毎日幸せに in青森

ヒトはどんなときに幸せを感じるのか?
形而上の話を形而下に

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世の中の帳尻

2009-02-28 | 思うこと
ずいぶん前にお世話になった方に御礼を持っていったことがありました。
まだまだ経済的には苦しかった頃ですが、精一杯の品を持ってお伺いしたときにこんな言葉を頂きました。

私はお礼が欲しくてやってあげたんじゃない。
あなたが一所懸命やっているからだ。
お返しをしたい気持ちは分かるがわたしはいらない。
それはいつかどこかで誰かに返してあげなさい。
それで世の中の帳尻は合うのだから。

人を助けるためにはある程度のゆとりが必要です。
経済的にも精神的にも。
結局お礼の品は受け取ってはもらえませんでした。
でも何かお返しをしたい気持ちは今でも持っています。

私も精神的にはゆとりが持てるようになってきました。
もしもまたお会いすることが出来たら私は聞いてみたい。
あのときのお返しは出来たのでしょうか、と。




2009-02-27 | 思うこと
体調悪くして寝ていたら夢を見た。

遠いところへきていて大勢の人が話しかけてくれるのだがみんな仮面をかぶっていて誰なのかわからない。
一人だけ仮面をつけていない人に泣きながら自分のつらさを話すと聞いてくれた。
とにかくもう帰りましょう。
そういわれて外に出ると真っ暗な夜道。
私はここまで自転車に乗ってきたよう。
送られながら出発するが道もよく判らない。
同じところを何度も何度も走り回る。
途中何かに追われて必死で逃げる。
追ってくるものの正体もよく判らない。
自分が帰るところもよく判らない。
ずいぶん長い時間をかけてようやく自分の家らしいとところへ着くが記憶に無い場所。
お帰り、待っていたよと迎えてくれる母も全く知らない人に。
あなたは、と尋ねても、
ずっと待っていたのよ、と。
友人の家に向かってみると、小さかった子供がもう大人になっている。
いろいろあったのよ。
友人はいつものようにもてなしてくれる。
この子達は知らないうちにこんなに大きくなったのか。
急に懐かしさを覚えて話しかけるとにっこり笑ってくれた。

長い夢だった。
夢は記憶の整理のために見るそうですが、知らないものがこんなに出てくるのはどういう意味なのでしょう。




幸せの条件

2009-02-26 | 思うこと
そんなものはない。
幸せに条件など無い。

多くの人は幸せの条件を探す。
あれがあれば、これを持てば。
それを持ったらまた次の条件を探す。
こんなことが出来たら、もっといいものを持てば。
どこまで行ってもきりが無い。
さらに、さらにと次を目指す。
結局幸せは手元に残らない。
ただ不満だけが残っている。
あれが足りなかった、これができなかった。

幸せはそんなところには舞い降りてはこない。

幸せはただ主観的な気持ちのありよう。
ああ幸せだと思う人にのみ訪れる。

資本主義の洗礼を受けて物が幸せを運ぶと錯覚している世の中。
幸せを運ぶのはお金だと信じている人々。
この世界では当たり前の常識のように語られている大きな誤解。
それを喜ぶのは資本を持つ者たち。
どちらも誤解しているのには変わりないのに。

目を開こう。
周りを見回してみよう。
幸せはすぐ近くにあるはず。

それは物や、見得に形づくられたのではない、生き物の基本の中にある。
生きている。
感じている。
考えている。
繋がっている。
息をしている。

つらい経験をしている人も居る。
誰ともつながれない苦しみを持っている人も居る。
死にたい人も居る。
小さな幸せを見つけることが出ない人も居る。

幸せはどこか遠くにあるのではない。
自分の心のどこかに、必ず待っている。
いつか見つけてもらう日を。







八戸 熊の沢温泉

2009-02-26 | 温泉
新幹線八戸駅から車で10分ほどの所にある熊の沢温泉へ行ってきました。
熊の沢温泉

さすがに中までは写真が取れないのでこちらの情報をどうぞ。

前から行ってみたかったこの温泉、お湯がとてもいいんです。
この地方に多い単純アルカリ泉のようですが、源泉には茶色い色が着いていて微かに木か燻製の香りがします。
肌触りがつるんとした感じでお肌に良さそうですし、湯の温度もぬるめとやや熱めの浴槽、電気風呂、ミスト湯、炭酸泉、露天風呂、サウナと盛りだくさん。
もちろん源泉掛け流しです。

