わたしの好きな詩人

毎月原則として第4土曜日に歌人、俳人の「私の好きな詩人」を1作掲載します。

私の好きな詩人 第184回 ―たかとう 匡子― 野田 かおり

2016-09-28 16:53:53 | 詩客

 一枚の葉っぱをとりだして ちいさな箱
 の中に入れる 猫をとりだしては バナ
 ナをとりだしては ちいさな箱の中に入
 れる 葉っぱはアッパのまま 猫はニャ
 ーニャのまま バナナはバのまま入れて
 こどもは大事そうに箱を抱えながらせっ
 せせっせせっせ だっこだっこという詩
 を書き散らす まあるい野原のまん中で

(「幼な児は詩人」より『学校』)

 詩の言葉とはどこから来たのか?わたしとあなたのそれはいつのまにか日常を越えてからみあい、そう、ダンスするように呼応するのである。夕陽のこちらとあちらに立ちながら、幼な児のように詩の言葉を探しては互いに世界を抱擁し…詩を読んでいると、そのような気持ちになる。
 たかとう匡子は1939年神戸生まれの詩人である。詩集『学校』で第8回小野十三郎賞を受賞している。
 私がたかとう匡子の詩に惹かれるのは、豊かなイメージによって世界が構築されているからである。上記の「幼な児は詩人」は、子どもの言語獲得を目撃した体験がイメージに昇華され、「だっこだっこという詩を書き散らす」という詩行へ生成されている。吉本隆明は、「言語表現のひろがりとは一体なにかといいますと、ある人間にとっての<受け入れの仕方のひろがり>だと云えるでしょう」と述べている(※1)。そのような言及をふまえると、体験がどのように受け止められ、詩の言葉となり、世界が構築されているかについて興味が湧き起こる。詩を書き続け、しなやかに時代を越えてきた詩人の豊かな視線を感じることが読む楽しみにつながる。

 あの日崖っぷちには
 岩々を包みこむ液状化した透明ガラスがあった
 はげしい雨に耐える海棠の紅色がすぐそばにあるというのに
 触れることすらできない
 往来不能の境界線だと思った
 あまりにも回路は閉ざされていた
 そのとき聞こえていた断末魔の悲鳴は
 ほんとうは見慣れたビルの瓦礫の下からだったろうか
 闇のなかに光る透明ガラスに抑圧されたものたちの目が
 わたしの内部へ内部へと入りこんできて
 わたしはどこまでもさらわれてしまいそうだ

(「花盗人」より『水よ一緒に暮らしましょう』)

 たかとう匡子の詩には、阪神大震災の記憶、空襲で妹を亡くしたこと、教員生活という体験が様々な形で表われている。そこには、体験の大きさだけがあるのではない。日常と地続きでありながら、まなざしは身体や日常の背後にあるものへ向けられる。日常と非日常の裂け目を詩人の目は逃さない。詩には熟成された時間が流れ、読者はそれを受け取ることで世界をより深く知ることになる。
 もちろん、詩に書かれた世界と作者の体験は別である。そうなのだ。詩を真ん中に据えて眺めていると、<作者のわたし・作品のわたし・詩を書こうとするわたし>の三者が存在し、詩の世界が立ち上がってくる。私がこの詩人を好きなのは、「詩を書こうとするわたし」の強さに惹かれているからでもある。対象へのまなざしの強さがそこにはある。
これを読むあなたも、感性の喜びのひとつとして、この豊かな世界を受け取ってみてはどうか。

 何かがひそんでいるような
 さっきの声は
 どこへいったのだろう
 気配はあるのに
 その炎のなかにいるのは わたしです
 その炎のなかにいるのは わたしです
 遠い
 八月の風の中で
 今も震えている
 妹よ

(「八月の妹」より『ヨシコが燃えた』)


参考:
たかとう匡子『学校』(思潮社2005)、『水よ一緒に暮らしましょう』(思潮社2003)、『ヨシコが燃えた』(澪標2007)
※1 吉本隆明「言葉の根源について」p120(『詩とはなにか』思潮社2006に収録)

 

野田かおり 未来短歌会、アララギ派短歌会会員。第一詩集『宇宙の箱』(澪標 2016)。

 


