毎日幸せに in青森

ヒトはどんなときに幸せを感じるのか?
形而上の話を形而下に

ブログランキングに参加しています

人気ブログランキングへ にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 青森情報へ

発達障害を語る上での禁止ワード

2014-07-22 | 登校拒否について
強い怒りは胃に来ます。二日ほど胃の調子が悪くて久しぶりに怒りを感じています。
原因はある場所での「発達障害は治る」という話でした。
発達障害についての理解はだいぶ進んでいて、生まれつきの特性であり一人一人の状態もそれぞれであるという事は、ずいぶんと知られるようになってきています。
それでも時々「治る」と言う人もいるのです。
特に保護者の不安をあおって何がしかの商売に結び付ける場合には怒りを感じます。
保護者は当然ながら不安を抱えた状態で子供と接しているわけで、その不安に付け込むのは害悪でしかない。
「発達障害は治る」というワードが出たらその先は聞くのを止めた方が良いですし、そもそも間違っています。


発達障害は生まれつきのものですが、「発達」の障害であり本人のペースで成長します。それがまたその個人の個性でもあります。
周囲にできる事は、社会に適応できるように、本人の納得する形で、根気よく生活の方法を身に付けさせることだと思っています。
ですから最近の手引きなどには、本人に理解しやすいアドバイスの仕方として図解・紙に文字を書いて提示・分かりやすい指示の言葉等々の開設が出ています。
将来、その子供が社会と折り合いをつけて生きていくのに最低限必要な事をロジックとして身に付ければいいのだと、今はそう思うようになりました。
それよりも、元々本人も生き辛さを感じているいるのですから、少しでも楽しく生きられるように、私が気を付けていればよかったと後悔しています。
発達障害で特に気を付ける部分は、思春期以降に精神的疾病を発症することです。
本人と周囲の違いだけでも大きなストレスになる他に、学校生活では注意を受ける事も多いでしょうし、いじめなども受けやすい。
親が不安なく、ゆっくり育てられる環境を、自分で作るしかないのですが、特に配慮して作って行くしかないのでしょうね。







子供のうつ病 登校拒否その後

2011-10-29 | 登校拒否について
昨年、一昨年とも二学期になって間もなく始まっていた三男の登校拒否。
夏休み中に学校との心理的距離が開くことが原因の一つではないかと考え、今年は充分注意していたにもかかわらず、やはり二学期から登校拒否が始まりました。
しかし今までと少し違って、今年は春からチックと思われる状態があったため、発達障害診断のできる医療機関を受診したところ鬱の可能性が高いとのこと。
医師と相談の上、投薬となりました。

子供の不登校の陰には発達障害や鬱がある事も多いのですが、明らかにそれと分かる状態でない場合は、周囲からの励ましなどが本人の状況を苦しくさせる事もあります。
子供が学校に行かなくなる原因を学校に求める以前に、子供本人が持つ疾病などを充分考慮する必要があると思います。
思春期は子供の体と心の成長の途上であり、他にも起立性調節障害など自律神経の働きの不調による病気も多く、不登校の原因は多岐に亘ります。
治療法のある疾病なら、もちろん治療を選択肢に入れながら子供の成長を見守る、そんな客観的対応も大切なのだと感じます。

子供には成長の内圧があって、肉体的にも精神的にもどんどん成長していきます。
そして一直線の上り坂のような成長の仕方ではなく、階段のように停滞と上昇を繰り返しているとも感じます。
過去に登校拒否の経験がある知人の話を聞いても、その経験は自分の大きな糧になっているとの意見も多い。
親としては心配が大きいのですが、どんな形であれ子供は成長しているし、現在の状況から何かを感じて学び取っているはず。
悩んで苦しむより、少しでも子供のサポートになる何かを探しながら、子供の成長を信じていようと今は思っています。

こんな風に書いてはいますが、自分で自分を励ますためでもあるのですよ。






続 他人が怖いという病理

2010-09-17 | 登校拒否について
考えてみればわが家の子供3人の内、二人が自閉症なので、そんな子供であることが普通になってしまっています。
傍から見れば変わった子供と、それを叱らない変な親に見えるかもしれません。

発達障害にはとても繊細な問題があって、その中のひとつに、診断されていない子供の障害名を親が推測で付けるわけにはいかない、ということが含まれます。
青森県内には子供の発達障害を調べる医療機関は少なく、受診までの時間もかかります。
次男の場合も、必要と感じながら実際の受診までに数年かかりました。今ほど発達障害についての知識や情報もなく、途方に暮れていた期間が数年間あったのです。
幸いにも通っている小学校から医療機関を紹介されて受診に至ったのですが、受診を勧める学校としてもこんな話は言い出しにくかったのか、20分近く世間話をしてから言い難そうにこの話を切り出されたのを思い出します。
発達障害が疑われても認めたくない方も多かったのかもしれません。自分としては子供を理解できるなら藁にもすがりたい気持ちと、医療機関への紹介という待ち望んだものがやっと現れた嬉しさがありました。
診断名がつくと、それに沿った指導のあり方や注意点などが分かり、対応が変わってきます。

