わたしの好きな詩人

毎月原則として第4土曜日に歌人、俳人の「私の好きな詩人」を1作掲載します。

私の好きな詩人 第136回 真理という壁-一色真理- 為平 澪

2014-11-20 22:10:57 | 詩客

 人は「自分が何者であるか」というアイディンティティの不安に、少なからず迫られる時がある。
 例えば仕事帰りの通勤電車の中、自分の疲労困憊した顔が夜を行く車窓に映し出された時などに。
 詩人は多分に、そういう要素を多く持つ。意識的にも無意識的にも、自己の存在意義を問う度に、深層に思想の壁が立ちはだかる。
 電車にゆられながら、自分は何者であるか、何処へ行くのか、何処へ行きたいのか、なぜこの電車に乗ったのか、理由が欲しいのだ。
 私はそれを、自己に対する初めての疑問だと考えている。
 この場合電車を「母胎」としたならば、ここに一つの存在意義を問う一色の作品を引用する。
         
                       
 何度も私は問いかけました。
 答えが欲しかったから。

 何故そうしているの?
 あなたは誰なの?
 私は何者?    

 

母の目線で鋭い真理の論及が始まる。
そして次に真理の存在の肯定と否定の疑問が生じていく。
 
 真理はいつも私の前にいました。
 毎日同じ時間、同じ姿勢、同じ顔をして。
 私に見えていないかのように。

 空気みたいにいました。
 ずっといました。
 いつのまにか、私が存在を忘れてしまうほどに。
 
 そして、気づいたときには
 本当にいなくなっていたの。
           
 一色はこの一文を寓話(アレゴリー)と会話文という手法を用いて、母親の目線で、自分の名にかけて問いかけている。「真理」とは? これは中世ヨーロッパの錬金術師たちが、こぞって開けたかった扉である。しかし答えを出した者自身は未だかつていない。なぜなら、真理を生んだ者自身が真理がわからないからである。

 

 あなたはまだ私に聞きたいのですか?
 窯の中でごうごうと燃えている私に。

 そうです。
 私はあのとき
 真理がわかりませんでした。
 あれからずっと。
 そして今も見失ったままです。
           
 肉体的自我を放棄しても、「真理」はわからない。実の息子でありながら、「真理」について語れない。ただ、行く手には、人間は必ず死んでゆくという理のみが語られる。
 一色は、このような自己の名についての葛藤をよくテーマにして螺旋式ダンジョンのように描く。
 では、なぜ、一色が「詩」を書くのか? なぜなら、そこでしか本当に言いたいことを、「音」に出して表現できないもどかしさがあるからではなかろうか?  だからこそ、世の詩を書くすべての詩人に問いたい。「あなたは本音が言葉に出して言えたなら、詩を書き続けていられただろうか?」と。
 さらに「真理」は続く。

 

 だれもわかるはずはないわ。
 あなた。
 あなたにもけっして!
           
 これは、壁にぶつかった者たちへ手向けた言葉である。「真理」という自己、「真理」という事象、人が求める「真理」、語り手が述べるように誰にもわかるはずはないのである。すなわち、これらは、「真理」と名付けた両親への復讐劇であり、求道するものへの挑戦の言葉であり、なにより一色自身の叫びなのである。エヴァにおける「真理」とは、一色が唯一自分の名に個として、シールド(壁)を張った寓話によって描いた真実なのである。
 私ははじめに、疲れて電車の窓に映った自分の薄暗い横顔に詩人の言葉を見ると書いた。
 何処に向かうのか、果たしてこの電車は帰路に辿り着くのか、本当に進んでいるのか、と。そんなときである。山手線で、一人の若き二十代前半の女性が、彼氏らしい男性に手帳を見せながら、語った会話を思い出す。
「私、詩を書いているの。そして、自己満足でも詩集がだせたらいいな、って。だって、本当のことって、詩じゃないと、書けないから・・・。」
 一色は、見事にその様な時代を見破っていたのかもしれない。

 

