っている。
長い沈黙が破れた。私は五つの詩を書き、やっと少し息をついた……。
私は書く。私は大いに書くだろう。時の一刻一刻を、演劇を観ながら生きているように感じる。その一幕ごとが私を揺さぶる。私自身もまた絶望し、希望に満ち、地平の向こうにあるものを見つめる、燃え上がる一編の詩にすぎない。