わたしの好きな詩人

毎月原則として第4土曜日に歌人、俳人の「私の好きな詩人」を1作掲載します。

ことば、ことば、ことば。第24回 猫2 相沢正一郎

2015-02-24 18:31:52 | 詩客

 文学で「猫」というと、《吾輩は猫である。名前はまだ無い》の夏目漱石『吾輩は猫である』をまっ先に思い浮かべます。むかし読んだ作品なのでハッキリ覚えているわけではないのですが、はじめて中学生でふれたときには「注」と本文の両方を行ったり来たり。それにしても飼猫に名前を付けないなんて。眉間の皺がゆるんで、口もとに笑いがうかんだのは高校の終わりごろに再読したとき。この猫の名前のない無名性は、社会に帰属しない「高等遊民」。またその自由さは、どこにでも忍び込める撮影カメラの透明な存在。この視線は、犬でも鳥でも虫でもなく、やはり猫の目でなくては。
 ところで、ヒトの名前の方は、というとずいぶんいい加減――迷亭、水島寒月、越智東風、多々良三平、八木独仙……。主人の珍野苦沙弥の娘が、とん子、すん子、坊ば(自分の子どもに、そんな名前をつけるか?)。そんな出鱈目な名前のなか、主人の妻にも名前が出てこない。思うに、猫も妻も「主人」の分身――影なのでは。猫同様この処女小説に登場するハキハキものを言う妻は、その後の漱石の作品の女性とはずいぶん違うし、明治時代の従順な女性とも違います。また、ほかの猫たちも(名前こそ付けてもらっているものの)飼い主の分身のような気がします。
  さて、そんな風に『吾輩は猫である』を読んでいましたが、実際に漱石は、 (私がはじめに感じたように)あまり猫が好きではなかった――ということを、漱石の次男、夏目伸六のエッセイ「猫の墓」で知り(確認し)ました。猫の出てくる小説や詩、絵やマンガに触れたとき、本当に猫に関心があるかどうか、猫好きには匂いでわかるものです。やまだ紫、長谷川潾二郎、藤田嗣治、猪熊弦一郎などの捉えた――猫の日向で眠るふにゃとした表情、後ろ足で耳のうしろを掻くしぐさ、顔中を口にして生あたたかい息を吐く欠伸、フゥーッと毛をさかだてる怒りの激しさ……これは本物です。
 もっとも、好き嫌いは作品の評価とは関係がないのかもしれません――あまり好きだと距離の取り方がわからなくなることもありますから。『小さな貴婦人』など猫が登場するたくさんの小説、エッセイがある吉行理恵だからというので、詩集を探してみると、見つけたのは「悲劇の主役ですから」と 「猫の一日」のふたつ。詩にあまり登場しないのは、猫が散文向きだと思っていたからでしょうか。
  《眼をさます と/ミルクを飲んだ/う、めえ…… と鳴いて/もう 眠ってしまった》(「猫の一日」全文)。『吾輩は猫である』同様、ユーモアとナンセンスな味わいは猫によく似合います。漱石の風刺の重さはなく、透明な風みたい。 (そういえば、ルイス・キャロル『ふしぎの国のアリス』にチェシャ猫がいたな)。猫好きで、エッセイや絵本だけでなく、詩にも猫がよく登場させている詩人といったら小長谷清美――『東京、あっちこち』の「20」章から。
 《ネコのいない町なんか/歩きたくないね、そういう意見を持ったひとと/佃大橋を渡った//道のつき当ったところに/神社があって/ふとったネコが首傾けて/水の声を聞いていた//佃小橋を渡り/そのあと合計九匹のネコをシュートし/わたしたちは/また 佃大橋を渡った//うららかな、/インディアンの夏の午後!》。 この詩を読んでいたら武田花の写真を思い出しました。どこか懐かしくてちょっと怪しい風景――片隅に居心地よさそうに猫がそっといる、まるで絵画のサインのように。そうだよな、ネコのいない町なんてヒトもまた住みにくい。(なお、武田花、「猫1」に登場した武田泰淳と武田百合子の一人娘)。
 田村隆一が猫に似合う、と思ったのは、ソファで猫を抱いて眠っている写真を見てから。田村はどちらかというと鳥、それも猛禽類とか鸚鵡を連想させる立派な顔なのですが、妙に猫と合う。悦子夫人の家に田村が鳥籠をもってやってきたのは1982年の大晦日。尾長のタケと悦子のチィはなぜか仲良くなり、隆一もすっかり猫好きになった、という話を読んだことがあります。さっそく田村隆一の詩集を調べてみましたが、猫の詩は少ない。
 『新年の手紙』に猫の詩がありました。吉行理恵のように、猫が風のような透明感とミステリアスな雰囲気に抽象化されています。《凶器はありふれた剃刀だったけれど/ぼくも村の床屋まで行ってみる/秋のはげしい夕焼けのなかで燃えているもの/凶器の剃刀のようにただ冷く光っているものが見たいばかりにさ/床屋には牛も坐っていそうもないしスマートな殺人もないだろうが//この村には新しい関係も相反する関係もないことがよく分った/真夜中 浴室のあたりで/まるで霊魂がもどってきたような音がした/それからゆっくりと/どこからか帰ってきた不定形の猫が/ぼくのベッドにもぐりこむ