※引用は
一色真理「真理」(詩集「エヴァ」)より

 


ことば、ことば、ことば。第21回 断章2 相沢正一郎

2014-11-17 17:46:36 | 詩客

 「断章1」では、『渡し場にしゃがむ女 詩人西脇順三郎の魅力』について書きましたが、枚数の関係で前回に書ききれなかったことを幾つか。
 八木幹夫さんの著書からいただいた発想で、西脇を読み返してみました。まず、『旅人かへらず』のことばを「歳時記」で調べてみると、まあ通常だったら《岩間からしみ出た》《人生の旅人》のライフサイクルが四季の流れに沿って展開する構成になるはず。ところが『旅人かへらず』の季語をみてみますと、春夏秋冬の順序はアトランダム。おおい季節は「秋」が六六段ある――これはよくわかります。 「淋しき」(「淋しい」)のことばが、なんと四一も出てくる長編詩なんですから、そういう色彩なんだろう、と予想できます。でも、これも秋のつぎに当然、寒色の「冬」、という予想を裏切って、たったの八……全部で一六八(いろは)の断章があるのに、です。西脇順三郎は、冬が嫌いなのだろうか。全部の西脇詩を見まわしても、「冬」は、あまりないような気がします。一六七段《白つつじの大木に/花の満開/折り取ってみれば/こほつた雪であつた》。この「雪」、西脇の詩には珍しい(おなじ新潟県出身の八木忠栄さんには、雪の詩の傑作がおおいのに)。不思議です。湿気のつよい日本で、小津安二郎の映画には雨が降らないように……。さて、そのつぎにおおかったのが、生命力のつよい「夏」の三一。「春」が二三。(もしかしたら、この比率、全作品にもいえるのかも)。そして、この《淋しい》「秋」の詩、日本の抒情詩に比べてみますと、明るく乾いています。
 それこそ、松尾芭蕉の「甘味をぬけ」とか「軽み」とを関係づけて西脇順三郎を、それから「」ということで『旅人かへらず』と『奥の細道』とを比較して論じてみてもおもしろい、と、これも八木幹夫さんからヒントをいただいたんですが、残念ながらわたしには論文を書くほどの根気も俳句の知識もありません。あとひとつだけ、以前に夢中になって読んだ嵐山光三郎『悪党芭蕉』を思い出しました。《芭蕉は、『嵯峨日記』で「憂き我をさびしがらせよ閑古鳥」の吟を得た。/もの憂い自分を淋しがらせてくれ、とかんこ鳥に呼びかけており、淋しがるとは「閑寂の境地にいく」というほどの優雅なる孤独であって、ただ静かで貧乏であるだけではいけない。酒や料理がそろっていて景観がよく、本もあって、かつしんみりとしなくてはいけない。このへんが芭蕉を淋しがるコツである》とあり、おもわず笑ってしまった。なにか「淋しい」の質が似ているように思われますが、いかがでしょう。
 さて、「断章1」でも引用しましたが、八木幹夫さんは『旅人かへらず』を簡潔に、じつに見事に《連続と断絶。断絶と連続。交互に作品が次の作品を呼び込み、突然日常の出来事が侵入し、物語の持つ起承転結を拒んでいく。長編詩でありながら叙事詩的要素はほとんどない。詩篇のひとつひとつが独立していて、かつ大きく連続している気配です》と要約している。じつはこの文章を『渡し場にしゃがむ女』からパソコンに打ち込みながら、かつて「日記」について考えていたことを思い出していました。 《古今東西、日記で共通していることといえば「さまざまな断面が不連続に現れては消えていく」ということ。そして「いきなり文章がはじまり、ふいに文章が途切れ、あとには余白のページが……」ということ。はじまりも終わりもない、というのは日記の作者が、気まぐれに日記を付け、不意に終えてしまう》。そして、日本の日記について《日本人の日記好きは、もしかしたら俳句を好む性格と深く関係があるのかもしれません。日本の日記の場合、些事な断片が四季のリズムに揺蕩い流されていくのが特徴です。永井荷風の口癖《往事茫茫都て夢の如し》のように。》(「第13回 日記3」)。
 日記のもつ《「さまざまな断面が不連続に現れては消えていく」ということ。そして、いきなり文章がはじまり、ふいに文章が途切れる》といった性格は、西脇順三郎の長編詩にも当てはまります。「日記」と西脇詩、というと、筆者自身でさえ意外な気がしますが。でも、『指輪物語』で見つけたことば「行きて帰りし物語」といった、円環を閉じる構築物、というよりも、「旅人かへらず」のたとえば『鳥獣戯画』のような自由な筆運びでスピーディーにユーモラスに描かれた巻物にはこうした親しみやすさがあってもいい。
 さて、八木幹夫さんと「歴程祭」でお会いしたとき、笑いながら前回 (「断章1」)の 『渡し場でしゃがむ女』を「寝転がりながら読んでください」がよかった、と仰いました。西脇順三郎も、学者がつねに意識的に思想を構築するようにではなく、半眼で、眠りとか無意識、偶然とかを取り入れる、そんな余白をもっていた、と思います。次回は、西脇順三郎を離れて、ほかの作家の「断章」について書いてみようと思います。


