わたしの好きな詩人

毎月原則として第4土曜日に歌人、俳人の「私の好きな詩人」を1作掲載します。

私の好きな詩人 第209回―原民喜― 森川 雅美

2018-06-23 00:40:24 | 詩客

 人はどうしようもない災厄に遭遇した時に、どのような言葉でそれを問うことができるのかは、とても難しい問題だ。想像もできない出来事が降りかかってきた時、それを語ろうとすれば日常の言語ではどうにもならない。3・11の原発事故以降、私たちが曝されているのも、このような言葉の荒地に他ならない。人類は戦争や災害、疫病や飢餓など様々な災厄に、これまで何度も曝され、その度ごとに言葉を紡ぎだしてきたことは、いま生きている私にとって大きな励みになる。原爆と原発という2つの災厄に直面した、原民喜とスベトラーナ・アレクシエービッチの言葉から、考えていきたい。
 原は1905(明治38)年に広島に、アレクシエービッチは1948年にウクライナ・ソビエト社会主義共和国に、生まれている。原は40歳の時に広島でが原爆の直撃を受け、アレクシエービッチは39歳で、ベラルーシの首都ミンスクでチェルノブイリの原発事故を知り、事故後間もなく現地に入った。2人は場所も時代も違い、原が当事者であるのに対して、アレクシエービッチは、チェルノブイリからミンスクは328キロメートルで福島から東京より遠く、第1義的な当事者とはいえない。さらに、書き手としての環境も、私的な小編や詩を発表する地味な作家と、重厚なルポルタージュを書く国際的にも評価の高い作家と全く違う。しかし、二人が極限的な災厄を見事に作品にしたのは事実だ。
 原は、原爆投下の現場を描いた小説「夏の花」や詩「原爆小景」などで知られている。小説と詩だが、共通するのは、どちらもなるべく忠実に事実を描こうとしたことだ。「原爆小景」から「水ヲクダサイ」を全文引用する。

水ヲ下サイ
アア 水ヲ下サイ
ノマシテ下サイ
死ンダハウガ マシデ
死ンダハウガ
アア
タスケテ タスケテ
水ヲ
水ヲ
ドウカ
ドナタカ
 オーオーオーオー
 オーオーオーオー

天ガ裂ケ
街ガ無クナリ
川ガ
ナガレテヰル
  オーオーオーオー
 オーオーオーオー

夜ガクル
夜ガクル
ヒカラビタ眼ニ
タダレタ唇ニ
ヒリヒリ灼ケテ
フラフラノ
コノ メチヤクチヤノ
顔ノ
ニンゲンノウメキ
ニンゲンノ

 読むとまず分かると思うが、言葉なあくまで事実を描くもので、安易な観念や技巧的な比喩の入る余地はない。さらに、過去には契約を神に誓うのに使われた、人ならざる者の言葉の片仮名で書かれていて、極力感情を廃していることが分かる。しかし、書かれているの人間の声という、いわば最も感情的な言葉。想像も及ばない災厄を描くことは、我とも他ともつかない感情を客観手に描くことだと、教えてくれる。
 アレクシエービッチの言葉はどうだろうか。代表作のひとつ『チェルノブイリの祈り』(松本妙子訳 岩波現代文庫)から引用する。紙面に限りがあるので、短い部分をつなげるように引用する。

私は入院していたの。とても痛かったから、ママに頼んだの。「ママ、がまんできない。殺してくれたほうがいいわ」(略)ぼくは家に置いてきたんです。ぼくのハムスターを閉じこめてきた。白いの。二日分のエサを置いてやった。でも、ぼくらは永久にもどれない。(略)あたしはぜったいに死ないいんだと思っていたわ。でも、いまは死ぬんだってわかっているの。いっしょに入院していた男の子がいたの。あたしに小鳥や家の絵を描いてくれた。死んじゃったの。死ぬのこわくないわ。ながーく眠っていて、ぜったに目が覚めないのよね。

 もとより原とは全く違う技法を使っていて、さらに翻訳なので言葉の細かいニュアンスは分からず、対比することは無理がある。とはいえ、読み比べてみると見えてくる2つの共通点がある。原の詩と同様に声であり、あくまで事物を語る言葉で書かれている。しかし、この二つは真逆の方向から書かれている。原が己の言葉にできない体験を、言葉にするため他者の言葉にたどり着いたに対し、アレクシエービッチは他者の言葉収集し、言葉にできない災厄を浮かび上がらせている。結果として、声の交響楽が災厄に直面しながら、なお生きていく人たちを浮かび上がらせる。

(初出「喜和堂」4号 改題および一部修正)