(「不定形の猫」)。


私の好きな詩人 第142回 -新川和江- 森井香衣

2015-02-22 16:09:50 | 詩客

 第一詩集『眠り椅子』(1953年)の初編「しごと」は、「きんいろのぺんでゑがく/この いっぽんの道」で、始まる。それから、どれほど多くの、豊かな作品が生み出されたか…、深く尊敬の念を抱かずにはおれない。すでに、多くの優れた詩人によって語られている新川和江さんの詩を、わたしが述べることは、分不相応と思うのだが… その金色のぺんで描かれた秀逸な作品群を眺めると、道には、野の花が広がり、街があり、いのちの水があり、そして、海へ、悠々と入ってゆく大河のようで、まばゆく、魅了される。だが、海は、涙の海であったし、増してゆく寂寥の潮であった。 海を詠った詩は数多くあるが、その中で、異彩を放っているのが、「いちまいの海」。

 

うつくしい海をいちまい/買った記憶がある/青空天井の市場で/絨毯商人のようにひろげては巻き/ひろげては巻きして/海を売っていた男があったのだ/午睡の夢にみた風景のようで/….(新選現代詩文庫122『新選新川和江詩集』1983年思潮社刊)

 

  この海は、詩人の内に抱える海ではない。憧憬していた詩の光景、わたしは、新川さんが女学生の頃、疎開されていた西條八十氏から影響を受けたランボー、ヴェルレーヌといった西欧の象徴詩、と秘かに想ってしまう。緩やかな記憶の波に揺られながらも、ふいに現れた情景に、瞬きもせず、じっと見入ってしまうのは、海を絨毯に見立て、うつくしい海をいちまい…と数える、発想の大胆さに、心がひっくり返され、つかまれたからに他ならない。そして、露店でもなく、青空市場でもない、青空天井の市場という語法。その空間の広がりと風景描写は、絶妙である。「ひろげては巻き/ひろげては巻き…」このリフレインも、寄せては返す波を感じさせるものだが、心地よく揺られていると、いきなり、床に落とされたかのような衝撃で、突き放される。

 

その海に/溺れもせずにわたしが釣り合ってゆけたのは/進水したての船舶のように/けざやかに引かれた吃水線をわたしが持っていたからだ  

 

  他者性への明白な認識は、自己を深く見つめずには成り立たず、その深い洞察力と峻厳な眼差しが、「けざやかに引かれた吃水線…」 に表れている。吃水線、という、きりりとした言葉の響きと相まって、なんと、魅力的な詩句であろうか。
 「しかしそれも一時期のこと/引っ越しの際にまたぐるぐる巻きにして/新居の裏手の物置へ/がらくたと一緒にしまいこみ/忘れたままでいたのだが…」と、又しても、日常性へ突き放される。忘却の彼方へ置き去りにするは、日々生きている者の性である。ところが、だ。非日常性であったはずの海が、まるで、実在の翼を得たかのように、立ち現れてくる。「一羽の鷗が物置の戸の隙間から/けさ不意に羽搏き 飛び立ち わたしをひどく狼狽させた…」、思い出すという行為以上の在り様は、うつくしい海が色褪せもせず、乾涸びもせず、その形象を保っていたからで、詩人の意識は、自己の、吃水線がはげおちているという哀しい現実の方にあり、日常性と非日常性が反転して、裏庭を水びたしにしはじめていることに狼狽する。そして、この詩は、「あの海を どうする」、という、問いかけで終わる。海を恣意性から開放することで、うつくしい海は、永遠の輝きに満たされて、心に残る。
 
