わたしの好きな詩人

毎月原則として第4土曜日に歌人、俳人の「私の好きな詩人」を1作掲載します。

私の好きな詩人 第211回―佐藤鬼房― 佐藤 涼子

2018-08-12 17:26:19 | 詩客

 東北で生まれ育った私にとって、佐藤鬼房は特別な俳人である。
 鬼房は、1919年、岩手県釜石で生まれ、2歳で宮城県塩釜に移住。高等小学校卒業後は、働きながら商業補修学校で学び、出征と捕虜生活を経て、戦後は塩釜の製氷会社の倉庫番として生計を立てつつ句作に励み、後に俳句結社小熊座を創設し、2002年に82歳で逝去した。
 私が好きな鬼房の句は、下記のようなものであるが、いずれも鬼房の句の特徴がよく分かる作品ではないかと思う。


   切株があり愚直の斧があり
   陰(ほと)に生(な)る麦尊けれ青山河
   みちのくは底知れぬ国大熊(おやぢ)生く
   やませ来るいたちのやうにしなやかに
   半跏坐の内なる吾や五月闇


 掲出の一句目は、恐らく鬼房作品の中でもっとも有名な句であろう。東北の風土の厳しさやその地に生きる人々の人間性等、省略された全てが「愚直の斧」で言い表されている。
 二句目の「陰(ほと)」は女陰である。この句に古事記の影響を見るかどうかについては見解が分かれるようだが、いずれにせよ、原始の大地母神信仰を思わせるスケール感がある。
 三句目の「大熊(おやぢ)」はみちのくの命の象徴。みちのくのマタギにとって、山は神聖な場所で獲物は神からの恵みであった。
 四句目の「やませ」は夏の東北に吹く冷たい風のことだが、元々は「病ませ」として動植物に病気をもたらすことを語源としていると言われる。
 五句目の「半跏坐」は、有名な広隆寺の弥勒菩薩半跏思惟像を思い浮かべてもらえれば分かりやすいだろう。吾が半跏坐を組むのではなく、半跏坐の内に吾がいるという把握とそこに五月闇を見出す感覚に注目されたい。
 鬼房は、1992年の「アサヒグラフ」掲載の「言霊の澄明を」と題する文章の中で次のように書いている。

私にとって俳句は乱世を生きる詩型。いまどきこんなことをいうと物笑いにされるかも知れないが、安易な娯楽版の流行を思えばそれも結構と甘受するばかりだ。
 「昨日に厭く」ハングリーの精神を掻き立て、明日を目指す未来願望に視点を置くことに変りはない。」

「枯淡・円熟などの資質を持たず、もっぱら、われとわが身の戦いのなかで、北方の血を詠みつづけて来た(後略)」

 私が鬼房に惹かれる理由はまさにここにある。鬼房は、年齢とともに句歴を重ね、世の中に広く名を知られた俳人になっても、生涯にわたって枯淡・円熟という括りに収まることを拒絶した。死ぬまで飢餓感を持って戦い続け、北方の血を詠み続けた俳人。それこそが誇り高き我らがみちのくの鬼房である。