住まいの安全 心の健康 住まい塾 21

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文化の拡散と流浪の民

2013年03月03日 | 日記

  我が家には、オス猫が2匹居る。
春先には所謂発情期、朝ごはんの時間になっても、所定の場所に現われない事が多い。 メス猫は決してそういうことが無く、玄関前で朝早くから飯を催促することが多い。

  長い間ネコに接していると、『飯をくれ』の言葉は勿論、『オレの縄張りに入るな』、『あそぼー』『おなか痛いよー』などの、ネコ語と言うべき言葉が有る事に気が付く。 最近、家の回りで目に付く気性の荒い『アメリカンショートヘヤー』の場合、どんな言語を話すのか知らないが、そのネコによりことごとく、家のネコ共は蹴散らされている。  都落ちするような玉突き状態で家のオスネコ共は西へ北へと、縄張りをずらされている。 しかし、お腹が空けば玄関前に、又、ちょこんと座って待っている事が多い。


  そうやって、オスの『群れ落ち』や『都落ち』によって、文化や慣習が他の地方に、伝わっていく事は論を待たない。 勿論、それは『サル社会』でも見られることであるし、『人間社会』にも有るのだろう。 人間にも、帰る所(母国)がある民族でも、『浮き草』のように生れてから死ぬまで拠り所の無い民族でも、共に文化の伝承や拡散の役割を果たすことが、過去の歴史の中では見られる。 その事に、どう言う意図(悪意も含めて)が隠されていようと、善人(バカ)が揃っている国民ほど、その深いところを考えようともしない。 幸いな事に、人間で無いネコには、陰謀に近いものがあるという話は聞いたことが無い・・ 。


  『鑑真和尚』が中国から西暦750年頃に渡ってきて、日本にいろいろの文化を伝え、日本に骨をうずめたことは、多くの日本人の知るところである。
同じ頃、山形県の寒河江にもインドの高僧『婆羅門僧正』が渡ってきて、西暦746年精舎を建立した事は、全国的な知識としては余り知られていない。 そして、彼が山形県に持ち込んだ文化や慣習について、山形の現地でも多くは知られて居ない。 恐らく、彫刻技術や採鉱技術、或いは建築技術・・?

  このような大昔に私が、注目したいのは当時『日漢辞典』も『日印辞典』も無かったであろう事である。 インドの高僧は、或いはサンスクリットを話したのかも知れないし・・ 。 それでも、話し言葉か書き言葉で意思の疎通を図っていたであろうと言うこと。
時々、外国の言葉の翻訳で思いつくのは、杉田玄白がシーボルトの『解体新書』を翻訳したことについての驚きである。 勿論、現在のような『日蘭辞典』が有ったとも思えない。


  このような、過去の実情から現代の英語に対するアレルギーは、もしかすると、現在の日本の官僚や語学者たちから権威付けの為に、ことさら難しくしているのではないかと、かんぐりたくさえもなってくる。

  若い人々に、期待したいのは、動詞や助動詞や副詞等と言う言葉は考えないで、知っている単語をガイジンに発してみれば、思いのほか『意思疎通』はできるのでは無いかと言う提案である。
臆する事無く、金髪を見たら何か言葉を発してみたら・・・・と言って今日は終わりにしたい。