 この詩の次に、詩「海をうしろへ…」がある。自分の立ち位置を確認するかのような詩句の後に、ひとつの決断が下される。「わたしを呼ぶ者の声に答えるのだ/身じまいをして すずやかに「はい」と」 
 新川和江さんの詩が好きな理由は、また、その音楽性にある。イメージを美術性と捉えるなら、それが、程よく釣り合い、海浜ホテルのように響きの美しい詩句を織り交ぜながら、リズムや変調といったことにまで、細やかに詩を創られているから。創るというより、生まれてくる歌。

 

 真摯なことばへの向き合い方、対象物への深い洞察力。言い尽くせないことがたくさんあるが、次の「お米を量る時は…」という詩は、日々の暮らしのなかで息づいている。今では、升を使って量る、という行為自体が、既に日常性から失われたかも知れないが、毎日、お米を量るときに升を使うわたしは、はたと立ち止まる。そら豆や大豆を量る時のスキマ分への配慮を怠らない村人の手は、実直で、優しい。言葉が実体に見合っているか、と常に自分に問いかける詩人の自省の厳しさも反響する。お米のように、ことばもまた、生きてゆく糧なのだ。当たり前のようで、難しい。

 

米を量る時はすりきり/そらまめや大豆を量る時は/スキマの分もいれて 山もりいっぱい…/村びとたちの手つきを真似たく思ふのですが/なかなか うまくゆきません/いつでもことばが/足りないか 夥しくこぼれてしまふかして (『ひきわり麦抄』1996年花神社刊)


連載エッセイ しとせいかつ 第2回 夢ですか?助産師です。本の。 亜久津歩

2015-02-13 00:17:13 | 詩客

わたしは4年ほど情報誌をつくる仕事をした後、6年と少しブックデザイナーとして会社勤めをしてきた。そこで「本の出産」にくり返し立ち会いながら、ことばの衣装、いや肉体である装幀の奥深さ、おもしろさに惚れこんできた。

そんなこんなもちょっぴり踏まえつつ、今回は制作面の話をしたい。

 

と、言うのも。

前回、創刊時の話をした「CMYK」について、「どうやって作ってるの?」とよく尋ねられるのだ。詩は読者と実作者を兼ねているケースが多いからかもしれない(感覚値だけど)。この場を借りてざっくりお答えしようと思う。

 

「CMYK」はIllustratorでデータを作りプリントパックで印刷(+二つ折り加工)をしている。あれこれと見比べたが、同社は対応が早いのとコストパフォーマンスがよく、満足度が高い。紙はマットコートの110kgだ。一般的な詩誌やパンフレット等よりも少し厚く、光沢を抑えてある。B4サイズであることも、「ちょっと特別」な感触を出すため選んだ。紙は重要だ。

 

 

紙にはたくさんの種類がある。印刷会社のサイトから見本を送ってもらえることもあるので、興味のある方は請求してみるとよいだろう。そろそろ回し者のようになってきたが、プリントパックでは無料で送ってもらえる。特殊な紙は専門店に行って直接ふれるに越したことはないが、竹尾のサイトを眺めるだけでも幅が広がる。何より愉しい。

 

企画編集を担当した詩誌「権力の犬」5号では、執筆陣に手書きの原稿を依頼し、スキャンしてデータ化したものをタカヨシ印刷でわら半紙に印刷した。わら半紙で安く刷ってくれるところがなかなか見つからずに驚いた。昔は当たり前のようにあったのに……今の子たちはわら半紙なんて使わないのか……。

 

 

一風変わった紙や印刷で言うと、ご存知の方も多いと思うがレトロ印刷JAMにも何度かお世話になっている。こちらは、初心者の方にはデータの作成が少し難しいかもしれない。だが、糸で綴じたりズレのある印刷ができたりと仕上がりに味があるので、手作り感の好きな方には相性が良いはずだ。豆本を作ることもできる。

