初めて海外旅行にいったのが中国で、二十歳の時だった。何事も慎重派の母に猛反対され、仕方なく黙ってパスポートをとり、手続きを進め、キャンセルがきかなくなってから出発を告げた。母は怒る気もしないのか、ため息をついてから「保険には入っておいて。あんたの遺体をとりにいかなくちゃいけないときのために。」と言い、本当に旅行保険を遺族の飛行機代が保険で降りるタイプに変更させられ、その上死亡保障までランクアップさせられた。
中国で感じたことは甚大だった。特に二週間のあいだ、母国語以外の言語に囲まれて過ごすということはとても強烈な体験だった。あれほど切実に、貪るように、自分の母国語を意識しながら日記を書いたことはないと思う。だから中国には、二十歳の自分を、それまでとそれからで分けられる自分を置いてきてしまったような気がする。いまでも彼女が、ずーっと、真夜中の寝台車に目覚めて、暗い窓をひとりぼっち見つめている気がする。列車はたまに、さみしい田舎の駅に止まる。啜り泣くような車輪と鎖の音がして、オレンジ色の灯りが顔を照らし、やがてまたゆっくり軋んで動き出す。わたしは首が丸出しになるくらいのショートカットで、どこにいても心もとなく、同時に震えるくらい自由だった。体がある自分の、体だけに、責任と自由を行き渡らせていた。もしも、暗夜を行く高速鉄道の寝台車両のイスに彼女を見かけたら、そっと話しかけてやってほしい。きみの未来は、想像しているほど悪くはないし、そんなに全てを失うわけじゃなかったよ、と伝えてやって欲しい。
そんな感じで思い入れたっぷりの中国だが、周りの友人たちのなかには二度といきたくないと言っている子もいる。マナーが悪かっただとか、食器が汚かっただとか、タクシーでもぼったくりをされるだとか・・・まあそこは、正直その通りなのだけど、あの適当で殺伐としていて無愛想な感じも、巨大な大陸の国を感じて、実は嫌いではない。日本と全然違うから。それにアタックは強いけれど、心の温かい人も多いと思う。どこぞの町で、井戸端会議中のおじさんに道を尋ねたら、どんどん人が集まってきて思いも寄らない騒ぎになってしまったことがあった。深夜の飲食店に入り、店主の、足の悪い優しそうなおかあさんから、何度も何度も「美味しい?」と聞かれながら水餃子を食べたこともあった。彼ら彼女らの顔が忘れられなくて、また今年も中国へ行ってしまう。言葉の響きと、空気と、匂いが記憶にしみこんでいる。
*
今年の九月も、北京に行ってきた。
日本に帰ってから、自分の部屋で、お土産に買ってきたカップ麺の封を切る。中には粉末スープと薬味の他に、折りたたみ式のフォークが入っている。鍋で煮ても、器に移しても、このままお湯を注いでもよいと書いてある。目盛りがないので目分量でお湯を入れる。三分経って蓋を開けると、「あ、」と声が出る。ホテルの壁も、寝台車のシーツも、小路の飲食店の箸も、この匂いがした。何から香るのかわからないけれど、駅前のタクシー乗り場でも、夜市の雑踏でも、ずっとこの匂いを感じていた。強烈な、香辛料と八角などの薬味。古い布を大鍋で煮たような。
中国はいつもこの匂いがする。
けれど、雑踏にはもっといろんな匂いがある。生活臭の交じり合った外気や、少し泥っぽい水のなかでこそ、この麺の香辛料は香り立ち、薬味は優雅に湯気のなかへ踊り出るのだろう。空気や水も調味料なのね、なんて思いつつ、鼻が慣れすぎてしまった川崎の、秋の夜に啜る。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます