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今熊神社の歴史

2012-12-22 | book
非売品の地域歴史本を頼んでいて、やっと手元に届きました。
二年越しで八方手を尽くしてお願いしていたものなので、嬉しさも大きいです。
『今熊神社の歴史』と題されたこの本は、青森県六戸町にある今熊神社の歴史を、当社の神主である著者が調べて書き上げた自費発行の書籍です。
里修験の社であった今熊神社の変遷と、修験道や青森県南部地域の歴史や生業の変遷も交えながら、たいへん詳しく書かれている名著と思っています。
この本の圧巻は、江戸時代の宮司である修験者の家系をたどる部分で、特に天明の大飢饉前後の村の様子や宮司の動向など、大河ドラマを見ているような迫力があります。
歴史本としても充分に見ごたえがあり、また当時の農業や修験道という宗教のありようまで調べられていて、この本を一冊読むだけで江戸時代前後の青森県南部地方の産業まで理解できるような、そんな書籍です。

三頭木の言い伝えや、関連するであろう修験道の信仰形態などを調べるために、この本の事を聞きつけ借りて読んでみたのですが、資料というより読み物としての面白さに惹きつけられてしまいました。
山野を駆け巡って修行する山伏の姿と、里の修験とは、まったく違うイメージという事を知ったのもこの書籍からでしたし、地域に密着した信仰の形を築きあげていた民間宗教としての修験道を知ったのもこの書籍のおかげです。
私にとっては民間信仰としての修験道に興味を持つ入口だった、そんな本です。
もちろん資料としての価値も高いですし、氏子や関係者だけに配ったらしいこの本は、県の図書館の蔵書になるべき書籍と思います。
私が自分の手元に置くべく人を介して入手したのも、図書館等に置かれていなかったためでした。
著者に直接聞いたところ、六戸町図書館には寄贈しているとの事。
興味のある方は六戸町にお問い合わせください。


追記
十和田市民図書館にも蔵書があり、貸し出しもしているとのこと。

2013/4/6 追記
八戸市立図書館と青森県立図書館への寄贈を行い、現在、この二つの図書館でも閲覧・貸し出しが可能になったとの事。








古い資料を読む

2011-01-17 | book
青森県西目屋村で、目屋ダム建設のために湖底に沈んだ砂子瀬集落の生活や伝承を聞き取り調査してまとめられた『砂子瀬物語』(森山泰太郎著)は、昭和20年代から30年代にかけての山村の生活を伝える第一級の資料です。
民俗学関係の本を読んでいると何度も引用として出てくるので、なんとなく親近感の湧く書籍でした。
「書かれている半分はうそだ」と書かれた当時から言われていたとは言うものの、初めて通して読んでみるとそれほど違和感は感じず、タブーに踏み込んでいる部分が関係者の不評を買ったとも感じます。
しかし現在から見ればタブーもまた貴重な資料ですが、聞き取り調査をした人の感覚から見て記録すべきものを取捨しているのだから、この調査をした昭和20~30年代の時代の感覚は抜け落ちているものと思われます。

書籍はその内容が書かれた年代を確認して、当時と今の時代感覚に補正をかけることが読書を楽しむコツだと思っています。
小説であっても、書かれた時代を頭に入れておくと、なぜそう考えるのかの理解は深まります。
たとえば戦争であったり恐慌であったり、その前なのか後なのかで登場人物の台詞の意味が分かったり。
科学関係の図書は年代によって内容が変わってきますし、一時期風靡してその後廃れていった考え方の影響もあります。
本に書いてあることがすべて正しいわけではない、必ず時代の影響を受けていると思って読むことは正しい情報に近づくために必要な事だと思います。



年末に片付けていた本の中に古い図鑑があって、小学校へ寄付するために内容を確認していたところ、最新の研究からは大きく内容の違うものが出てきました。
大昔の生き物の図鑑では恐竜の想像図が大変な事になっています。
恐竜の生態の研究は80年代から大きく進展して、それ以前の理解とは全く違ったものになっています。
研究の変遷を見る資料としては使えるものの、小学生に読ませるには少々問題があり、この本は寄付用の図書に入れなかったのですが当時はこれが間違いではなかったのです。

古い本を読む機会が増えて、なんとなくそんな事を考えていました。


 竜脚下目(カミナリ竜)は、その大きさから水生動物と考えられていた。その後の研究から現在は乾燥した森林・草原で生活していたとされている。

  

  





