わたしの好きな詩人

毎月原則として第4土曜日に歌人、俳人の「私の好きな詩人」を1作掲載します。

私の好きな詩人 第221回 ―曹植― 桜 望子

2019-08-14 17:53:58 | 詩客

 短歌や俳句をやっていながら、大学では中国文学部に所属しています。なんで?って言われますが、そんなの好きだからの一言に尽きるよね。何でもかんでも好きな理由を説明するのって難しい。心がぎゅっとするんです。だから中国文学も、心が動くものを探しつづけているような心地でやっています。私自身のために遡る、中国四千年の旅。素敵でしょ。
 そんな日々の学びの中で、私はこの言葉に出会うために中文に来たんだって思った詩があります。それを書いたのが、タイトルにもある曹植です。誰だろうって思う方が大半かもしれません。彼は父と兄が目立つのです。父は三國志でも有名な曹操、兄は魏の初代皇帝である文帝こと曹丕です。曹植自身も建安文学の三曹の一人として、「詩聖」の評価を受けています。七歩の才の語源となった逸話を残した人と言えばピンとくるかもしれません。真作とはされていませんがその故事を参考までに載せます。

(魏の)文帝がある時、弟である東阿王(曹植)に対し、七歩く間に詩を作るよう命じ、作れなければ極刑に処すると言った。曹植は曹丕の声に応じてたちどころに詩を作って言った、
「豆を煮て羹を作り、味噌を漉して汁を作る
豆殻は釜の下で燃え、豆は釜の中で泣く
元々は同じ根から生まれたというのに、
なぜそこまでひどく豆を煎り付けるのか」と。
(この詩を読んだ)文帝は、深く恥じ入る様子を見せた。

 この故事からうかがえるように、兄弟仲はそれほど良好とは言えませんでした。曹丕は皇帝となった後に次々と曹植の側近を殺し、さらに曹植自身をも僻地へと飛ばし、彼には生涯国の政治に関与させませんでした。そんな苦境の中で彼が書いたある詩に出会うために、私は中国文学部に来たのかもしれません。それは曹植の『野田黄雀行』です。力を持たないものは友を持ってはならぬ。この言葉に出会ったとき、心臓をぎゅっと握られた心地がしました。原文と私の訳を載せます。

野田黄雀行   野田を行く黄色い雀 
                 曹植 桜望子訳
  
高樹多悲風   高き樹には悲しく風が吹き
海水揚其波   海水はその波をあげる
利劒不在掌   鋭き剣を手に持たないなら
結友何須多   友を多く持ってはならない
不見籬間雀   ごらんよ、垣根の間の雀を
見鷂自投羅   鷹を見て自ら網に入った
羅家得雀喜   網をかけた人は雀を手に入れ喜ぶだろうけれど
少年見悲雀   少年は雀を見て悲しむ  
抜剣払羅網   剣を抜いて網を払えば
黄雀得飛飛   黄色い雀は再び飛ぶことができた
飛飛摩蒼天   蒼天まで飛んで 飛んで
來下謝少年   そして下りて来て少年に感謝するのだ

 曹植は兄によって忠臣を多く殺されました。鋭い剣を持たないなら友を多く持ってはならない、この言葉から彼の心の叫びが切実に伝わってきます。少年は曹植の理想であり、また雀は曹植の心かもしれません。友を殺され僻地へと飛ばされた。網に入った雀のように、身動きも取れずただもがき続ける。鋭い剣を、力を持っていないから。

 私は鋭い剣を持っているかしら、と思うのです。多くの友を守れる力が私にはあるのかしら、と。あいも変わらずこの世界は高い樹に悲しく風は吹くし、海水は高い波を上げすべてさらっていってしまう。私たちはとても弱い。だからこそ詩を書くのだろうと思うのです。曹植は弱かった。だからこそ心を握るような詩が書けたのではないでしょうか。でもね、私思うの。私たち本当に鋭い剣を持っていないのかしらって。だってね、この詩を読んだときに私は心をさされた心地がしたの。私たちは鋭い剣を持っているんじゃないかしら。いいえ、持っていたいの。言葉の力を信じたいの。曹植さん、だから詩を書いたんじゃないかしら?だって私たち、詩人だものね。


【プロフィール】
桜望子
短歌と俳句を詠む人。竹柏会「心の花」、俳句結社「蒼海」、二松学舎短詩会「松風」所属。


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