私の好きな詩人 第183回 ―エフゲニー・エフトゥシェンコ― 佐峰 存

2016-09-24 16:37:00 | 詩客

 言葉は透明で、法律のように空気の中に潜む。言葉はそれぞれの個人から発せられ、空気に留まり、ゆっくりと世界を解体し、作り直していく。エフゲニー・エフトゥシェンコは、ソ連にてスターリン時代の終焉と共に現れた詩人の一人で、“個人の言葉”を駆使しながら作品を書き続けてきた。
 私がエフトゥシェンコを知り、作品を読み出したのは米国で大学生活を送っていた時だ。本人が大学に招聘されて講演に来たときに、彼の作った映画『スターリンの葬式』の上映会が開かれた。そこに観客として足を運んだ。本人も会場に来ていた。上映が終わるやいなや立ち上がり、観客の方を向き、両腕を上げた姿が印象的だった。
 一人の人間は、その人間が育った世界の空気を常に背負っている。生身のエフトゥシェンコはソ連という“凄まじい世界”の空気を薄らと纏っていた。
 周知の通り、特に二十世紀の前半から中葉にかけて、ソ連の詩人は他の文化人同様に激しい弾圧にあった。ソ連は脆い土壌の上に徹底的な情報統制を以てようやく成り立っていた社会であり、言語表現の幅を広げていこうとする詩人は厄介な存在だった。
 ベールイらの象徴主義に対抗する形で出て来たオシップ・マンデリシュタームやアンナ・アフマートヴァのアクメイズム、エセーニンのイマジズム、マヤコフスキーやパステルナークの未来派など様々な流派があったが、いずれの流派の詩人も発禁処分を受けたり、命を奪われたりした。1946年のジダーノフ批判を以て、文学表現に対する干渉はとりわけ強くなり、アフマートヴァも作家同盟を追放され、10年近く復帰することが出来なかった。
 1954年のスターリンの死後に、フルシチョフがスターリン批判を行うと、文学者は若干の自己表現の自由を取り戻した。そんな「雪どけ」の時代に、エフトゥシェンコはパステルナークを師とするヴォズネセンスキーと共に新人として注目を集めた。
 彼はとりわけ若者の間で広く読まれた。彼が頭角を現した1960年代はソ連にもロック音楽を始め、西側諸国から多様な表現が“密輸”されてくる時代だった。そのような時代に“社会派詩人”として、人々が個人として内に秘める思いを代弁する存在となった。時代の要請を受けて登場した詩人と言えるだろう。
 彼の作品『ビートニックの独白』から引用する。ジャック・ケルアック、アレン・ギンズバーグらを中心として米国で盛り上がりを見せていたビート世代の、反権力的な姿勢を伝えている。

僕らの世紀は嘘ばかりついてきた/通行料金や税金のように押し付けて/僕らの思考は拡散する、タンポポの速度で/僕らの現実の風に舞い上がりながら

(「ビートニックの独白」、1961年、引用者訳)


 「」、「通行料金や税金のように」という言葉からも分かるように、この作品で語り手は権力の行使者、“当局”を批判する。語り手の口調は断定的で、多少の語弊はあるが、“権威”に満ちている。語り手を抑圧する外側の権威を、“個人の言葉”という別の権威で押し返す。
 このような一寸の“揺らぎ”もない、力んだ言葉は、言葉の芸術性を重んじる読み手からは警戒されるだろう。しかし、その後に続く「タンポポの速度で」思考が広がっていく様は鮮やかだ。思考という抽象的なものが、植物の“身体”を与えられ、各々の速度で大きな世界へと飛び立っていく。ある思考の種は速く、ある種はゆっくりと、ありのままの姿で遠くを目指す。
 この作品のように、エフトゥシェンコの多くの作品は、分かり易い言葉遣いで書かれている。そんな全体の中で、はっとするような比喩が光線のように射す。
 彼の作品が支持を集めたのは作風の他に、彼の扱った題材もあるだろう。彼の認知度を飛躍的に向上した初期作品『ジマー駅にて』を見てみたい。ジマー(Zima、Зима)はロシア南部イルクーツクのモンゴル国境に近い小さな町で、エフトゥシェンコはそこで少年時代を過ごした。彼自身であろう語り手は、長年を経て、殺伐とした光景の広がる故郷に戻ってくる。

それでもまだやりようはあって/新しい思考のための力を得るやりかた、まず/降りることだ、また/かつて歩いた土の上に、裸足で、埃を上げながら。/その考えはいたるところで私を助け、素朴な考えだが、どこまでも/バイカル湖の近くのどこかでお前を見ると/ジマーと呼ばれる駅よ。/あの松の木はまだあるか/大昔の世界の証人の松の木は/他の農民と共に/シベリアにしょっ引かれた曾祖父の世界の。