私の好きな詩人 第135回 夢の強さ-立原道造- 海東セラ

2014-11-09 11:06:43 | 詩客

 はじまりは夏の教室。プリントに見つけたソネット「のちのおもひに」は、国語の先生のチョイスだった。


夢はいつもかへって行った 山の麓のさびしい村に
水引草に風が立ち
草ひばりのうたひやまない
しづまりかへった午さがりの林道を

 

 先生の思惑は当たったとも言える。けだるい教室から涼しい林へ、眠気は吹き飛んだが授業はそっちのけ、水引草や草ひばりなどの高原アイテムを追いかけて目が詩を繰り返すうち、やさしいはずの道に迷って背の裏がスッと冷えていた。


うららかに青い空には陽がてり 火山は眠ってゐた
――そして私は
見て来たものを 島々を 波を 岬を 日光月光を
だれもきいてゐないと知りながら 語りつづけた……


夢は そのさきには もうゆかない
なにもかも 忘れ果てようとおもひ
忘れつくしたことさへ 忘れてしまったときには


夢は 眞冬の追憶のうちに凍るであらう
そして それは戸をあけて 寂寥のなかに
星くづにてらされた道を過ぎ去るであらう


 ふいに飛びだす(日光月光)に、高校生の私は意表をつかれた。教科書的知識において薬師寺や菩薩像を思いうかべ、にっこうがっこうと呟くと、恥ずかしな がらカッコウ、ブッポウソウなど連想して生き物めく。島々や波や岬まで渡ってきた目と耳は、月と日の光に収まらず、空の枠外に放たれた。やがて(――そし て私は)の主体まで、人以外のものに思えてくる立原ワールド。だれもきいていないのに語りつづけるなんて、鳥や虫が鳴くのと同じ。光と同じ。声や動きは あっても、美しい均衡をたたえて宙づりの、どこにもない時間に詩は硬く鎖された。

 1939年、肺結核の悪化によって24歳で早逝するまでに、立原が全方位に向けたエネルギーは激しく、最後まで旅にあって多くの文学者と交流し、猛烈に 手紙を書いた。戦争に向かう時代だった。遺された手作り詩集、パステル画、建築図面などはどれも彼自身の手による具体であり、新しい発想と造形の試みにあ ふれている。闊達な線や文字、豊かな色彩と細部へのこだわりも、夢の強さを語っている。

 生家は日本橋の木箱製造業。3階屋根裏の自室は、秘密工房のにおいもする。コレクションは東京市電乗換切符3000枚、緑色系のパステルばかり200色。夜になると洋燈を点し、望遠鏡で天体を眺め、いたずら好き、お菓子大好き、ラジオのダイヤルを札幌に合わせて北の天気を想像したり、マニアッ クでウィットに富む。文学のはじまりは短歌だった。


あのとき、ちょつぴり笑った顔が感傷をたきつけるのだ、白い歯列(ルビ はならび)!

