わたしの好きな詩人

毎月原則として第4土曜日に歌人、俳人の「私の好きな詩人」を1作掲載します。

ことば、ことば、ことば。第8回 蛙1 相沢正一郎

2013-10-06 18:28:09 | 詩客

 ケネス・グレーアムの『たのしい川べ』やアーノルド・ローベルの『ふたりはともだち』など、蛙は子どものときから親しみやすい生きもの。昔話や童話、ファンタジーにたくさん登場する。ちいさな手をもつ蛙の姿がちょっぴり人間の赤ちゃんに似ています。
 よく知られているグリム童話の『蛙の王さま』を読み返してみよう。蛙は二度、水の中から姿をあらわす。子どもの誕生を待ち望んでいたお后が水浴びをしていたとき、一匹の蛙が川から這い上がってくる。「お妃さまの願いがかなって、一年もたたないうちにお姫さまが生まれるだろう」と朗報を告げる。
時が過ぎ、場面が変わり――菩提樹の木のしたの泉で、お姫さまが金のまりを泉におとして泣いている。水のなかから蛙が頭をつきだして、「水の底にもぐって、まりをとってきてあげましょう。そのかわり、いっしょにテーブルであなたのとなりに座り、あなたの金のお皿から食べ、あなたのベッドで寝かせてください」と約束する。つぎの日、王さまや宮廷のひとたちと食事をしているとき、ぺちゃり、ぺたり、ぺちゃり、ぺたりとなにかが大理石の階段をはいあがって……。
 ぺちゃり、ぺたり――なにか性的なイメージが蛙によって象徴的に示されていますね。金のまりを失くす、といった子ども時代に終わりを告げて大人の入口へとさしかかったばかりの王女さまにとって、性は未知の世界。不安になったり、潔癖さから嫌悪し、拒否的になったり。ついに王女さまは、嫌悪感と恐怖感に堪え切れなくなって、蛙を壁に叩きつける。その途端に魔法がとけて、蛙は王子さまの姿にもどります。
 ふたりは結婚という形でむすばれ、ハッピーエンドに。女性と男性の統合、子どもから一人前の大人へと成長の媒介の役割を、蛙が見事に果たしていますね。水陸両棲の「蛙」は、心理学的にいうと、無意識と意識をむすぶ媒介者、といえるかと思います。ふたつの世界を自由に行き来できる、そして異なる世界を結びつけることができる、と。

 心の深層から離れて、こんどは生きものの壮大なドラマに目を向けてみましょう。およそ三十億年まえの海に生命が発生し、多細胞の動物への進化がはじまる。無脊椎動物が姿をあらわし、つぎに脊椎動物があらわれる。そして、この最初の脊椎動物が魚類の祖先へ。そのあと、地球上に造山運動が起こり、魚たちは水中と陸の生活の交代に対して適応力をもち、水陸両棲の呼吸――鰓呼吸と肺呼吸の能力をあわせもつようになる。やがて、それが古生代における画期的な出来事として知られる「脊椎動物の上陸」に。
 じつは、三木成夫の『胎児の世界』を要約しているんですが、三木成夫は、このような脊椎動物が海から上陸したことと、人間の胎児の成長がどのように対応しているのかを調べました。かつて医学生だったころ、実習で出産に立ち会ったとき、子供の誕生とともに母親の子宮から羊水がはげしく飛び散った。そのとき、羊水が「古代海水」に他ならない、という直感をもった、といいます。
 胎児は母胎のなかで二百八十日のあいだ羊水に浸かって過ごす。三カ月になると、舌なめずりをしたり、咽喉を鳴らしたりしながら、羊水を飲み込み、そして、胸いっぱいに吸い込み、吐く――といった「羊水呼吸」をつづける。このような「羊水呼吸」は、太古の海での魚の鰓呼吸とは無関係ではありません。
 胎児の成長過程のうちに、鰓(水棲的形態)から、鰓と肺(両棲的形態)、それから肺(陸棲的形態)をなぞってきた。そして、脊椎動物が海からあがったとき、古生代の海の水もいっしょに抱えてきた――母胎のなかに羊水としてもってきました。じっさい、羊水の組成は、古代海水と酷似している。このような海との深いつながりは、出産ののちにも血液(血潮)を介して行われています。
 ちいさな手(前足)をもつ水生動物の蛙が、なんとなく胎児を連想させたので三木成夫の説をご紹介してきましたが、この生きものの物語から堀口大學訳のコクトー作「耳」「私の耳は貝の殻 海の響をなつかしむ」という詩を思い出しました。三好達治の「郷愁」のフレーズ「海よ、僕らの使ふ文字では、お前の中に母がゐる。そして母よ、仏蘭西人の言葉では、あなたの中に海がある。」も。
「海」に関係して、もうひとりわたしの中の垣根を取っ払って、サーッと世界をひろげてくれた人物――網野善彦の説に耳を傾けてみましょう。「日本が海によって周囲から守られ、多民族の軍事的侵略から免れ、政治的支配を受けなかった。そして、日本独自の文化が島国の中で熟成していった」、いわゆる「鎖国」を、網野は、俗説だと言っています。そういえば、大航海時代にも、海は交通機関として世界に開かれ、異なった文化を結びつけてきましたね。


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