(「ジマー駅にて」、1956年、引用者訳)


 語り手は「裸足で、埃を上げながら」、身体の感覚を取り戻すように、自らの原風景に向き合う。この作品に見られるのは、語り手の土地に対する愛着だ。広大な国土の中の、誰の気にも留められないような地域。語り手はそこで育ったが故に、そこから自らを切り離すことを拒否する。偶然性こそが重要だ。その土地、「あの松の木」が、彼を彼自身の出自、ルーツへと繋ぐ。史実は選べないから、彼は彼の曾祖父が弾圧される様を目に浮かべざるを得ない。ソ連では数え切れない人々が、多くの時代にわたり弾圧を受けて来た。自らの家族が受難した“まさにその”土地に、同時に愛着を覚えること。その両義性を真正面から見つめ、受け入れること。読み手の多くにも同様の史実との繋がりがあっただろう。語り手と読み手は同じ視点に立つ。
 エフトゥシェンコの作風が凝縮されている作品が『バビ・ヤール』だ。バビ・ヤールはウクライナ・キエフにある渓谷で、1941年にソ連進行中のナチスが数多くのユダヤ人住民を虐殺した場所だ。

彼らは来たの?/恐れることはない。ひろがる/春の音だ/ここにも春が来たのだ/だからここにおいで/早く、唇を/彼らは扉を破っているの?/いいえ、あれは氷の割れる音/バビ・ヤールでは今も野生の草が吹き荒れる

(「バビ・ヤール」、1961年、引用者訳)


 この作品は多声的だ。弾圧される個人と、それをなだめる身元の明らかにされない(しかし威厳に溢れた)存在の、両方の声が入り混じる。それらに寄り添う語り手の意識も息づいている。
 弾圧者の到来のようにきこえたものは、実は「春の音」であり、「氷の割れる音」だった。作品の中で読み手に訪れる安堵は、しかし読み手に、“現実ではそうではなかった”と、逆に強く思い起こさせる。春の音、氷の割れる音にきこえたものが、実は「彼ら」の身体音だったのだ。
 語り手は作中で、自らにユダヤ人の血は流れていないと言及しつつ、ユダヤ人とその歴史的な苦難を自らの苦難として受け入れる。その行為によって、却って“個人”の姿を提唱している。エフトゥシェンコが語り手の声を通じ示している個人は、国境・人種・宗教に限定されない“私”そのものだ。他人も私、なのであり、そこに彼の作品を貫く倫理観が見て取れる。
 それは逆説的に、“弾圧者”の偏在性も浮かび上がらせる。作中の弾圧者は必ずしもナチスに限らず、人々を弾圧し得るもの全てを指している。発表当時、それはソ連政府をも指していた。
 エフトゥシェンコは特に“スターリン”という偶像を批判し、その解体を、言葉を以て目論んだ。それは偶像であるから、ヨシフ・スターリンという個人がいなくなったからといってなくなるものではない。このような偶像を発生させ得る社会構造そのものに対し警鐘を鳴らし続けること。それが、彼が彼自身に与えた役割だ。条件さえ整えば、場所や時代を問わず、また同じ状況が起こり得る。エフトゥシェンコの詩人としてのアイデンティティはそのような意味で普遍的と言えるだろう。


私の好きな詩人 第182回 ―高塚謙太郎― 横山 黒鍵

2016-09-17 07:43:54 | 詩客

 格調高い詩客さんのエッセー「私の好きな詩人」。
 他の執筆者のみなさんが、とても高度で高尚で的確なヒヒョーを行っている中で、無知で浅学なわたしがとんちんかんな事を書いていいのかとっても悩んでいます。ああもう浮く。ゼッタイ浮く。とか、そんな恐怖に慄えています。新しい観点からの再発見、とか絶対無理。詩が本当に読めているのかも分からぬまま、詩を書き始めてからもう4年が経つのですね。
最初に逃げ口上から始まるのも情けないものですが、恥を晒すことを覚悟しながら、なんとかこうとか書かせて頂きますので、お目汚しお許し下さい。

