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パンドラの箱の残り物

2014-01-28 | 思うこと
東京では知事選が盛り上がっているのか、ネットを見ていると選挙関連の情報が多く流れてきます。
そんな中で、「東日本大震災はチャンスだ」という選挙演説への反論も流れてきます。
個人の意見は人それぞれですから、選挙はさておき、その一言が気に入らない人もいるでしょう。


子供の頃に、父親から申し渡された教えがあります。
ちょうど関東大震災から何十年目だったか、関東地方に何時大きな地震がきてもおかしくないと話題になった頃の事です。
父親は
「もしも大地震が来て、家でなくとこかでそんな事になったら、誰でもいい、近くにいる大人に助けてと言いなさい。一緒について行って避難しなさい」
そう、私たち兄弟に言いました。
私が小学生の時分だったと思います。子供の判断だけでは危ない時に、誰でもいいから近くにいた大人に頼れと。
それからずいぶんと経って私が親になった時、世の中は、知らない人は不審者であるというのが一般常識になっていました。

あの頃はそう言われたけれども、今はもう違うんだよ。
そんな風に感じていた、そしてそういう世の中になってしまったと信じていた時に東日本大震災は起きました。
大変悲惨な震災であった事は確かです。
ただ、その時の私の周囲の人々が取った行動や、伝え聞く話の中で、他人の事を心配し他人のために行動したという話は多々ありました。
全く面識のない他者への信頼というものは、資本経済の中で消えてしまったかのように感じていましたが、本当はまだまだ残っているのかもしれない。

「東日本大震災はチャンスだ」
という選挙演説の一言は、他者への信頼、社会への信頼がまだ残っているかもしれない事に気が付いた、そんな意味合いじゃないかと感じています。
無くなってしまったと思っていても、本当はどこかに残っているかもしれない本能のような物。
パンドラの箱に最後に残っていたのは何だったでしょうか。




芸術の定義とはなんだろう

2014-01-18 | 思うこと
芸術、またはアートというのは厳密な定義が無いといわれています。
それでも芸術が好きな人には個人的に定義を持っている事も多く、言葉として持っていなくても、なにかもやっとした線引きをしている人もまた多い。
末端ながら私も定義を持っていて、それは個人のこだわりをそのまま表した形だと思っています。
たとえば「こうすれば他の人からどう見られるだろうか」などという邪念のようなものが感じられず、「自分はこれこそが美しい」という個人の美意識の表出が純粋にできているか、それこそが芸術なのだと思っています。
流行や他人の美意識に引きずられない、個人の中に持つ美の形。
だからその「美」を造りだすために技術が必要なのでしょうし、また、他人ウケを狙う何かが芸術にはならないのだと思っています。


昨年、ある蒐集家の方とお話ししたときに、
「古い土器に作った人の爪の後が残っているのを見つけると、それだけで感動する」
という話をすると賛同されたことがありました。
造形物の中に、作り手の集中力とかこだわりとか思いとか、魂のような何かがこもっているのを垣間見るような気がして。
そしてその作り手の心と同調するような感動を覚えるのですが、こんな話をしても理解してくれる人もいなかったので、妙に嬉しかったのです。

近年はアートで町おこしなどのイベントを見ますが、古い工芸の中にも芸術はあって、それを探し出してくれる目を持った人が少なくなっているだけではないのかとも感じます。
青森は芸術に溢れているのに。




同じ価値観を共有すること

2014-01-08 | 人間心理
江戸時代の里の修験道は「霞(かすみ)」という縄張りのようなものを各寺社が持ち、里の住人の冠婚葬祭や占い事、年中行事を取り仕切っていました。
末端の寺社は地域内のヒエラルキーで地域内の本社を中心にまとまり、青森県の地域の本社は京都の修験道本山派聖護院か、当山派三宝院(醍醐寺)に属し、院号の申請などで京都まで出向いていたようです。

このような歴史はこの本にも詳しく書かれています。今熊神社の歴史

戸川安章の著作を読むと、明治の修験道禁止令の時に山伏の人数は17万とあります。人口3千3百万の時代に17万もの修験道者は多い。
全国津々浦々の地域のお堂を守っていたのは、今熊神社のように修験道者でもあった宗教者で、まだ仏教と神道が明確に分かれてはいない時代、加持祈祷や占いまでこなす修験道者は地域に住む人々の心のケアまで担っていたと言えるでしょう。
青森県内でもよく見かける「二十三夜」「庚申」の石塔や御地蔵様は、二十三夜講や庚申講など信仰由来の団体が定期的に集まっていた場所を示すもので、明治期に禁止されてその場所を移動したりと、江戸期そのままではないものの、そういう集まりがあったことを示しています。
定期的に集まる人間同士の間に次第に人間関係が育って行くのは、現代でも使われる人間関係の作り方ですし、困った時の神頼みや悩んだ時の占いは現代も生きています。
当時と今と違うのは「長く続く人間関係の中で」「同じ神を信心している」の二点でしょう。
信仰心を失った現在に、「同じ神を信心」は求められないのですが、たとえばこれが「同じ趣味を持っている」「同じ価値観を共有できる」という集合なら可能と思います。

断ち切られてしまった人間関係を、一人一人に心地よい形で再構築できるのかどうか。
それぞれがそれぞれの心の痛みや嬉しさなどを普遍として共有できるのかは、複線化された人間関係の中に同じ価値観を持つ人間関係を作れるかどうかにかかっているように思います。
そういう型を作り生きていた昔の人々の知恵に、現代は勝っているのか。
そんなことをつらつらと考えています。