観音参りが好きなのですが、観音堂へ行くのはとても怖いのです。
誰かと一緒に行きたいところですが、そんな趣味の人も少なく自分一人で行くことも少なくありません。
一人で歩く参道は身のすくむ思いがして寒気すら感じます。
それでもお堂の前で手を合わせていると、次第に気持ちが落ち着いて、心が洗われていく気がします。
観音参りは現世利益を願うものと認識されることも多いのですが、信仰や祈りの効果はもっと別の所にあると思っています。
何か大きな存在の前で感じる自分の小ささと、だからこそ感じる今自分がここにある感謝の気持ちは対になっています。
遠い昔から、人間は知恵とともに脆い心も持っていて、その脆さを補うための方法として信仰があったのだと感じます。
科学技術が発達した現在でも、人の心は遠い昔と変わりはなく脆いままなのに、なぜか心までもが強くなったと感じてしまうのでしょうか。
怖いものもなくなった世の中で、やはり何かに不安と恐怖を感じ続けてしまう、そんな脆さを持っているのに。
誰かと一緒に行きたいところですが、そんな趣味の人も少なく自分一人で行くことも少なくありません。
一人で歩く参道は身のすくむ思いがして寒気すら感じます。
それでもお堂の前で手を合わせていると、次第に気持ちが落ち着いて、心が洗われていく気がします。
観音参りは現世利益を願うものと認識されることも多いのですが、信仰や祈りの効果はもっと別の所にあると思っています。
何か大きな存在の前で感じる自分の小ささと、だからこそ感じる今自分がここにある感謝の気持ちは対になっています。
遠い昔から、人間は知恵とともに脆い心も持っていて、その脆さを補うための方法として信仰があったのだと感じます。
科学技術が発達した現在でも、人の心は遠い昔と変わりはなく脆いままなのに、なぜか心までもが強くなったと感じてしまうのでしょうか。
怖いものもなくなった世の中で、やはり何かに不安と恐怖を感じ続けてしまう、そんな脆さを持っているのに。