 主竜類。尾を支えに立ち上がった姿で描かれている。現在では後肢を支柱にして尾と上半身でバランスをとった状態で歩くとされている。尾は地面を引きずらない。









引用 プログラム式こどもカラー図鑑 5大むかしのいきもの
   昭和45年第一刷発行  講談社



本にまつわる話

2011-01-06 | book
巨木に関する言い伝えを継続して調べているのですが、農業に比べると林業関係の書籍は圧倒的に少ない。
さらに近代化以前の杣人・山子に伝わる話となると、民俗学の中でも狭い範囲になってしまって関連書籍を見つけるのが難しい。
多分ここには記載されているであろうと目星を付けた本は、すでに絶版になっていて購入もままなりません。
図書館を梯子してなんとか見つけた本だけでは心もとなく、こんな時には地方に住んでいるのがうらめしくなります。
書籍の他にも学術論文など、探せば関連の記述も出てくるはずですが探しようもなく、やはり図書館だけが頼りとなっています。

資料を探すときの不便さは各方面にあるようで、基礎資料だけでもデータベース化してほしい。せめて絶版になった本だけでも、そうは思っても難しいのでしょうね。
正月早々の愚痴でした。



基本的に全ての「基礎資料」と呼ばれるものは無料で、webで読むことが出来るようにしとくべきなんだ。その点で『旧約聖書』と『新約聖書』が幾バージョンか全文読めるキリスト教は流石。責めて律蔵くらいwebで読めるようにしてもらえんもんか。それは本山の仕事だと思うんだが。
Twitterより引用



視線とは何か

2010-08-28 | book
今年は例年になく庭にスズメが沢山やって来ます。
集団でいると警戒心が弱まるのか、こちらが驚くほど近くにいることも多い。
でも気がついてそちらを見ると急に飛び立ってしまいます。
鳥にとって人間が近くにいる事よりも、人間に見られることが怖いのか。鳥は視線を感じているのか。

最近読んだ福岡伸一の本『世界は分けてもわからない』の中で、「視線とは何か」という考察がありました。
まだ検証もされていない話ですが、視線を感じるのは写真の赤目のように、眼球底から反射される外界の光ではないのかという内容でした。
この本の中では人間の視力の限界と顕微鏡の話への前フリでしたが、野鳥を観察していると人の視線に敏感に反応する理由として、「視線=眼底からの反射光」は充分考えられると思います。

カラス避け、猫避けグッズに目玉型の板や光る板がありますが、効き目としてはどうなのでしょう。
視線を嫌がるのであれば、僅かに反射するような物が良さそうな気もします。





「津軽三味線」 倉光俊夫 

2010-02-25 | book
津軽三味線を習いだす頃、この本を読みました。
三味線奏者、高橋竹山の半生を軸に、仁太坊や梅田峯月など津軽三味線の名手を語りながら、その時代の青森県の情景と芸人の世界を描き出しています。
この本は昭和50~51年に執筆されており、当時まだ存命だった高橋竹山との間に交わした話や、明治から大正にかけて生きた芸人を実際に見た人の話の聞き取りは、時代の持つ雰囲気を濃厚に漂わせています。

まだ貧しかった時代に目の見えない人が生きていくためには、男はボサマ、女はイタコになるのが青森でのならいだったこの時代、真冬に着物一枚だけで門付けをして歩くのは寒さ以上に心が痛むことだったとしても、その日の食べ物にありついてその日の命を永らえるただひとつの方法だったとしても、現在では想像もできない生き方です。
口をあけると雪が入ってくるような吹雪の中を、目の見えない人が次の町を目指して歩いていく。それも今のような道路ではなく防寒着といえるものもなく。

その時代はボサマといわれる三味線弾きなどの遊芸人はさげすみの対象でした。
ほんの数年前に「津軽三味線など習うのは恥ずかしいことだ」とご主人に言われたご婦人の話を聞きました。
同じ頃、70代の方から「ちいさいころはボサマがこの辺にも来ていて、よく追いかけて石を投げたりしたナ、今思えば悪いことをした」という話も聞いています。
吉田兄弟が海外公演をこなすこの時代でも、ボサマが門付けをして歩いた時代の記憶はいまだ微かに残っている、青森とはそんな不思議なところです。








文明の逆説

2009-11-24 | book
1976年に単行本が発行されているので、もう30年以上前の古い本なのですが、最近気になって読み返しています。
9.11以降の世界情勢は、この本の中に書かれている内容が未来を予測したかのように適切な分析なのだと思えます。

はじめてこの本を読んだ時、世界の中で豊かな経済を見せている大国は、その中に衰退の原因を内蔵させるという指摘から、それは経済的な豊かさを指すものなのかと考えていました。
資本主義経済に関わる何かがあるのだと漠然と考えていましたが、最近は少し違うように思います。
もっと根本的な何か、建国の理念である「自由」こそがそうなのではないかと感じます。


日本は戦後、かの国の圧倒的な経済力に彩られた「自由」という不思議なものに理想を見出していたのかもしれません。
その言葉と彩りにこそ全てがあると信じて追い求め続けたけれど、実はその中には目には見えない強い毒も混ざっていたのかもしれません。
今でも鮮やかに美しく見える「自由」は、静かに文明の根本を崩壊させている、そんな気がします。

