わたしの好きな詩人

毎月原則として第4土曜日に歌人、俳人の「私の好きな詩人」を1作掲載します。

スカシカシパン草子 第7回 -ASIAN KUNG-FU GENERATIONについて 暁方ミセイ

2013-02-26 20:56:48 | 詩客
 アジカンが好きだ。
 四半期ごとくらいにマイブームなバンドが変わって、その度、三期前くらいのマイブームバンドへの愛は忘れてしまうけど、アジカンだけは別だった。高校入試の日にも、中学の卒業式の日にも、報われない部活漬けの日々にも、さえない大学生活の間も、ずっと聴き続けてきた。そうやって9年の間、アジカンは、そのときどきのわたしのつまらない日常の中で映画のワンシーンのように流れ、日々を何かへの序章にかえそうな力を持っていた。

 アジカンのどこがそんなに好きなのかと言うと、もちろん音楽だし、演奏だし、歌詞なのだけど、彼らを知った当時中学生だったわたしにはもうひとつ大きな理由があった。失礼を承知で言うのだけれど、初めてアジカンを知った「君という花」のPVを観た時、「四人ともなんて冴えない見た目なんだ!それなのに、なんてかっこいいんだ!!」と衝撃を受けた。なんというか、そこがすごくロックだと思った。予め華があるわけではなくて、音楽によって何かが堰を切って放出されて、燃やされ光る感じが、憧れたし、将来わたしだって何か世界をびっくりさせるような作品を書くんだ!と思わせてくれた。

 抜群に、情緒にアプローチしてくる音楽と歌詞だった。
 それと、演奏がかっこよかった。イントロが流れるとどきどきした。歌詞ではなくて、ギターやベースやドラムの音で、空気に色や匂いがついて流れだすような体験を、初めてしたように思う。

 アジカンの音楽的な良さについても語りたいと思うのだけど、歌詞ならばまだしも音楽にはあまりに専門知識がなくて歯がゆい。
 歌詞の良さは音楽と演奏あっての良さだと思うし、音楽と歌詞と一度きりの演奏がリンクして生まれるそれが音楽だと思うし(でも後藤正文氏のソロ曲「LOST」の、「全てを失うために、全てを手に入れようぜ」とかは歌詞単品でもすごいと思う)、うまく切り離して語るのが困難にも思える。
 仕方なく歌詞だけをいくつか引用することにするが、たぶん歌詞だけではナンセンスだ。ぜひ演奏つきで聴いてほしいなと思う。これらはわたしが詩人としてひやっと危機を感じる歌詞の一部分である。全て後藤正文作詞。


赤いライト綺麗見とれた水面に映る光  (「ナイトダイビング」)

無限 揺らいだ? 有限 つまりは  (「無限グライダー」)

君の20年後へ、僕らはそっと有るだけのチップをベットしよう(「マシンガンと形容詞」)


 あかいらいときれいみとれたすいめんにうつるひかり、声に出すと、タ行のリフレインがたとたと鳴ってものすごく舌触りがよい。それにどことなく、「綺麗に撮れた」と言いやすい言い回しが頭のなかで聞こえて「映る」に乗っかって意味が二重になる感じがする。一番最後の「光」だけ何かもっと他のものにしたら、そのまま秀歌になってしまいそう。
 また「無限 揺らいだ? 有限 つまりは」は、後藤正文さんの歌う声では「無限グライダー ゆけ It’s my world.」に聞こえる。それまでの歌詞の内容を考えて、無限グライダーと名づけた青春のある一瞬の煌きみたいなものが有限であることはわかっている。が、二重の歌詞で、永遠に自分の中へ飛んで行く紙飛行機みたいに、それを見送っている。
 「マシンガンと形容詞」をはじめ、アルバム「ランドマーク」の歌詞はメッセージ性が強いものが多いけれど、心で書かれたたった一度きりの言葉だという気がする。ふと、そういう素直で魂のある言葉を、現代詩はいまどれくらい書けているかなと思う。
 などと、ものによっては考えすぎかもしれないが、詩だけで勝負しなければならない詩人としては負けていられないと人知れずむしゃぶるいしている。

 最後にちょっと余談。
 わたしはtwitterをやっているのだが、アジカンのことを呟くと、どういうわけかその都度フォロワーが2、3人減るという怪奇現象が起こる…。最初は偶然だと思ったが、ためしに意図的になんどかやってみたところ、やっぱり必ずぱらぱら減る。なのでぜったい思い違いではない…!
 もしかしたら、詩人がそういう話をするとミーハーな感じがしてがっくりくる人がいるのかもしれないが、大好きなバンドがいるというのは詩人にとってけしてマイナスなことではないんですよと主張したい。新譜が出るたび中学生のように胸をどきどきさせて、タワレコまでの道を息を切らせて歩くことは、世界を新鮮に蘇らせ、結果的に書くことに良いと信じている。実際、あの井坂洋子さんだって、かつて雑誌の連載にサザンの桑田圭祐さんを大絶賛するエッセイを書いているのだ!