誰に會ひたいのか知ってる、知らないふりをする!夕方が嘘を教へる

 

 このとき立原は高校生。短歌男子の歌は切なくて新しくて、夏の教室を、また目ざめさせる。

 

※立原道造:1937年東京大学工学部建築科卒業。
※「のちのおもひに」:詩集『萱草に寄す』(1937年刊)所収。初出「四季」第22号では藤原定家の歌を詞書に置く。
※短歌:「詩歌」第12巻第9号、10号に掲載
※参考/立原道造全集(角川書店)、季刊チルチンびと8号(風土社)、企画展「造形家 立原道造 パステル画から自装詩集まで」「立原道造が遺したものたち 愛蔵品を中心として」(立原道造記念館・文京区弥生、2011年閉館)


連載エッセー ハレの日の光と影 第11回 母の日よりも勤労感謝の日にエントリーしたい ブリングル

2014-11-06 03:09:29 | 詩客

 今年ももう2ヶ月を切るなんて信じられないですね。11月って何があるだろとぼんやり考えても、キリキリと考えても七五三くらいしか思い出せない。つまらない。どうせ読者も(いたらの話だけど)、七五三だろって予測してるだろうからそれにのりたくないなぁ。


 ハレの日じゃないけど11月で忘れてはならないのは勤労感謝の日。どうせねぎらわれるのなら、母は母の日ではなくこの日にねぎらわれたいですよ。生んでくれてありがとうお母さん!っていうより育っている間ずっとありがとうだろ! ありがとうと言え!たのむ言ってくれ!って思っても言いませんが、母は、麗らかな春の日曜日の昼下がりに「お母さん、いつもありがとう! はいこれ!」とお高いカーネーションをいただいて、礼を述べるひまもなく、すかさず「あ、出し忘れちゃったけど、明日までにこの体操着と給食袋とうわばきと洗っておいてね」って言われるとか、どこのSMプレイだ?みたいな扱いされるのはもういやなんだよ、花束くれるんだったら、うわばき洗えよ、弁当箱出せよ、プリント渡すの忘れるなよ、風呂入れよ、歯磨けよ、せめて肩たたけよ、いやもう何もしてくれなくてもいいから、頼むから喧嘩しないで、黙ってお願い、静かにして、書いていたら目の前のPCのスクリーンがぼやけてきたけど、これは涙なんかじゃないよ、心の汗だからね!


 しかし、何かと感謝する日多いな日本。父も感謝、母も感謝、老人に感謝、労働者に感謝。あと感謝の歌も多いよね。お父さんお仕事ありがとう、お母さん生んでくれてありがとうのテンプレ。感謝の日も感謝の歌も多い。けれどその割に感謝されてる感低いのはなぜか。まあ人間、そうやって感謝の日をこさえまくり、感謝の歌を歌いまくりでもしない限り、感謝なんてすぐに忘れちゃうって証拠ですね!


 ちょっとおもしろかったのがコレ
 アニメにありがとう https://www.youtube.com/watch?v=YLP26p35J9A
この「ありがとう」を言っている彼らの中にきっとひとりくらいは子供時代を彩ってくれたひとがいると思う。働き者の彼らに感謝。こちらこそありがとう。


私の好きな詩人 第135回 言葉の不思議を差し出す-高柳 誠-  時里二郎 

2014-11-01 00:47:29 | 詩客

いきなり夕焼けの底が抜けた。底が抜けたからには、夕焼けには底
があることになり、そうなると当然、底は、夕焼け本体と同じ物質
かどうかの識別が求められる。その議論のまっ最中、そんなことに
はおかまいなしに、夕焼けと底との結着のついていない境界線から、
プリズムの偏光で作られた硝子の椅子という椅子が雪崩をうって
転げ落ち、それを追って無数の白いカラスが、鳴き騒ぐ倍音で奏で
る交響曲第二番を伴いながら、翼の光沢を硝子の椅子に反射させ
て逃げこんでいく。こうなると、夕焼けの底はどこかに飛んでいっ
てしまい、いや、飛んでいったのは白いカラスなのだが、そのカラ
スがなぜ白いのかという疑問には答える機会も与えられないまま、
行方不明の夕焼けの底についてさらに考え続けなければならない。
(略) 「夕焼けの底」冒頭部分、『月の裏側に住む』所収