文明の逆説 立花 隆




未来を見通す目

2009-06-16 | book

ロハスの思考 福岡伸一著

2006年初版の本ですが、気になって読んでみました。
当時狂牛病で騒がれていたのを思い出したのですが、最近のニュースでもありました。
(5/28)国産牛のBSE検査緩和、厚労・農水省検討 米産輸入対象拡大も
自殺者まで出したBSE騒動ですが、今では関連記事の扱いも小さくなり話題に上がることも少なくなりました。
そうしたなか、輸入拡大は徐々に始まろうとしています。

BSE騒動は変異型クロイツフェルト・ヤコブ病の恐ろしさとともに、草食動物に肉を食べさせる人為操作のおぞましさが人々の恐怖感を刺激したと感じています。
日本で発生した狂牛病は感染ルートの特定が完全ではなかったと記憶していますが、時間が過ぎることで恐怖心と共に用心さも薄れているようです。
BSEのニュースを見ながらいろいろ考えていた頃の自分を思い出しました。

この本では最後に5人の方との対談があるのですが、この内容が2009年現在の状況をぴたりと言い当てているので吃驚してしまいます。
ロハスは自然の循環の中で生きることだという思考の立て方から導き出される答えは、何か大切なものを言い当てているのだと感じます。






狩猟採取民の世界観

2009-04-29 | book
人とサルの間―精神(こころ)はいつ生まれたのか

イヌイットは十分に食べ、余暇を堪能していた。
イヌイットやアフリカ、アマゾンで現在も狩猟採集生活をしている人たちは共通して個人の意思を大いに尊重し、親切,寛容、思いやり、情愛、誠実、同情、慈悲の心を持ち、子供はそれぞれの性向において自分の歩度で成長し、自身の責任において学び、判断しなくてはならないと考えられている。


この本の中に狩猟採取民の世界観について触れている記述があります。
このような内容でしたが、厳しいと思われていた狩猟採取民の生活は予想と違うもののようです。
現代に生きる狩猟採取民の研究が進み、その世界観や精神性は地域を越えて共通しているようです。

青森県の三内丸山遺跡や是川遺跡などの縄文時代遺物から、狩猟採取民である縄文人の生活が研究されています。
縄文土器を観ていると高い芸術性に魅了されます。
実用性とは離れた趣味を楽しむような装飾は、縄文人の精神的な豊かさを感じさせます。
土器に微かに残る指や爪の痕は、作った人の心を写し取っているかのようです。
地域を越え共通する狩猟採取民の世界観は、時間をも越えて縄文人にも通じているのかもしれません。

自然の中から食べ物を取る生活スタイルは、一方で人口増加には対応できません。
どの地域でも気候の変化などで食料の調達が難しいときは、躊躇無く間引きによる人口調節をするそうです。
豊かな狩猟採取という生活スタイルを捨て、農業を始めたのは人口増加に対応するためなのかもしれません。
労働時間が大幅に増える農業のためか、弥生時代の土器はシンプルなものに変わります。

安心と長い労働時間。
全て自分で判断しなければ生きてはいけない環境と充分な余暇時間。

現代もある難しい選択です。





SFの醍醐味

2009-04-06 | book
星野之宣 2001+5

寡作の作家さんで、しばらく買って読むことがなかったのですが池袋ジュンク堂で見つけてきました。
ネットでいくらでも探せるのですが、この作家のものだけは書店で直に手に取るところから話が始まっているようで、いつも何処かの書店から買い求めています。

収録作品は未完のものがあり、SFとしてぜひこの先も観てみたいと思わずにはいられません。
いつも胸がいっぱいになるような読後感で、まだまだたくさんの作品を発表して行ってもらいたいと思っています。




心に残る本 生物と無生物のあいだ

2009-02-25 | book
いろいろな本を読んでいると、この本はいいな、また読みたいな、と思えるものがあります。
そんな本は図書館にあってもやっぱり手元に置きたくなって、つい注文してしまいます。
あまり本が増えると置き場所に困るので、かなり気に入ったものしか買いませんが。


生物と無生物のあいだ

この本は去年買い求めたものですが、一般向けに書かれた科学書です。
新書文庫で手軽なものに見えますが、これを読むと人生観や死生観までを揺さぶられるほど濃い内容でありながら、美しい文章と易しい語り口で一気に読ませてくれます。

いい本を読み終わると、胸が熱く膨れ上がるように溜息が漏れてしまいます。
まるで心から何かが溢れ出すように。
この本を手に取ることができた幸せに浸るひと時です。

どこかで同じ感覚を持った本がありました。
レイチェル・カーソンの「沈黙の春」だったか、
ライアル・ワトソンの「生命潮流」だったのか。

この本も私の心の奥で、私の考え方の底を作ってくれるのでしょう。