ゆっくり時間を掛けて浸かりたかったのですが、なぜかとても温まるのが早く一時間ほどで上がってしまいました。
湯船も浅めの造りで湯船の縁に頭を乗せるのにちょうどいい高さ。
半身浴も出来る深さの浴槽もあり、なかなか温泉ファンの気持ちを考えているなあと感心してしまいます。

実はあんまり気持ちよく入浴できた所為か、マイ温泉セットをここに忘れてきてしまいました。
忘れ物を取りに行く、という理由で近いうちにもう一度行かなければなりません。
こんなときは忘れ物も楽しみの元になります。




心に残る本 生物と無生物のあいだ

2009-02-25 | book
いろいろな本を読んでいると、この本はいいな、また読みたいな、と思えるものがあります。
そんな本は図書館にあってもやっぱり手元に置きたくなって、つい注文してしまいます。
あまり本が増えると置き場所に困るので、かなり気に入ったものしか買いませんが。


生物と無生物のあいだ

この本は去年買い求めたものですが、一般向けに書かれた科学書です。
新書文庫で手軽なものに見えますが、これを読むと人生観や死生観までを揺さぶられるほど濃い内容でありながら、美しい文章と易しい語り口で一気に読ませてくれます。

いい本を読み終わると、胸が熱く膨れ上がるように溜息が漏れてしまいます。
まるで心から何かが溢れ出すように。
この本を手に取ることができた幸せに浸るひと時です。

どこかで同じ感覚を持った本がありました。
レイチェル・カーソンの「沈黙の春」だったか、
ライアル・ワトソンの「生命潮流」だったのか。

この本も私の心の奥で、私の考え方の底を作ってくれるのでしょう。





次世代を作る君達へ

2009-02-24 | book
小学校の子供たちに絵本の読み聞かせボランティアをしています。
朝の10分という僅かな時間ですが、子供たちに聴かせてあげたい本を持ってきて読んでいます。
たまに視線を子供たちに向けると、口を開けて聞き入っています。

真剣に聞いている子供の顔は、読む人の喜びです。
たくさんのお話の中から心に残るものを受け取っている。
その瞬間は何よりも幸せな時間です。

自分の子供には絵本を読むなどあまりしてあげられなかった。
ただ自分が歩いてきた道を面白おかしく語ることばかりだった。
自分が体験して感じたことは子供たちにも伝えたかった。
自分の子供だけでなく、なるべく多くの子供たちへ。

次の世の中を作るのはあなた達なのだと、心の中のメッセージを込めながら。
今の世の中が、不条理なものなら自分達で新しい世の中を作っていくように。
そこは幸せに生きることの出来るすばらしい場所であるように。

つい新しい絵本を買ってきてしまいました。
絵本は意外と高く無駄遣いなのかもと感じてしまいます。
でもこれは次世代のための私の投資。

児童書の中にもある大切なこと。
すばらしい世の中になるように。





八戸の町

2009-02-23 | 青森
冬の八戸へ行ってきました。
気分はまるで小旅行。
ホントは用事があったからなのですが、長い待ち時間に行きたかった所を回ってきました。