 私の好きな詩人というと、それはもう沢山の方々が思い浮かびます。鬼籍に入られた方、現役でばりばり書いていらっしゃる方、ネット詩人の方々やTwitterのポエムクラスタ。でも私の愛している詩人というともう一人しか思いつかないのです。
 でも私のこの拙い文章や幼い論考で彼の人の作品を汚すことになるのかと思うととても悲しく切なくなってしまうし、もしここにこの文章が載ったのが目に入ってしまったら嫌われる、ゼッタイ嫌われる、やばい死んでしまおうか死んじゃったら新刊読めないじゃんどうしようどうしよう、というのが今の正直な私の気持ちでありまして。ああ本当にどうしよう、そうだ恋文を書こうじゃないか、一笑に付される程度の幼稚な手紙、父の日に幼い娘がわからぬままに「おとうさん、だいすき」と書いてくるような、しかも字の書けない子だから幼稚園の保母さんがにこにこ代書したような、隣の席のカケルくんのいたずらで自分の娘じゃない子の手紙がふと紛れ込んでくるような。あんな手紙にしてしまえばいいじゃないか、なんて考えたりもして、ほら、この時点でわたしの思考レベル、精神年齢が知れるってもじもじうじうじしていること、数日。
 言ってしまおう。私の好きな詩人さんは、髙塚謙太郎さんです。
 なんてもう赤面じゃないか。赤面覿面、意味がわからなくなってくるほどにテンションがテンプテーションで、すきです、髙塚さん。(の作品)

 どうでもいいことですが、私はいい年こいた男性で、同性愛のケはありませんので悪しからず。

 髙塚さんの詩集を知ったのは、なんだっけ、Twitterにふわふわ漂っていた呟きからだっけ?思潮社からオンデマンドで販売された「カメリアジャポニカ」。
その表紙がもう、ともかくかっこいいし、オンデマンドってなによ?って興味本位で注文してみたのでした。

微温ははまなすの立つ彩りに染まる夏/音へ首をかしぐカモ目は静かにとじてははじけして/それが芳しいひたすらの岸辺、の破裂からひたされるもの/裾をからげて駈けるあとに広がりほむらかえる砂地についばみ/ひらくスカート布/に次々とついばみあつまる照りかえり/背中に弾ける髪を指先で追いながらはまなすの訛りに情は曳く/曳いた乳房に語尾はかさねがさね消えては沈みし/(はざまでからげかけていく)/反して秋はきていた/その名はリーザ

(「抒情小曲集No.2」)


《秋》は忌明けの季節である。(略)《カモ目》であって「カモメ」ではない、つまり《目》の彩りが次々とひらき、ついばまれ、かさなり、からげている。そのあたりを空間軸で処理したものを《リーザ》と名づけている。よって詩篇No.2は時間軸では読み得ない。すると面白いことに《秋》は季節のことではなくなる。

(「抒情小曲集No.2」脚注より)

 届いて開いて、初めの作品を読んで。一番最初の作品群が訳の分からない脚注付き、しかもその注釈は作品をより難解にいているようだし、ずっと読んでいると果たしてからかわれているんじゃないかしらんって気分にさせる文章。こちとら当時は現代詩の初心者で、現代詩のゲの字に触れるか触れないかといったところでございまして。それはたとえば新卒で入社した会社で社会人頑張るぞって勢い込んでる時に足の長い先輩社員からからかわれてその不条理にぶーたれてでもちょっと格好良くない?って思って5月くらいに早速仕事につかれて現実に気付いて入社早々退職するか思い悩んでひょんなことからその先輩に落ち込んでるんですーって相談した揚げ句に酔っ払わされてホテルに連れ込まれて関係を結んじゃったてへ、みたいな感じで結局離れられない関係になりました。うん、そういえば髙塚さんも足長いし。うん。
 このNo.2は最後の方にある「古今六帖(デバイスドライバ)古筆切翻刻」につながっているんだろうな、とか浅薄な感想を持ったり。読む度に新しい発見のあるとても素敵な詩集。
 その後美しい言葉の旋律とイメージの「屏風集」に悩殺され、少女機関説というSF詩群のなかの「アグネス・ブルー」に心をめちゃくちゃに奪われたのでした。