一時期、熱をあげてしまった歌い手に対しては、その熱狂の分、たいていは見るのもイヤな顔に変質してしまうものなのですが、(中略)
 桑田圭祐は、たとえ年をとって容貌がおちても、いぶし銀になれる人。それは彼がどんな人間に憧れているかでもわかります。J・レノンが好きというのは大勢いるので驚かないけれど、そのコメントがすごいネ。曰く「あれは人間じゃあない。あれはマザコンやヒステリーとか、たとえばレズビアンのベッドルームへ勝手に入って行くような、そんなだらしない男を演じてる。やっぱり神ですよあれは。ウン」

(『ことばはホウキ星』主婦の友社、1985年)

 とインタビュー記事まで目を通していた様子。同エッセイでは桑田圭祐作の歌詞も取り上げて評価されている。この本は友人詩人のK.Nから教えてもらった本で、井坂さんのチャーミングさ満載の愛すべき一冊だ。当時まだ20代だった桑田圭祐を「あの人は他の人たちと違っていぶし銀だからいつまでたっても錆びない」と言っていた井坂さんの洞察眼は、やっぱりすごい。

 アジカンの、わたしがいま見習っているところは、演奏もどんどん上手くなる気がするし、バンドのあり方が、人気に胡座をかかないでどんどん変化し続けているところ。新しくなることは、いろいろ批評もあるだろうけど、止まってしまうよりずっといい。それをばかにする人がいても、人を惹きつけるのはいつもそういう力で、世界はちょっとずつ人から変わっていくと思う。

私の好きな詩人 第92回 -その名前を言わないが- 北川透

2013-02-22 19:37:49 | 詩客
 オレを恨んでいる奴は、多いだろうな。オレを憎んでいる者は、もっと多いだろうな、と思う。悪を為す、ということは主観ではない。こちらは悪を為している積りはなくても、人との関係は主観を超えた絶対的なものだから、どう受け取られるかは分からない。よきことをしているつもりでも、相手は悪しきことと受け取っている。そんなことは、長く生きていれば、いくらでもある。ましてや、自分の言動が悪意に発している、と分かっていても、抑えることのできない場合が、なんと多いことだろう。
そうは言っても、自分は自分を許すことができない。悪は他者との絶対的関係で起こるわけだから、それは当然だ。できることは、他者が自分を攻撃してきたら、喜んで迎えることだけだ。こんな倫理はどこからきたのだろう。普通なら、神に告白して、悪を為した罪を赦されようとするだろう。しかし、神の存在を認めず、自分の意識しない関係の悪まで含めて、それを為した罪科を許(赦)されようとする者は、どうしたらよいのか。ある詩人は書いている。

幸いにも
あなたを殺しにくるものがあれば
喜んでむかえなさい       
   (「いまが苦しいなら」)

この前の行で、この詩人は《生きているというだけで/ましてながく生きているというのなら/おのれを赦せぬ理由は/ほとんど無尽蔵である》とも書いている。まったくわたしも、この自分を許せぬ理由を、〈無尽蔵〉に抱えている、という点で、この詩に共感する。これが詩として、作品としていいかどうかは分からない。すぐれた詩人かどうかは、作品の良し悪しが決めるだろう。しかし、一人の詩人が好きかどうかは、必ずしも彼がすぐれた詩人かどうかにかかわらない。詩の中に、たった一行でも、自分の存在を共感で揺すぶるものがあれば、わたしたちは一人の詩人を好きになれる。わたしが好きなもう一人の詩人は、こんな風に書いた後、果てた。
遅れてやってくる者にできるのは/わけのわからないことを強いてくる/世界にむかって、さけびだしたいのをこらえて/つまり倒れながらけれども倒れずに/にいっ、とわらってやること》(「2010年の記念写真」)
わたしは、若い頃から、好きな詩人を、両手に抱えきれないくらい沢山持っている。彼らに共通しているのは、権力を遠ざける、媚を売らない、この世の秩序から逸れる、群れを組んで他者を脅かさない、単独者だ、ということだろうか。わたしが《自殺もせず 狂気にも陥らずに》(「必敗者」)、どこまでも歩いて行けるのは、たぶん、自分の好きな詩を、そして詩人を持っているからだ。