 

「エッセイ」らしからぬことを一息に並べてしまったが、参考になれば幸いだ。

なんでこんなことを言うかというと、わたしは手製本に限らず「私家版」詩集がすきなのである。他がいけ好かないとかいう話ではなく、もっとシンプルに、素朴に、愛着を感じる。だから詩歌の世界がもっともっと子だくさんになればうれしい。そして抱っこしたい。

私家版=広義では「自費出版」全体を私家版と呼ぶこともあるが、ここではISBNコードのないものを指す。


ショーバイの匂いが薄いところもすきだ。「自費出版」をばかにするような口ぶりや「詩人なんて職業じゃない」とネガティブな調子で目にすることもあるが、個人的には「だから本当に好きにやれるんだろ」と感じる。いや、「本当に好き」をショーバイに乗せられる人の話は今、していない。

 

スポンサーがいてユーザーがいて生活があって、上司や他部署や競合他社とのしがらみや生き残り合戦があって予算と納期と前年比の目標とほにゃらら……の狭間で最善を尽くす「ものづくり」ならではの魅力もあるだろう。ただ、わたしはそれには向かなかった。人里離れた山奥で、人知れず納得いかない壷を割りながら霞を食って生きていきたいところなのだ(そんな才能も孤独に耐えうる精神力もなく欲にまみれているので埼玉に安住している)。

 

話がそれた。

若手に限らず、作りたい人はすきに私家版詩集を作ればいいと思う(すきに「作らない」選択も当然ある)。すでに実行されている方には余計なお世話以外の何物でもなく、そもそもおこがましい話だが、迷ったり先送りにしたりしている方には「いいもんですよ」と言ってみたい。人目にさらしてみて気づくことは多いし、そこまでやってみて「自分だけではできない」ことがわかるという回り方もある。編集者やデザイナーがつくとどう変わるのかや、製本の限界、販路の問題なども。必要なければ、それまでだ。

 

わたしも次は自分で作る。

今のところ第3詩集は「どこかしらヘンな本をつくりたい」という動機だけがある。

 

市販の本のサイズや造本が似通うのは、効率が主な理由である。原価を下げたり、流通させたりするのに都合のよいものがあるのだ(「型」のひとつとして機能していることもある)。だが自分で作ればルールはない。他作品との統一感も「詩集っぽい詩集」である必要もない。ナナメ書きでも、左右に開かなくても、活字でなくても本棚に入らなくても途中に何かが挟まっていても問題がない(法に触れるものを挟んではいけない)。叶えたい何かを追求した結果、文字通り「型破り」や「意味の(わから)ない」束が産み出されたなら、最高に「ハッピーバースデイ」じゃないか。

 

いつかはそんな本の産まれるところに立ち会いたい。あるいは誰かに打ちのめされたい。

立ち直れないほどショックを受けたら、秩父あたりの山にこもろうと思う。


私の好きな詩人 第141回 -ジャン・リュック・ゴダール- 橘上

2015-02-08 11:27:12 | 詩客

 ゴダールのことをわかったことは一度もない。ゴダールからわかったことはいくつかある。


 上は私が1994年に残した言葉である。私が初めてゴダールを見たのは17歳の時、2001年のことだから、何故観てもいないゴダールについて1994年、10歳の私が言葉にできたかわからない。
 しかし今問題にしているのはゴダールだ。あなた方は私のことを分かる必要ない。そもそも私はゴダールを問題にしたいのかどうかもわからない。

 

「私の好きな詩人―ジャン・リュック・ゴダール」、この言葉はあまりに素朴だ。
 しかしゴダールはそもそも素朴なことをやってきたのではないか。
劇中に 「ここは現実か?映画か?」 「映画だ」「映画だと?クソッタレめ」(WEEKENDより)というようなあまりに素朴な会話が劇中に挿入されることもめずらしくない。無論、素朴なことを素朴にやればいいいってわけじゃない。それでは松岡修造だ。素朴なことをやりながらも、ありきたりの素朴さに止まらないのがゴダール作品である。松岡修造には松岡修造の凄みがあるが。

 