北東北は自殺率が全国でもトップの地域です。
北国の冬季欝のためだという解釈もありますが、それより精神科への受診を躊躇する気風もしくは周囲の目を気にかけるため鬱病の未治療が多いのではないかという推測もあります。
発達障害は早い時点で確認することで必要なフォローが受けられるのですから、子供にとってのより良い道が開けると思っています。
今、登校拒否をしている三男も高機能自閉症で、一年前に受けた診断書を見直しながら長期戦に向けた作戦の練り直しに取り掛かっています。




他人が怖いという病理

2010-09-14 | 登校拒否について
何の本で読んだのか記憶も定かではないのですが、どこかの大学で大学生に対して「他人に感情がないように感じた事はあるか」とアンケートをとった結果、約3割近い学生から「ある」という回答があったそうです。
概ね幼児期から小学校高学年頃までの間での体験談としてでしたが、私も幼稚園時代に同じ事を感じていて、しかもかなりの高率だったので驚きました。
具体的にどう感じたのかの記載も一致していて、そこにいて生きて動いているのに心の無い物のような、そんな感覚で感じで周りの人々を捉えていたと記憶していますし、アンケートも似たような結果でした。
子供の頃にそんな感覚を持っていても、成長し人との関わりが増えてくるにつれ、自分も他人も基本的には似たようなものだと分かってくるのですが、この場合は他人が自分の理解できない生き物として感じられて、とても怖くて話しかけたりなどできなかったのを覚えています。
この感覚を持ち続けているとすれば大人になってからも人との関係構築は難しいと推察できます。

これとは別に、思春期になってから周囲の人の注目に対して過敏になります。
この場合は他人の自分に対する評価が心配の種になります。
人が自分をどう見ているのか気になって仕方がないのですがはっきり聞くのも怖い。このジレンマが他者への恐怖に変わっていくようにも感じます。

思春期は誰もが通る道でありながら一筋縄ではいかない危険性も孕んでいて、そんな大嵐の中を今進んでいる子供に対して、親としてどんなエールを送ればいいのか悩んでいます。





一つの区切り

2010-03-23 | 登校拒否について
登校拒否だった下の子供の卒業式に出席してきました。
直前までちゃんと登校することはできなかったのですが、本番ではしっかりと答辞を言うことができ、式は滞りなく終えることができました。
私にとっては小学校は最後の卒業式になるのですが、毎回何かしらの感動があり、学校教育は子供にとって大きな意味があるのだと納得してしまいます。

子供が育つには通過儀礼が必要で、育つ過程のどこかに上手く組み込まれていなければならないと思っています。
小学校卒業は12歳で思春期の入り口にあたり、子供時代との区切りとして重要な年で、6・3・3の学制を見直す話が何度か出てはいるもののやはりこの区切りでの学制を続けているのは12歳での卒業式というタイミングが良いからなのでしょう。

小学校での登校拒否はとりあえず登校できる方向に進んできましたが、環境も人もがらりと変わる中学校ではどうなっていくのか。
「一学期の前半が分かれ目ですよ」
そんなアドバイスもいただいていて、まだもう少し気を抜けない時期は続くのでしょう。




まずは相談してみよう

2010-02-27 | 登校拒否について
先日顔見知りの方に会ったので挨拶をすると、子供のことを色々と質問してきました。
聞けばその方の子供も登校拒否で、親としてどうしていいものか悩んでいる様子でした。
控えめに話していましたが、やはり担任や学校に対しての不満が見えてきます。

子供が登校拒否に至るまでは様々な事情もありますが、その間の学校側の対応に不満を持つことはごく自然な流れです。
前兆を素早くキャッチして適切な対応ができていれば登校拒否に至る事もなかったはず、そう思うことも分かります。私もそう考えていました。
でも人の心の内を完全に理解することなどできることではなく、教師もまた人であれば常に完全な指導ができるわけでもありません。
過去の事を挙げて責任の所在を突き止めても、現在進行している事態にはあまり関係はなく、現状だけがそのまま取り残されてしまいます。

過去に不満はあるとしても、今がどのような状況で、ではどうして行けばいいのかの方向性は、子供に関わるなるべく多くの人と考えていく事がベストな対応だと思います。
学校はその子供に対しての情報をたくさん持っています。
担任に話しづらいのであれば、教務・教頭・校長など教育のベテランもいますし、子供を育てていくという目的は親とも同じはずです。
何より親が学校に対して不信感を持ったままでは、親の気持ちが子供に反映されてしまわないか心配です。

先日お会いした方にも
「不満もあるかと思うけど、まずは教頭か校長先生に相談してみたらいいと思う。私はそれで良い方向に進んでるよ」
親と学校側が共同戦線を張れたら、それは大きな力になれると思うのです。








