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ヒトはどんなときに幸せを感じるのか?
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旅立ったアスペルガーの息子に思う事

2014-04-10 | 子供のこと
この春にアスペルガーの次男が進学のために旅立って、新幹線駅で涙の別れがあったにもかかわらず入学式後に出席していない事が判明し、落ちたり上がったりの精神状態を余儀なくされていました。
今まで全力で育てていた息子で、家庭内ではムードメーカーであり、母親である私の心の琴線を鳴らせる特異な息子であっただけに、居なくなるのは殊の外精神的ダメージも大きかったのですが。
涙に暮れていた数日後に「登校していないのですが」という連絡を受けた時は、今までの感傷が一度に吹っ飛び、素に帰る思いがしました。
そして、小学校時代は校長先生に車で迎えに来させたり、中学時代は自主的に自由な行動をとっていた次男の今までの行動を思い出し、そんな事もあるだろうと納得しながらコントロールを考えているこの頃です。

青森県にはゴキブリがいないのですが、ネットを渉猟していた息子には怖い物として認識されていたらしく、祖母のいる実家に預けた息子にゴキブリの出る古いアパートに移ってもらうしかないという脅しは有効であったらしく、殊勝に登校しだしたようです。
『G攻撃』と名付けました。

発達障害の持つこだわりの強さは、ある意味社会化へのエネルギーともなります。
私の子供三人のうち二人がアスペルガーであったのですが、今進学した次男の場合は、早い時期に特性に見合った将来像を親として提示できたのが良かったのだと思います。
現状が受け入れられない知能の高い子供には、将来の目標のように遠い先の光を提示できるかどうかで本人の努力とか意識がが変わってきます。
知能は高いけれども発達障害を持つ子供はそれなりに多いと思います。
小学校、中学校時代に、何かを知ることが楽しいことであると教えられることが出来れば、その先の人生のどこかで学ぶ気持ちが生まれるでしょう。
でも、「学ぶ」ということがつまらなく苦しいだけの作業だと「信じて」しまったのであれば、それは人生を通じて続くであろう知る喜びを放棄させたと同じ事なのではないかなと思うのです。

私は今の年齢になっても知ることが楽しい。
だから人生は楽しいと思っています。
世の中には、まだまだ自分の知らない事が山ほどあって、それを知ることが人生の楽しみではないかと思っています。
次世代にそういう事をどれだけ伝えていけるのかが、今の自分のテーマです。



今年の春に驚いたのは、今までになかった場所に早春の花が咲いていた事でした。
確か、昨年春の時期に「来年春の自分をビックリさせる」という目的で、花の終わったセツブンソウを安く買ってきて植えていたという事を、花を見て初めて思い出したのでした。
昨年の目論見は見事に成功したのでした。


子育て雑感 決め打ち

2012-10-16 | 子供のこと
麻雀用語に「決め打ち」というのがあって、まだ手がどのように伸びるか分からないうちに、できる可能性のある役に向かって突き進んでいく打ち方を言います。
一牌引いた時に、上がれる可能性の高い手に順次作り変えていくのが王道の麻雀ですが、国士無双や四暗刻など高い点数の手が狙える場合に限って試す場合がほとんど。
確率が低く高配当が望めるのは博打性が高いとの認識から、実際の麻雀ではあまり使うことのない方法です。
ところが最近は、この「決め打ち」は子育てにおいて意外に重要なのではないかと思っています。

子供には本人の望む生き方があるはずで、親が子供の進路に口出しをするのは良くないとの考え方が一般的ですが、それでも家業継承が無いサラリーマン家庭においては、子供にとってやりたい事が何も見つからなかった場合の「でも、しか」に当たる職業は無いのが現状です。
子供にとっても、自分に向いている職業は何かと探し続けることになり、それは食べるために働くという基本からは少し外れた考え方ではないかと思うのです。
とりあえず仕事に就くという第一歩の先には無数の微調整や大転換があり、紆余曲折を乗り越えるのが大多数の人々の生き方で、社会人の入り口でそんなに悩まなくても良いのではと心配してしまいます。

子供の進路における決め打ちとは、子供の特性をよく観察したうえで、その子の興味あると思われる職業を説明して、「あなたにはこれが向いているんじゃないか」と誘導することで、子供が何を考えどのような決定をしようとそれはそれでいいのです。






送る春

2012-04-02 | 子供のこと
進学のため長男を送り出す。
これから家を出て、自分の道に進む子供を見送るのは達成感と寂しさに溢れた春の風物とは言うものの、今まで毎日の弁当を作り、あれこれと気にかけていた状態から急に離れるのは、やはり先達の言うとおり寂しいものです。