 2015年に日本公開の最新3D映画、「さらば、愛の言葉よ」(原題「Adieu au langage 3D」を直訳すると「さらば、言葉よ3D」らしいが)でも変わっていない。
 この映画に印象的なシーンは数あれど、まず一つあげるのなら、真っ黒な背景の中で「3D」という文字が立体的に浮かび上がり、「2D」という文字が平面上に配置される場面だ。

 

 「3D」という文字を3Dで表現し、「2D」という文字を2Dで表す。そしてその映画の原題は「さらば言葉よ」。

 

 ぐうの音も出ない。書いていて自分でアホらしくなる。こんな3Dで浮かび上がる「3D」を見せつけられて人は何と言えばいいのか。
 しかしその後のシーンでも相変わらず、言葉、言葉、言葉。光とともに、音とともに。
 そう、恐るべことにこれは映画のラストシーンではなく、冒頭のシーンなのだ。こんな元も子もないシーンの後に何を語ろうというのだ。しかし「3D」を3D、「2D」を2Dの後の「さらば言葉よ」をラストシーンにするのなら、それじゃ「にんげんだもの」のあいだみつおだ。あまりにキマリ過ぎてる。印篭のように元も子もない言葉を振りかざして終われば、物語の体裁は保てる。しかしそれでは水戸黄門だ。

 

 おそらく「さらば言葉よ」にはつづきがある。いや、つづきがあるのかは知らないが、つづけざるをえない。
 それは、この現実に生きている限り避けては通れない。現実は印篭をかざせば終わる水戸黄門とは違うのだから。元も子もない結論に至るのでなく、元も子もない言葉から出発するのだ。ならば「さらば言葉よ」のつづきを書くことは詩の問題と言っていいだろう。

 

 「さらば言葉よ」「にんげんだもの」の続きを書くことは、なんと無残な事だろう。
 もう目の前にあらがいようのない答えが用意されているのだから。
 しかし我々は「さらば言葉よ」「にんげんだもの」の続きを書かざるを得ない。
 誰からも用意されていない続きを。
 その無様さを引き受けながらも、如何に言葉を紡いでいくか。時に真面目に、時に遊びながら。
 ゴダールは、そんな元も子もないことをクソ真面目にやっているのである。遊びながらでないとやってられない。いや、元も子もないことをクソ真面目にやるということを、遊ぶのだ。
 ゴダールの言う「ソニマージュ」も、言葉だけ聞くと難しいが、「音と映像を使っていけるとこまで行ってみよう」という風にとらえると、ゴダールだけの問題ではないように思える。誰だってこの途方にもなく元も子もない現実を、何かを使ってどうにかして生きざるを得ないのだから。
 だから、ゴダール映画をみると、とても清々しい気持ちになる。アイツが音と映像ならば俺は文字と言葉を使っていけるとこまでいってやろう、とやるしかない気になるからだ。

 

 話を映画に戻そう。前述した通り、この映画は3D映画だ。
 3D映画と言うと、「3D映画でよりリアルに、よりクリアに」なんて言葉も耳にするが、冗談じゃない。
 女性がフルーツを乗せたお盆を持ってソファーに座っているだけのシーンでは、お盆が異様に飛び出てくるように見えるし、男女が画面に縦列に並んで会話する場面はすぐ近くにいるのに距離感がつかめない。
 「3Dですねん」とでもいいたげな、「過剰」とも言える奥行きが映し出され、「リアル」という印象からは程遠い。これなら普通の映画、2D画面の映画の方がよほど、現実に近いと言える。
 現実は3Dだ。3D映画は3Dだ。映画は2Dだ。しかし3D映画より、通常の映画の方が現実のリアリティーに近い。
 この言葉にすると奇妙な、論理的には破たんしている状況は、我々の認識を激しく揺さぶる。

 

「現実は3Dだ。でも現実ってこんなに3Dだったけ?」

 

  自分は現実という3Dをきちんと捉えられていないのか、そもそも現実が俺に捉えきれないものなのか、それとも捉えた現実を表す言葉をもっていないのか、どれでもないのか、どれでもあるのか。もう俺は既に眼球という3Dメガネを装着しているのではないか。現実は確かに3Dだが、3D映画の3Dとは違う。その現実を現実らしく歪めて捉えていて、本来の現実はもっと違う姿をしているのではないか。

 