 

 高柳誠。1982年に『卵宇宙・水晶宮・博物誌』 (湯川書房)でH氏賞、89年には『都市の肖像』 (書肆山田)で高見順賞を、さらに97年には、北川健次、小林健二、建石修志ら美術家と組んだ『光の遠近法』などの三部作によって藤村記念歴程賞を受賞、また、選詩集を除いて既に19冊の詩集を上梓している。このような華々しい受賞歴や意欲的な詩集上梓の実際に比して、高柳の詩的営為についてじっくりと語られることは少ない。同人誌に拠ることもなく、積極的に詩誌に作品を寄せることもほとんどしないからとも考えられるが、それでもなお、詩集は2年に1冊というペースを崩さない。(詩の)世間の雑音に耳を傾けることなく、さながら修行僧のように、ただひたすら詩=言葉と組みあう彼の姿勢には畏敬をさえ覚える。
 とりわけ、今年上梓された『月の裏側に住む』(書肆山田)は、それまでの彼の詩の世界から一気に抜け出した観のある極めて瞠目すべき詩集である。
 この詩集について語る前に、これまでの彼の詩的遍歴から浮かび上がる三つの大きなピークについてまず書いておく必要がある。
 一つ目のピークは『都市の肖像』(1988年)、『アダムズ兄弟商会カタログ第23集』(1989年)。これらは徹底した反世界を言葉によって紡ぎ出すという試みだが、散文による断片を言わば鏡の破片のように散りばめて、それぞれの断片が互いに影響しあって、一つの非在の世界が浮かび上がるという方法で書かれている。
 二つ目のピークは、『夢々忘るる勿れ』(2001年)。これはイマージュの挿話集。先の方法では、それぞれの断片(断章)は、反世界を組み立てるパーツに過ぎなかったが、ここでは、一つ一つの作品が、断片やパーツではなく、イマージュの赴くままに紡がれた奇想の言語宇宙として自律している。その自在な言葉の運動が描く挿話のヴァリエーションには圧倒されるはずだ。
 三つ目のピークは、『光うち震える岸へ』(2010年)。これは『半裸の幼児』(2004年)あたりから新しく試みられた、都市を巡る散文スタイルの詩集だが、それは、彼の幾度かの西欧への旅が下敷きとなっている。それまでの言わば硬直した反世界の都市(『都市の肖像』)の趣きとは違って、西欧への旅の現実がもたらした強烈な「今、ここ」という実在感を滲ませながら、加えて、旅ゆえにそれが瞬時にうつろっていく哀しみが醸し出す深い抒情的な世界が描出されている。明らかに『都市の肖像』に対する批評的な位置取りをもった詩集と言えるだろう。
 一方、4つ目のピークになるであろうこの『月の裏側に住む』は『夢々忘るる勿れ』と対を成すイマージュの挿話集だが、決定的に違うところは前作がイマージュの運動に重きを置いて、それに言葉が奉仕するというスタイルだったが、今回は、逆に言葉の自律的な運動がイマージュの展開をリードしていくというスタイルになっている。
 それによって、『都市の肖像』などに特にあらわれていた息詰まるほどの作品空間の密閉性、閉鎖性を完全に脱している。閉じた言語宇宙、あるいは現実から遮蔽された反世界にかわって、作品の外側へ、周縁へという、境界性、融通性を滲ませた新たな反世界が構築されている。つまり、詩の本義たる言葉の不思議を差し出すところから、詩が反世界を映し出す装置であることを改めて考え直そうとしているかに見える。