苦しさのスパイラル

2010-02-01 | 登校拒否について
順調に学校へ行きだしていた子供が、また登校を渋るようになりました。
先日そんな状態の子供に対して声を荒げてしまった私は1時間程一人で考えていたのですが、そんな事をしても子供にとっては苦しいだけなのに何故そうしてしまうのか、もしかしたら自分の態度が子供を追い込んでいるのではないか、と色々考えた結果、
「今日は美味しいものでも食べに行こう、明日は代わりにがんばろう。
 あなたに怒鳴っても仕方がないんだし」

一瞬安堵の表情を浮かべた子供は、いそいそと出かける準備を始めました。
この子もまた苦しい思いの中にいる、そう思うと涙が溢れそうになってしまいます。


個人的には学校は子供にとってとても大切な場所だと思っています。
勉強ができるようになるとかではなくて、同年代の子供との人間関係を作る場所としてなくてはならないものだと考えていますが、苦しくても我慢して行くのでは大切な学びを見つけられなくなってしまう気がします。
子供の中に何かの楽しみがなくては、学校の持つ全ての良さが反転してしまうような、そんな危なさを何となく感じています。
学校は大切なものだから何とか行かせなくては、と思う親の気持ちの中にもそんな危なさを見つけてしまった出来事でした。

試行錯誤の中で登校拒否と向き合う日々はまだ続いています。
でも親としての自分の中にも問題はあるということを、少しずつ気づかされてもいます。






不登校児の親の心の痛み

2010-01-21 | 登校拒否について
不登校の子供を持つ親に何か協力したいと思う方も多いと感じます。
しかし現実には不登校児の親は、学校に行かない子供を持つ痛みと周囲からの目に怯え身動きの取れない状況にあることも多い。
心を開いて苦しさを吐き出す作業もなかなかできません。
できれば身近にいる人がその痛みに気がついて、親の心のケアをできればいいのだと感じています。

私も発達障害の子供を抱えていて、色々な所で面と向かって非難されたこともありました。
親として失格と言われた事もあります。心が折れそうになりました。
でも自分の子供を母親として育てるのは自分しかいない、そう思って自分を奮い立たせていました。
心に棘の刺さっている人間はさらに傷つくことを恐れて自分を閉ざしてしまいます。
これを読んでいる方にお願いしたいのは、「親の責任では ?」という思いでの対処だけは控えて欲しい、という事です。

私は色々な場面で救われる言葉をかけてもらい今があります。
自分が変わることで子供もまた変わり育っていく事に気が付きました。
自分の子供もそうですが、他人の子供も次世代を造っていく人材です。
次世代への投資としての子育てに多くの人が関わり、温かく育ちを見守る人間関係を作れる世の中を心の底から願っています。





3学期が始まりました

2010-01-17 | 登校拒否について
1月15日に小学校の始業式がありました。
長い休みの後は学校へ行くことが難しい場合も多いのですが、子供は
「ちょっといやだなあ」
などと言いながらも自分で準備を進め9時に歩いて家を出て行きました。
学校の人間関係に対する恐怖心もずいぶんと薄れてきた感があります。

夕方、担任の先生から電話があり学校での様子も聞きましたが、ごく普通に教室で授業を受けていた様子。
まだ朝の登校時間は遅いのですが、もう登校拒否とはいえない段階まで進んでいるのだと思いました。
この後どうするのかについて少し意見交換をしましたが、中学校に入ってから頑張れるよう希望を持たせつつこのままの状態でいるのか、朝の登校も始業までに行けるよう働きかけるのか、この選択について結論は先送りになりました。

登校拒否の子供に親としてしてあげたいことは会話です。
学校の話ではなく、自分の子供時代の話や若い頃の楽しかった話、趣味の話など、できるだけ笑い話にして語っていました。
子供は学校と家庭が世界の殆んどです。
広くて面白い世界があることを垣間見せる、そして家庭内の人間関係を暖かいものに変えることがどれだけ大切なのかを学んだように思います。



幸せな人生

2009-12-27 | 登校拒否について
発達障害の子供がいて登校拒否もしている、というのは幸せではないように思われるかもしれません。
でも色々な困難を目の前にして一つずつ対処を考えていると、困難があることが実は幸せの元なのだと思えてきます。
乗り越えてしまった課題は次に同じ物が発現したときに容易に乗り越える知恵を付けてくれます。

障害のある子供を「チャレンジド」と呼びますが、神が与えてくれた乗り越えるべき障害、それはその人に出来る筈の課題として課せられたという考え方があります。
乗り越えられるからこそ障害のある子供は生まれてくるのだ、という考え方はステキだなと思います。
苦労は勿論あるのですが、乗り越えた後に広く物事が見える感覚は経験した人でないと分からないかもしれません。

どん底まで落ちなければ浮かび上がれない、と言われる事も同じだと思います。

上手に世渡りすることが良い事だという風潮がありますが、それだけでは見えない事もたくさんあります。
苦労をした人だけに分かる共通認識が確かに世の中にはあり、そんな人は広い度量を持っていると感じるようになりました。