保育所へはたった5年しか通ってないのに、永遠に続くかと思われるほど長かった。小学校はそれほどでもなくて、中学校は驚くほど短かった。高校はあっと言う間だった。
そんな話を知人から聞いたことがあって、当時中学生になったばかりの長男を思いながら「そうかもしれない」などと考えていましたが、今思えば確かにその通りだと感じます。
高校に入ってからの弁当作りも、ほんのわずかな間だけだったような気もします。
子供時代の我が子と過ごす時間は本当に短い。

子供を送り出す人は、今までも数多くいたわけで、自分がその立場になって初めて分かる事はまだまだたくさんあるのでしょうし、理屈では割り切れない感覚は、経験してみないと理解できないという新しい発見ではありました。






育て方が悪い

2011-07-15 | 子供のこと
アスペルガーの子供と高機能自閉症の子供を育てていて一番辛かったのは「親の育て方が悪い」という周りからの目でした。
今は中高生になっている子供が小さい頃は、発達障害に対する理解などなく、親の育て方=親の人間性や教養、が悪いという見られ方をしていました。
「いったいどんなしつけ方してるんですか!」
そう言われるのは度々のことでした。
発達障害の子供はどんなに厳しくしても、言われた事が出来るようになるわけではありません。
それが虐待のレベルになってしまっても、無理なのは育てて分かりました。
それでも親の努力が足りないと言われるのは苦しいことです。
そして苦しいから、必要以上に子供には厳しく接してしまう。
周囲からの「ちゃんと育てろ」という圧力は、子供への厳しさに変換されるだけで、子供の成長にとってはマイナスです。
「ちゃんと育てろ」が成長の足を引っ張るというのは、大きな矛盾だなと思います。

今は発達障害に対する理解も進んでいます。
受診を進められて悩む親は今でも多いですが、診断名がつけばサポートも受けられ子供の成長にはプラスになります。
何より親の気持ちが楽になります。学校などと同じ認識を持って協力できるのですから。
「ちゃんと育てなきゃ」を発達障害の子供に向けるのは不幸なことでしょう、親にとっても子供にとっても。

高校生になった次男のアスペルガー君は、特性である興味と集中力を実業系の授業に向けだしました。
中学まではダメダメ君だったのが、今は在学中の目標を語っています。
子供は育つのですね、思っていた以上に。
そして自信をつけて楽しそうな表情を見ていると、長い目で見てゆっくり育ててきたことが無駄じゃなかったと思います。
親の仕事は自分の感情のコントロールをすることと、子供の長所と特性をよく見ることだと、今ではそう思っています。




子育て雑感 しつけって何だろう

2011-05-30 | 子供のこと
子供の頃から小さい物を見るのが楽しくて、お風呂の隅の小さい汚れをじっと見つめながら、頑張って見ていればバイキンだって見えるかもしれないと思っていたものでした。
大人になって、さすがにそれは無理があると分かったものの、今でも頑張れば色々なことができるようになると信じている自分もいます。
育てられ方でそうなったと言うより、元々そんな可愛げのない子供だったのだと思います。
小さい頃は誰でも自分の可能性を大きく見積もっているはずで、男の子ならウルトラマンに、女の子ならサリーちゃん(古くてすみません)に「なる」と思う時期があったかと思います。
年齢が上がるにつれ、可能性の見積もりはは右肩下がりに下がっていって、思春期にはマイナスのレベルとも言えるほど。
なぜ自己認識がこれほど大きく変わるのか、考えてみれば不思議ですが、人間が大人になるためには天国と地獄を味わった方が良い、という天の采配かもしれません。

子供個人の特性は千差万別でありながら、それでも広い目で見れば同じような性質を持ち、同じように成長していきます。
個々の家庭で多様な教育があっても、家庭以外の人間関係からも学ぶことはありますし、我が家の発達障害の子供達を見ていても、成長の段階を同じように歩んでいます。
厳しく注意をしながら育てても、自由に行動させながら育てても、結果は同じなのかもしれません。子育ては科学ではないので、再現可能性もないし、同じ条件での子育てもできないのです。
子育ては、先人の試行錯誤の積み重ねから導き出された知恵に最善の方法があるはずで、しかも子供一人一人に合わせたサジ加減も必要です。