私の好きな詩人 第90回 -瀧口修造- 山腰亮介

2013-02-16 11:38:39 | 詩客
 いまから三年ほど前、ぼくが大学二年生のときの話からはじめたい。
 横浜市の外れ、しかも横浜からイメージできる「都会」や「海」のイメージから遠く離れた山の中に、ぼくが通っている大学のキャンパスはあった。最寄り駅から徒歩二十五分。校門から校舎まではさらに三分。坂道を登る道を生徒たちは「登山」と呼び、晴れた日には遠望橋と名付けられたキャンパス内の渓谷――通っている学生もあまり知らないが、その下にはちいさなちいさな滝がある――に架かった橋からは富士山がみえる。冬には自動ドアをかいくぐった猫たちが校舎内の暖房に群がって昼寝をしている。教室でたいくつな語学の授業から逃避するように、窓から森を(キャンパスの周りは民家と森くらいしかない)眺めると、栗鼠が追いかけっこをしている。校舎の小道には蛇が出るとも聞くが、その姿を見たことは残念ながらなかった。
 そんな校舎で、ぼくは二人の決定的な詩人を知った。アルチュール・ランボー、そして瀧口修造。ランボーは授業のなかで。瀧口は図書館のなかで。
 ぼくのなかで、二人の詩人は切り離して考えることができない。だがランボーのように、書店にいけばいくつもの邦訳が文庫で手に入る詩人とは異なって、瀧口の詩集は一般の書店では手に入らない。テスト前以外は常に閑散とした大学図書館で、照明がゆき届かない本棚の片隅にある『瀧口修造の詩的実験 1927~1937』を手にとり、それを大きな窓のあるテーブルの下で繙くと、風が枝を揺らし、木漏れ日がページを撫でていく。
 装飾を排した真っ白な詩集に刻まれた言葉たち。その言葉をひとつひとつ咀嚼してゆく。すると、不思議の国へと迷い込んだアリスのように、ぼくは異界へとすべり込む。

 やさしい鳥が窓に衝突する。 それは愛人の窓である。
暗黒の真珠貝は法典である。 墜落した小鳥は愛人の手に還
る。 蝸牛を忘れた処女は完全な太陽を残して死ぬ。 舞踏
靴は星のようにめぐる。
(「ポール エリュアールに」部分) 

 目の前の窓ガラスから差し込む陽光を、ぼくは信じられなくなる。この窓はほんとうに存在しているのだろうか。

夢がとどろき
星の均衡が小枝から失われた

(「風の受胎」部分)

 ここはどこだろう。これはほんとうにあった話なのだろうか。いま、記憶の断片を辿っていきながら、瀧口修造という詩人が通過したあとの世界にいる。おそらく、あの場所で瀧口修造という詩人に出会わなければ、ぼくは詩へとのめり込むことはなかった。瀧口によって、扉は開かれた。ぼくは図書館のなかで、鍵を見つけたのだ。
 さいごに、雑誌『本の手帖』に掲載された「手づくり諺」から瀧口の魔法の言葉を唱えて、終わりたい。


いろは匂えどイロハニホヘト。

私の好きな詩人 第91回 -ダニイル・ハルムス- 柴田友理

2013-02-03 00:34:20 | 詩客
いったいいまはどこにあるのか?
いまはここにあり、いまはあそこにある、いまはここにあり、
いまはここにもあそこにもある。
これはあれなり。
ここはあそこなり。
これ、あれ、ここ、あそこは我、我々、神なり。
(「非いま」一九三〇)

 「あなたが好きな詩人は誰ですか?」と聞かれると頭を抱えてしまう。詩だけではない、小説でも歌でも多くの人が多分そうであるように作品と作者もしくは「作者」をまったく違った「モノ」として切り離してしまうからだ。しかし今回はそんな理論的なことは抜きにしてわたしが好きな「ダニイル・ハルムス」という詩人について書きたい。
 ダニイル・ハルムス(本名ダニイル・イヴァーノヴィチ・ユヴァチョフ)は一九八〇年代後半から遺作がロシアで相次いで刊行され「不条理文学」の先駆者として爆発的な人気を博し、今日では主要なヨーロッパ言語のすべてに翻訳されているが日本では殆ど知られていない。それは一九三〇年代にソ連当局による文化、文学の統制の強化により余儀なくされた活動自粛が関係しているために他ならない。ハルムスの読者はなによりもまずそのナンセンスさや不条理さに惹かれることだろう。何を隠そうこのわたしもまたハルムスのナンセンス、その不条理なユーモアの虜になった一人だ。しかしわたしはこの不条理さの向こうに光る信仰と祈りになおも心惹かれるのだ。
 ハルムスの作品の特徴として、その不条理な世界の途中で全てが斧で「コン!」(一九三三)と切り落とされたように突然終わるというものがある。そしてその終わりは「死」によってもたらされるものが多い。ハルムスの代表作とされている「出来事」という詩を引用してみよう。

