五、六年ほど前に開催されたシンポジウムの席上でのある批評家の発言に託してうちあけると、僕は「高橋源一郎を殺すため」に詩を書き始めたのだ。この批評家が批評を「やっている」理由、乃至かれの殺意を詳らかにする紙幅はないが、僕について言えば、ある一個の固有名を「殺すため」とは、ひとが「詩」を書き始める動機として些か胡乱にも思われる。我ながらどこか情けなささえただよう。貧しい動機だ。しかし、かようにいかに貧しい動機であれ説明のしようはある。以下に明示するのは「殺意」を構成するための設計図のその端くれと言える。
周知のように高橋の小説は「深淵」(*1)「ゴースト」(*2)など、そこに登場する特定の鍵語を「文学」に置換すれば格段に見通しがよくなる。「文学性」と換言してもいい。「語るべきことがなくても語りくちは存在する」(*3)ありさまを一言で表せさえすればいい。「深淵」や「ゴースト」に呑まれると、呑まれたものはたちどころに死ぬ。端的に言って死ぬ。ただし所謂「主題としての死」のような「文学」は回避される。二年前に上梓された『さよならクリストファー・ロビン』の鍵語ならそれは「虚無」だ。
「プー、ぼく、もう、疲れちゃった」
「そうだね。きみは、ずいぶん頑張ったから」
「だから、プー。ぼくは、今日、なにも書かずに眠ろうと思うんだ。それは、いけないことだろうか」
「クリストファー・ロビン、きみが、そうしたいなら、そうすればいい。ぼくたちは、そんな風に生きてきたじゃないか」
「ありがとう。そして、ごめんね。ずっと一緒にいられなくて」
「いいんだ。いままで、ずっと一緒だったから」
「さよなら、プー」
「さよなら、クリストファー・ロビン」(*4)
高橋の書誌上には別れの挨拶が二度あらわれる。ただし一度目は「さようなら」(一九八二年)、二度目は「さよなら」(二〇一二年)という具合に「う」の有無という差異を伴ってのことだ。「う」は三十年の時をかけて消失したが、一度目の挨拶から遡ること十七年、この音は、ひろがる海をまえに狩猟民が発語した「自己表出」としてのあの「う」だろうか(*5)、それとも二度目の挨拶をのこして高橋の書名からは完全に飛び去るとほぼ同時に「工場」で大群を成し始めたあの「う」だろうか(*6)。 私見を言えば、近年の高橋は「ゴースト」や「虚無」そのものに成り代わろうとしている。「ゴースト」や「虚無」を対立的に支配することなく「やっつける」ために、その身一つで墓場まで持っていこうとしている。「う」の発し落としという症候とともに「今、」かれは「すごくすごくナイスな気もち」でその手を動かしているのだろうか。
「まいったよ」と言いながら「美しいギャング」は胸の切り口を更にたて、よこ、ななめと手あたりしだいに切り開いた。早くしないと出血多量で気を失ってしまう。
「美しいギャング」はナイフを胸にさしこむと、のぞみのものを切り出そうとした。
半ば気を失いながら「美しいギャング」は切りとった胃の上半分をにぎりしめて高く掲げた。
「これ心臓だよな」と「美しいギャング」はS・Bに言った。
「うん」とS・Bは答えた。
「美しいギャング」は胃の上半分を、自分を見上げている装甲車にむかって放った。
「やれやれ」
「美しいギャング」は手すりにもたれてやっと立っていた。
「あれえ? まだ胸の中がドキドキしてらあ」
「それは肺よ! 肺もドキドキするって学校で習ったでしょ!」
「そうだっけ? 忘れてたよ。ああ、疲れた」
「美しいギャング」の土色の顔がガクンとたれ下がった。「美しいギャング」はナイフを床におとすと、手すりの向こうへ躰をおしだした。
「くだらないなあ、実際。最低だよ」(*7)
『さようなら、ギャングたち』の、僕が最も「好きな」場面を引いた。この長篇小説の鍵語は「ギャング」だが、この語を「文学」と置換することに僕はためらう。これは、あるいは「小説」と置換すべきではなかったか。「『しょうせつ』家」の「息子」が発語する(*8)、その中央にひらがなの「う」の文字を有する「しょうせつ」を透かし見るべきではなかったか。この両義性が、僕が『ギャング』を特権的な位置に据える理由だ。両義性を善とする所作などそれこそ「文学」的だが、その検討はこの稿では止す。
「あんた、ギャングなの? 詩人なの?」(*9)
わたしはギャングだったんだ。わたしは詩人なんかではなかった。わたしは生まれてからずっとギャングだったんだ。(*10)
高橋において、名もなき「詩人」を主人公にした小説はおそらく『ギャング』一作だが、一作きりという事実が僕には意外だった。『ギャング』巻末には八冊の「引用・援引文献」が掲出されるが、ひさびさに読み返して、それが八冊きりという事実も僕には意外だった。これまでに出逢った「現代詩」のすべてが『ギャング』を構成する「引用・援引文献」に思われるのだ。この「誤認」によって、この長篇小説の「引用・援引文献」にはなり得ない詩を書く誘惑に僕はおのずと駆りたてられることになるが、駆りたてられた先では、そんなことが僕には可能かとおのずと途方にも暮れる。おのずと僕は疲れる。冒頭にちらつかせた「殺意」の詳説(しょうせつ)は別稿にゆずる。
*1 『ジョン・レノン対火星人』
*2 『ゴーストバスターズ 冒険小説』
*3 『ぼくがしまうま語をしゃべった頃』
*4 『さよならクリストファー・ロビン』
*5 吉本隆明
*6 小山田浩子
*7 『さようなら、ギャングたち』
*8 『ペンギン村に陽は落ちて』
*9,10 『さようなら、ギャングたち』