「しつけ」は、裁縫では本縫いの前に合わせた布がずれないように、簡単に縫いとめておく事で、始末良く生活する技術を身につけるためのものと解釈されています。
現在では身に付けなければ困る生活技術は少なくなっていて、本来のしつけ以外の物をも「しつけ」に繰り入れられています。
問題になるしつけは親の要求に沿う行動を求めることで、要求通りにできなければ親の感情を刺激します。親が子供から教えられる事は色々とありますが、この感情の起伏を治めていくのが最大の作業と言えるでしょう。
子供が親の要求通りの行動をしていても、親は超えられません。
それよりも、小さい子供の頃に持っている自分の可能性を信じる心を、ずっと忘れないように「しつけ」ておく方が、今の世の中では重要なのではないかと最近思うのです。


アスペルガーの次男は高校生になって、希望していた実業系の学校で勉強しています。
高校で初めて経験するその教科が好きらしく、毎朝明るい表情で出かけていきます。
先日は授業の内容を細かく説明し、「すごく楽しいんだ」と語っていました。
そんな話をされるだけで、親としてはとても幸せな気持ちになってしまいます。





子育て雑感 摘み取っておきたいもの

2011-05-24 | 子供のこと
暖かくなってきて庭の雑草取りに追われています。
植物は子葉の頃が一番弱いので、本葉の出きらない内に指先で軽くつまんで抜いてしまえばほんの僅かな力だけでいいのに、そんな頃は雑草も小さくて、目を凝らして見なければ見過ごしてしまうのが普通です。
今の季節は雑草もそれなりに大きくなって、しかも昨年以前に生えてきたものは鎌や、場合によってはスコップや鍬を使って掘り上げなければ抜くことは難しくなっています。
先手先手と対処していけば、掛かる労力は少なくて済むはずなのに。
それは草むしりに限らず、世の中の多くの事象に共通する事で、関連する諺もたくさんあるのは、きっとそれが簡単そうで中々出来ない事だからなのでしょう。

子供を育てていてよく思ったのは、摘んでしまった方が良いのか、残していた方が良いのかの見極めは、想像していたよりもずっと難しいという事でした。
物事には両面性があって、ある場合には悪く思えても、別の場合にはとても大切な美質になる性質もあります。
早期に対処した方がよくても、本当にこれは対処するべきことなのか悩む時間も必要で、自分もよく悩んでいました。
ある時期までそんな風に悩んだ後、悪いと思われる部分を叱ったり注意したりするよりも、努力や美質を褒めていた方が親としても気持ちよく子供にとっても嬉しくて、当然ながら結果も付いてくると思い至りました。

「子供を褒めて育てる」とは最近よく言われています。
自分も色々と悩んで試行錯誤の結果、確かにそうした方が良いと確信しています。
ただし、これには前提条件があると感じます。
親が心底子供を受け入れているのか、『現状』の子供を本当に大切でかけがえのない存在と認めているのか、子供を信じているのか。
子供は、親の焦りや苛立ちや心の奥の感情の揺らぎを敏感に感じ取ります。
本当は、一番最初に摘み取っておきたいのは、子供に対する親の要求なのかもしれません。




年の初めに

2011-01-04 | 子供のこと
他所の地域からやって来て住んでいる私には、正月というと暇をもてあます時期でもあります。
年始に行く場所もなく、どこへ行っても混んでいるし、冬なので道路凍結で運転もおぼつかない。
読みたかった本をひたすら読むだけの正月のつもりが、今年は大学生になった息子さんを連れて友人がやって来てくれました。
登校拒否中のわが家の息子の臨時家庭教師として、冬休みの宿題を見ながら教えてくれるためでした。

学校に行かない子供にとって、他人との関わりが少ない事が一番の問題だと思っています。
子供と関わりを持ってくれる人がいるのは大切なことですし、それが年上の子供ならなおさらです。
宿題はそれほど進まなかったものの、いつもとは違う時間を過ごした事は良い刺激になっているはず。
子供の成長は時に止まっているかに見えても、心の中に蓄積された色々な体験は確実に子供の成長の糧になっています。
本人がそれに気が付くのはずっと先のことかもしれませんが。
いつでも子供には成長を促す内圧があるはずで、親の仕事はほんの少しの手助けと、それを信じて待つ事だと思っています。