 そう考えながら映画を見ていると、合間合間に挿入される犬の姿が目に留まる。
 その犬を見ると、「犬だ」と思う。当然犬は「犬」なのだが、はじめて犬を「犬」として認識したかのような感覚を覚える。「犬」という言葉が湧き上がるタイミングと、犬を発見するタイミングがほぼ同時で、犬自体と「犬」という言葉が完全に結びついたような。しかし私が見ているのはあくまで映画で、そこに犬はいない。いないはずの犬が3Dメガネと眼球の間で、確かに存在しているのだ。
 通常犬を見て、いちいち「ああ、そこに犬がいる」と思うことは少ない。犬がいることを深く捉えずに流すように現実の時間をやり過ごしているからだ。
 お盆が立体的なのは当たり前だし、犬がいるのも当たり前だ。
 しかし、その当たり前がこんなに新鮮に感じることはなかった。無論それはゴダールの技術とセンスと経験が3D映画という新技術とぶつかってあらわれた感覚なのだが、それはゴダールだけのものなのだろうか?
 むしろゴダールの技術とは、この「当たり前」を新鮮なものとして捉えなおすための技術ではないだろうか。
 我々は多くの当たり前を見過ごしているし、そのことに気づいてこなかった。この映画を見ることで、見慣れた「当たり前」と初めてあった時のように再会することができるのだ。そして、自分も自分の方法で「当たり前」を捉えなおそうと思えるのだ。

 

 「映画文法からの逸脱」「音と映像の追求」はゴダールの専売特許のように言われている。
 また、現在は
「全てゴダールがやりつくした」
「ゴダールに影響された自主映画じゃあるまいし」
「ゴダールだから許される」
 こんな手垢にまみれた言葉が蔓延し、「ゴダール」を諦念のための合言葉に使い、「もはやリミックスとアップデートと二次創作しかない」「新しい表現なんかない」といったムードが強まりつつある。
 しかし、新しい表現なんて本当にないのだろうか?

 

 ある戦場カメラマンいわく、「私の夢は私の仕事がなくなることです」
 戦場カメラマンという仕事があるということは戦争がなくなるということであり
 彼らが暇になるということは、戦争が起きない世の中が実現されたということだ。
 現在も戦争はなくならず、戦場カメラマンは今日も忙しい
 しかし現状のまま、彼らを暇にする方法だってある。
 簡単なことだ、あらゆる戦火に目をそむけ、「戦争は終わった」とうそぶけばいいだけだ。

 

 これを受けて「新しい表現なんてない」という言葉を考えてみる
 「新しい表現がない」世の中、それはそれで素晴らしいだろう
 「新しい表現」なんて現実の問題が新しく生まれるのに対応して生まれるものだから
 「新しい表現」がないということは現実の問題の一切がほとんど解決されたということなのだから
 問題は全て解決された、後は歴史の繰り返しに身構えながら半笑いでやり過ごせばいいだけさ
 本当にそうだろうか?

 

 「新しい表現なんてない」ないとうそぶく連中は
 戦火に目をそむける戦場カメラマンと何が違うって言うんだろう
 きっと次々巻き起こる現実に目をつぶっているだけだろ?

 

 「表現は全て出しつくされた」なんて世迷いごとだ
 「現実が全て出しつくされた」なんてことはないのだから

 

 「全てやりつくされた」という地平から出発し、次々と新たな作品を生み出すゴダールは、その矛盾自体を真剣に遊び、飛び越えようとしている

 

 これはゴダールだけの問題じゃない
 これは芸術家だけの問題じゃない
 お前はジャン・リュック・ゴダールになる必要なんてない。
 お前はジャン・リュック・ゴダールになってはいけない。
 「当たり前」の現実を、つかみとるために

 

 俺はゴダールをわかりたいんじゃない。
 元も子もないことからの出発ということを
 ゴダールがゴダールなりにやったように
 俺も俺なりにやるだけだ
 そしてそれはゴダールとは違う方法で
 ゴダールとは違う道行きになるに違いない
 でも大丈夫。
 この道行きが大丈夫じゃないってことは決まり切ったことだから。

 

 ところであんた、ゴダール、ゴダールってうるさいけれど、ゴダールっていったいなんなのさ。

 