あるときオルロフは、すりつぶしたえんどう豆を食べ過ぎて、死んでしまった。
いっぽうクルィロフはこのことを知って、やはり死んでしまった。
スピリドノフは自殺した。
スピリドノフの妻は食器棚から落ちて、やはり死んでしまった。
スピリドノフの子供たちは池で溺れて死んだ。
スピリドノフの祖母は飲んだくれてさまよい出て行った。
ミハイロフは髪を梳かすのを辞めて皮膚病になった。
クルグロフは鞭を両手で持った貴婦人の絵を描いて気がふれた。
ペレフリョストクは電信で四百ルーブル受け取り、あまりえらそうになったので、勤め先から追い出された。
善き人々はどうしてもしっかりとした足で立つことができない。
(一九三六)

 また「恐ろしい死」(一九三五)ではカツレツを食べ続けた男が「たちまち死んでしま」い、「墜落する老婆たち」(一九三六~一九三七)では好奇心に駆られた幾人もの老婆たちが窓から落ちて粉々になる。作中人物たちの「死」はまったく整合性がないように思われるが、結論から言ってしまえばハルムスの「死」とは他でもない「終わり」を意味している。しかしそれは物理的で肉体的な人の「死」による「終わり」ではない。ハルムスの生きた現実はスターリンによる不条理で残酷な恐怖政治の真っ只中であった。当時の詩人や作家たちは活動を制限され、一九三〇年代にハルムスは子供たちに「反ソヴィエト的」な影響を与えたとして逮捕され、その後作家活動を禁止されてしまう。ハルムスにとって不条理で不整合なものは非現実的なものではなく現実そのものではなかったろうか。その現実の終わり即ち現実の「死」をハルムスは求め、書き続けてきたのではなかろうか。不条理な現実世界では「善き人々はどうしてもしっかりとした足で立つことができない」のだから。そしてハルムスはその「死」、即ち終わりの先に「信仰」と「祈り」を書き続けた。
 先に挙げた「非いま」の「いま」を探し求める「我々」は唐突に「神」を見出す。終わりの先の「いま」にあるのは「我」であり「我々」であり「神」だ。中編小説「老婆」(一九三九)の主要登場人物である「私」は主に祈りを捧げたあと、唐突に物語の幕を下ろす。本田登氏はシリアのイサークがハルムスのこの「祈り」を「嘆願の祈り」と規定したことを指摘し、「自分の内部の変化によって世界観自体の変革がもたらされるという奇跡を希求していた。」と言及している(本田登「ダニイル・ハルムスの後期作品に見られる『奇跡』概念」(二〇〇三年度学会報告要旨)『ロシア語ロシア文学研究36』日本ロシア文学会、二〇〇四)。彼が求めていた「奇跡」とは現実の「死」と、その先にいる「神」からもたらされるであろう「自由」であったのではないか。彼は不自由を晒し続けながら、自由を求め続けていたのではないか。
 一九四一年八月二十三日、忽然と姿を消したハルムスは数ヵ月後に刑務所内の病院で死亡(恐らくは餓死)する。一九五三年、スターリンが死去し、一九九一年にソ連は解体する。ハルムスの作品は滑稽で不条理なだけではない、実に多層的な詩人であり、作家だ。そしてわたしはひたむきに生き、書き続けた彼の姿と、作品の向こうに見える「信仰」と「祈り」の姿に心惹かれて仕方ないのだ。

あたりを見回す。誰も見てはいない。軽い旋律が背中を走る。私は低く頭を垂れ、小声で言う。
「父と子と聖霊の御名によって、いまも、またとこしえに。アーメン。」
 
このあたりでいったん筆をとどめよう。もうかなり長くなってしまったので。
(「老婆」)