発達障害と受験

2010-12-23 | 子供のこと
アスペルガーの次男は今年高校受験です。
将来なりたい職業の希望もあって県立高校を受験するのですが、問題は面接です。
やらなければいけない課題をこなす、一つのテーマについての話をする、などは出来るようになったけれども、周囲と合わせた団体行動などの不得意な部分は今でもあります。
面接や試験中の態度は合否を左右するといわれ、ここをどうクリアするかで担任と話し合った結果、診断書を提出することになりました。
「小学校時代の診断書は古いので最近のものをお願いします」
そう言われたものの、願書提出まで残りわずかなこの時期に受診の予約が取れるのかどうか。
地方では児童発達障害の専門医は少なく、診断に当たっては各種のテストなどを受けるので時間はかかるものの、ニーズは高いため予約には数ヶ月待ちが常態です。
受験準備としてもう少し早く分かっていれば対応できたのですが、この件についてはほぼ諦めていました。

会話がうまく成り立たず、本人も苦しかっただろう5~6年前は、包丁を持ち出して暴れたことも何度かありましたが、今ではちょっと変わったキャラと明るい性格で楽しそうに学校生活を送るようになり、将来の夢も持つようになった。それだけで充分嬉しいことです。
発達障害の子供の持つ発想の奇抜さや独特の感性を、将来社会のために使えるような人になって欲しい。欲張りな考えかもしれませんがそんな思いもあって、ダメ元で病院に問い合わせてみると、何とかやりくりして時間を作ってくれたらしく予約を受け付けてくれました。
世の中捨てたもんじゃない。すべての事に感謝したい、そんな出来事でした。





高機能の悩み

2010-10-12 | 子供のこと
広汎性発達障害の中でも知的に障害のないものが高機能広汎性発達障害といわれます。
「知的に障害」の意味は知能指数がおおむね80以下を指し、それ以上であれば「高機能」で、しかし発達障害自体は同じようにあるわけです。
義務教育を受けるにあたって、学業に支障がない程度の知能があるとみなされれば普通学級に編入することが一般的な対応となりますが、学級運営のために発達障害に対する対応が充分ではなくなることも多いと聞きます。
発達障害といえども人間としての感情はあるので、他の生徒と同じ行動ができない場合の周囲の反応に心が傷つき、精神疾患の発症を引き起こすという二次障害への注意も必要になります。

高機能であるために発達障害に気づくのが遅れる事例も多く、発達障害の診断を受けてからでも、学業に遅れがないためにサポートが不十分な事もあります。怠けているととられる場合も多い。
目の見えない人に「よく見ろ」とは言わないはずですが、高機能発達障害はすぐにそれと分かるものではないために、本人には出来ない要求を突きつけられています。

発達障害を持つ子供は真面目である事が多く、本人は精一杯の努力をして、そして力尽きるように学校に行けなくなる。
もちろん私も含めて、周囲の人がもう少し理解しないといけないのかもしれません。

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チャレンジド

2010-09-02 | 子供のこと
チャレンジドというのは現在では障害を持った子供を指す言葉として使われています。
私が発達障害について色々と調べていたのはもう10年近く前で、その頃読み漁っていた書籍からは チャレンジド=発達障害の子供を育てる親 だったように記憶しています。
先日ネット上を検索していた時に、「チャレンジド」の言葉が今では子供本人を指す言葉として使われている事に少し吃驚してしまいました。

奇跡の人と言えば日本ではヘレン・ケラー本人を意味しますが、本来はヘレン・ケラーの家庭教師であったサリバン先生を指しています。
もちろん障害を持つ子供本人も苦労をして育つわけですが、育てる側の努力は並大抵なものではないはずです。
発達障害の子供も見た目では分かりませんが、親子の係わりや生活スキルを身につけさせる場面では通り一遍の方法では上手くいかなくて、子供一人ひとりに合う方法を探し出すための試行錯誤で親は悩みます。
現実的な子育て方法が、ある子供では有効であっても、他の子供にも有効になるかといえば全く効果がなかったり逆効果であったり。オーダーメイドの子育て法を独自に作り出す他ないのです。

私には二人の発達障害の子供がいて、アスペルガーの次男は生活に必要なスキル(人との関わりや日常生活の技術など)はほぼ出来上がったと思っていますが、高機能自閉症の三男はまだまだこれからの状態です。
この二人を見ていると、育て方のポイント等は全く違っていますし、親としての態度も変えなくてはならず、全て最初からの組み立てが必要になってきます。
三男の登校拒否の傾向も差し迫った状態であり、親としてはもう一度奮起しなくてはいけないところです。


障害のある子は、神様からの試練としてその子を育てる力のある人の所に産まれてくる。だからチャレンジドと言うんだよ。

6年前に友人に言われた一言は今でも役立っていますし、宗教など関係なくこれが正解だ、という確信は今も変わりません。
こんな事を書きながら自分を奮い立たせようとしているだけなのですが。