 わかるわけねぇだろ。だって映画の後半で俺は眠っちまったんだからさ。
 だから観れなかったこの映画のラストシーンのかわりに俺が書くわ。
 さらば言葉よ、の続きの終わりを。
 とりあえず「にんげんだもの」を一行目に詩を書くことから始めるか。
 文字と言葉を疑いながら信じながら。
 文字と言葉を使いながら使われながら。


私の好きな詩人 第140回 ネルーダを知ったとき -パブロ・ネルーダ- 堀田季何

2015-02-02 10:47:46 | 詩客

 パブロ・ネルーダは私の中でとても特殊な位置を占めている。巨大な柱時計がリビングルームの壁面ど真ん中に置かれていて、適当な時刻に一日数回だけ、しかも愛おしく鳴っている、そんな感じである。理由は簡単で、私が原語のスペイン語に精通していなく、彼の詩は普段は英語で、偶に日本語で読んでいるからである。つまりは、翻訳でしか触れていないわけで、最初に高校時代の哲学の先生に薦められて英語で読んだときの衝撃、それ以来好きな詩人のトップ10にネルーダが入り続けて入る事実に対し、翻訳でしか読んでいないという「負い目」が二十年以上も私の心を侵し続けてきた。T・S・エリオット、ランボー、李商隠などは(翻訳版も捨てがたいが)原語で読めるし、朔太郎、光太郎、吉岡実等は自国の詩人だ。そういうわけで、ネルーダだけがトップ10にいるのに翻訳でしか読んでいない詩人ということになる。

 ここでネルーダを紹介する気はない。ウィキペディアで調べ、思潮社が出している『ネルーダ詩集』(田村さと子・訳)を読めば、彼の経歴や思想、作風に関しての大まかなイメージは掴めると思うからだ。これまた不思議なのだが、好きな詩人といっても、好きな作品がとても多い詩人という意味でネルーダが好きなだけであって、私自身は彼の経歴にも思想にも作風の変遷にも全く興味はない。彼はチリ人であり、ノーベル文学賞受賞者でもあるが、どうでもよい。彼についての多くの論評でも、本人の豊かな人間性、スペインのフランコ政権やアメリカのベトナム戦争でのやり口を詩で糾弾したこと(「そのわけを話そう」や「ニクソンサイドのすすめ」が有名)、チリのピノチェト軍事政権に弾圧されたこと等がよく語られるが、それまたどうでもよい。ましてや、映画『イル・ポスティーノ』が、彼の亡命経験に基づいていることなど、考えたくもない。多少興味があるとすれば、ガブリエル・ガルシア=マルケスが「どの言語の中でも20世紀最高の詩人」と彼を称えたこと、くらいか。

 結局は、一目惚れだったからだ。最初に読んだ作品が彼の「詩」という詩で最初の数行を読むなり、ネルーダとは似て非なる架空の作中主体に惚れてしまい、それから「100の愛のソネット」という百篇の求愛の詩の数篇を読んだ時点でノックアウト、彼に心を捧げてしまったからだ(私に男色の趣味はないことはここで断っておく)。つまりは、ノーベル賞級の「美辞麗句」にあっさりと口説かれてしまったようなもので(しかも原語でなく英語で!) 、二十年経っても惚れた弱みがあるままなのである。だから、ネルーダが実際にどういう男だったか興味がないのである。知りたくない、というのが正直なところ。ネルーダの詩の作中主体こそが私を人生で唯一口説いた人物である。だからこそ分別を以って彼の詩を読むなんてことはしたくない。パラテキストの情報は全く考えず、只々その詩才に酔っていたいのだ。恋文の習慣が途絶えて久しい現代日本に住む詩人たちの感覚からすれば、彼の愛の詩は臭く映るかもしれない。しかし、それは大胆な語句の使用と言い換えることができるし、それを成功させるために散りばめられている鮮烈かつ巧みな比喩は見落とせない。愛の詩だけでなく、哀悼の詩でも、皮肉めいた詩でも、彼の言葉は甘く、深く、切なく私の中に押し入ってくる。和歌よりも饒舌な彼の詩は、歌詠みの私をただの肉槐、彼に言わせれば「肉の林檎」 に貶めてしまう。もっともっと。囁いて。もっともっと。欲しい。好き。

※堀田季何-「中部短歌」「澤」「吟遊」所属