……アグネスの見上げる空では、日常的に彼らは、それらは、戦死していた。彼らの、それらの、指さきがしめす恒星の点在する帯の拡がりは、ない、のだが、ある、という処理の色彩で澄みわたるアグネスの碧い空。色とりどりの季節の花びらは吸いよせられるように凛と、かぐわしく、かぐわしい、として、時おりアグネスの、長い、指さきに、ピーン、とはじかれ、飛び、散り、アグネスのむせるのを遠くに聴きながら、気だるく、皺よった白いワンピースを手のひらで叩き、アグネスの睫毛はふるえ、それがまた、くらくらするほどの、血潮の、過剰を、どんどんと汲みとっていった。まれに視界をスクロールする「遠くへ」のきらめきに、アグネスは向こうの空を振り返り、見上げ、静かに空を滑り落ちていく、数多、を、マザーの《オルガン》が暗譜していく、その感触に頬を伝わらせる、《アグネス・ブルー》が、また、野に落ち、地平が一瞬、白々とひらけていく、《末裔》は目の当たりにして互いに肩を寄せあって。

(「アグネス・ブルー」第一連)


 あまりに好きすぎてこの一連は暗唱できるようになったくらい好きです。美しい。
 確か詩客さんに田中庸介さんの評論があったはず。
 そちらもぜひご一読を。(http://blog.goo.ne.jp/siikaryouzannpaku/e/1b8db5f76cc84068a251e0bc1c8992a8

 一番最後に収録されている「思い出」も最高。大好き。暗唱できるようになりたいなと思う次第です。

 私の購入した『カメリアジャポニカ』は3冊。どこに行くにも必ず一緒です。1冊目は温泉に持ち込んで水没させてしまっておデブになってしまった。洗濯乾燥機の中に入れたら焦げて怒られました。2冊目はつねに鞄の中に入れております。時間が少し空いたらぱらぱらとめくり、そこにある詩句でその日の運命を占ってみたり。3冊目は2冊目が水没した時のための予備。リスクマネジメントはしっかりね!みたいな感じで。ここまで愛せる詩集なかなかありません。まるで私が病んでるみたいじゃないきっとこれは恋の病ねうふ、とか果てしなく気持ち悪い自分にまんざらでもないです。

 髙塚さんは詩集を6冊出していらっしゃっていて、処女詩集にあたるのが『さよならニッポン』なんですが、「昼行灯」という詩がエロくて好きです。

痒いという不幸の食卓の後、やがて過敏に睦み合う。影の位置は移動もしくは出没を終え、ふたりは居間に閉じ籠もる。空の響きが柱を伝い、膝元から湿った冷気が包みはじめ、ますますふたりの腕は絡みあう。//いずれにせよ風呂場から居間までの時間、そこでほぼ癖は古びてゆく。手の方位、目の黙、荒ぶ発語。水の温まりの待機そのものに本然がにじり寄り、痛ましく方途を指差すのは汚れの激しい方に違いない。//如何ともし難い床音の冷たさ、やがて頭部は破調の柵にもたれ掛かり、今まさに蹲るその膝頭に圧される一輪の冬薔薇を摘んだ痕に湧き出す血液を浴び、ふたりはおもむろに始める。暗さに一層輪郭を浮き上がらせ。

(さよならニッポン「昼行灯」より)


 エロいといったら『ハポン絹莢』もそうとうエロスですが、この作品に含まれている、なんだろう「羞じらい」かな。その仕草がとても好もしい。
ちなみに第一詩集から第三詩集まで『さよならニッポン』『カメリアジャポニカ』『ハポン絹莢』と日本の呼称をタイトルに入れている感覚も、大好きです。勝手にリーベン三部作とか呼んでます。リーベンは北京語で日本ね。

 最後に最近刊行された『sound & color』から。
 こちらも、海東セラさんの誠実で美しい評論が詩客さんにあったので、ご紹介します。
http://blog.goo.ne.jp/siikaryouzannpaku/e/741d45d6544eae90040da3823b68285d) 


もう春ですね/もう春ですね/うごきのあるものですから/いろづいた花ふさ/かわくことのない岩/いっぱいにひらいた/やさしい海のおと/ゆれているのはひだひだのわたし/うごいているのはひとつひとつのおまえ

(sound & color「さすらいおもいで」より)

 『カメリアジャポニカ』の巻末詩が「思い出」というタイトル。『sound & color』の巻末詩が「さすらいおもいで」というタイトル。
 このふたつの作品の間に横たわる何かに関しては、私の幼い論考は控えようと思います。
 ただ読んで、悦を得る。
 私の髙塚さんの作品への愛はそんな感じです。

 長々と、微妙な文章にお付き合い頂きましてありがとうございました。髙塚さんの作品を毎回Twitterで朗読しているのですが、今度「sound & color」の一冊まるっと朗読にも挑戦してみようと思っています。

 「私はあなたの作品の喉になりたい」

 私の好きな詩人は髙塚謙太郎さんです。