 引用は全て、ダニイル・ハルムス著/井桁貞義訳/西岡千晶絵『ハルムスの小さな船』(長崎出版株式会社、二〇〇七・四・二十五)による。



スカシカシパン草子 第6回 -集合住宅について 暁方ミセイ

2013-02-02 14:32:29 | 詩客
 一年ほど前から川崎市内に部屋を借りて住んでいる。
 ごく狭いささやかな部屋だが、道路に舗装された丘陵のてっぺんにあって、昼間は彼方に雪をかぶった山々と富士山が、夜は箱のようなマンションの窓がそれぞれに火が入って灯篭のように見える、誰にも知られない秘密基地のようだ。その上、駅前には第一回で語った大好きな鉄塔がモニュメントのように大きく聳えたっているし、部屋までの五分ほどの道には、さみしい電灯と夏は蔓草が蔓延ってこちらに手を伸ばしてくる石の昇り階段と、走り去る電車をちょうど目線の位置で見られる鉄橋さえもある。この鉄橋は、月夜の晩に、やたら緑色に浮かびあがり、滅多に人も歩かないので、立ち寄って、ちょっとした空想や、幻視を見るには絶好のスポットである。
 ときたま、急行電車が、黄色い窓に黒い人影を残像のようにぱっぱっと映して飛び去る。そこからもう数十秒でわたしの部屋だ。
 我ながら、家賃に対して、なかなか優良な物件だと思う。同じマンションの他の部屋より三割ちょっと安いので、人から「絶対いわくつき物件だ!」と度々言われている。が、多分違う。この部屋は相当セキュリティーが低いのだ。部屋のドア鍵も何だかすぐ開きそうだし、第一ベランダが、隣の民家の屋根と直結状態で、お隣さんの育てている花が、夏はアサガオ、ホウセンカ、冬はツバキにサザンカと、日進月歩でこちらのベランダに領地を拡大している。
 盗まれて困るようなものは何も無いけれど、もしも、ある日帰ったら部屋が荒らされていて、必死に物色したのであろう床に散乱している本のなかで、詩集が何冊かなくなっていたら、なんだか素敵な感じがする。

 考えて見れば、幼い頃からずっと、アパートやマンションに憧れていた。
小学生くらいの頃の友人には、親の転勤に付き合って何度も転校をしている子も少なくなくて、彼ら彼女らは大抵、画一的なデザインのマンションに住んでいた。
 友達の家に遊びにいくと、同じ形のドアと窓とバルコニーがずらっと並んでいて、どれが友達の家の正しいドアか毎度わからなくなった。マンションの敷地の中で、何度もかくれんぼをした。階段から階段へ、コンクリートの壁づたいにしゃがんで歩いた。ほとんど絵のような不自然に似通った景色のなかに、ひょっこりと、友達の頭が見えたり、また隠れたりした。単調なコンクリートのなかに、ふいに小さな花畑が現われることもあった。
 集合住宅に得たい知れなく感じられるポエジーのようなものは、夢の中のような違和感から発光している。
圧巻の大きさのマンションに、同じ形のドアが整然と並び、そこに花や傘やそういう儚い変化がある風景は、非常に不自然で、そして畏怖の念さえ起こる。元々空だった空間に、人間の作った、とても非自然的なデザインの、ま四角の大きな箱を、きちんと並べている。団地などで、そこに黒い大きな数字が張りつけてあれば完璧だ。人々はぱたぱたとドアを閉め、似通った部屋に鳩のように収まっていく。
わたしもそのドアのどこかに入り、鳥のように隠れて、いつか暮らしたいと思っていた。
 
 またアパートならば、今度は、思いと時間が染みこんでいそうな部分にポエジーを感じる。そこに住んでいる(あるいは、いたであろう)人物の、過ごした時間にどきどきする。アパートのイメージには、売れる前のバンドマンや漫画家や苦学生がつきもので、東京のやや下町の路地を入っていくと出くわす、二階建てで階段がカンカン鳴るタイプの、たてつけが悪そうなアパートを見ると、情熱を燃やして東京で懸命に夢を叶えようと頑張っている青年が、あの部屋には住んでいて…という妄想を掻きたてられる。
 あるいはまた、古いアパートの白や薄い緑のドアは、不意に、かつて好きだった人や、これから好きになる人や、どこかの分岐点で別れた自分とは違う自分自身が、ギッと音を立てて出てきそうな感じがする。アパートにはそういう魅力がある。

 集合住宅のドアや、反対のバルコニーがずらっと並んでいるのを見ると、仕切りのある標本ケースか鳥かごのように、とにかくそこに人が何人かずつ入っているのを思う。集合住宅は、人の人生のコレクションだ。それぞれはせわしなく新陳代謝し、たまにとんでもない経験をする。それでも隣の部屋ではまったく違う人生が流れていて、水槽のように仕切られていて、この不思議さに魅入られている。
 念願かなって今はマンションに部屋を借りているが、欲張りだから、まだまだ他の物件も気になる。今日も、駅前の青い、中庭を中心に回の字の形に作られた中東風建築のマンションを、横目にちらちらと見ながら歩いている。