まずは八食センター。いろんな魚が並んでいます。




八戸の港。この写真を撮りながら、八戸には全てがあるのになぜみんな気が付かないのだろうと考えていました。
自然も歴史も美しい風景も。



陸奥湊駅前商店街の魚屋さん。
干物を作る風景。
子供の頃お使いに行った近所の商店街はこんな感じの所でした。



白銀浜清水観音で祈るばっちゃ。
知らない人でも祈る気持ちは同じです。
足が悪いようですが歩いてやって来ていました。



白銀の湧き水。八戸でもおいしいと評判です。
近所の人が一輪車に洗物やペットボトルを載せてやってきます。



最後は八戸の喫茶店、ピーマンさん。
マスターのお話を伺いながらおいしいコーヒーと今日の思い出を味わってきました。

ほんの数時間の旅でしたが、久しぶりに写真を撮る楽しみと素敵な風景を観る楽しみに浸ってきました。
愛用のカメラを手放してもう二十年近く。
現像に気を使う必要のないカメラは心置きなく楽しませてくれます。


恐怖の時間

2009-02-22 | 思うこと
シュノーケルで泳いでいたらサメに並ばれたことがあります。
昔南の島で、初めてだけどやってみたいという人がいて連れて行ったときです。

入り江から出ると隣にもうひとつ小さい入り江があって珊瑚がきれいな場所がありました。
500メートルほど泳がなくてはなりませんが、初心者にはエントリーの楽なポイントなのでそこへ行ったときのこと。
いろいろ説明した後ポイントまで行って珊瑚見物。そろそろ戻りましょうと並んで岸を目指して泳いでいた時、横を見ると5メートルほど離れた位置にサメが泳いでいます。

私の身長よりかなり大きく、明らかにこちらを伺っています。
水深 5メートル、岸まであと400メートル位か。
こちらは水着で手ぶら、海面を泳ぐ人間は非力です。
連れている人は泳ぐだけで精一杯の初心者。
サメに気づいたらパニックになって危険です。
サメのアタックも怖いが溺れるのも命に関わる。

幸いなことに連れの人は近眼でよく見えないようで、疲れているのかゆっくり泳いでいます。
こちらが大きく見えるように私がやや先行して静かに泳いでいました。
サメは距離を保ちながら横を泳いでいますが、体色や泳ぎ方からは興奮した様子は見られません。

陸地を踏むまでは恐怖と緊張でいっぱいでした。
「サメ ? 見なかったよ。珊瑚きれいだった。ありがとう。」
その言葉でやっと私の緊張は解けて行きました。

人間は自分だけでなく他の人も無意識に守ろうとする生き物のようです。
線路に落ちた人を助けに行って亡くなる方のニュースはよくありますが、人間は本質としてそういう側面を持っているのでしょう。
もっと人を信じてもいいのかもしれません。




小さいものに宿る命

2009-02-21 | 自然科学
青森は雪の日が続いています。
外は白一色の世界。
せめて緑色の映像でも眺めていたい。
そんなときに楽しめるのがこちら。


MossGreen
MossGreenスライドショー


人は何に楽しみを見出すのかは人それぞれです。
写真でも風景写真の好きな人、人の表情の好きな人、その場の情景の好きな人、いろいろです。
私は幼い頃から小さい物をじっと見つめるのが好きだったので、マクロ写真が好きです。

まだ3~4才の時に近所の畑の隅に一株だけあったスミレの花を観るのが大好きでした。
毎日やって来て畑の隅にじっと蹲る子供は、大人から見たら変な子だったと思います。
子供の狭い行動半径の中ではここだけにある私の宝物でした。

花びらというのは近くに寄ってよく見ると、ぽってりと肉厚でありながら桃の実のように細かい毛がびっしりと生えていて、葉脈には命が流れているよう。
子供心に生き物はどうしてこんな複雑な形を作り出すのだろうと思っていました。
そして指で触ってしまうとこの産毛は壊れてしまうというのも理解できました。

今ここに咲いている花が数日後には枯れてしまう、そんな儚さを持つスミレの花。
眺めているのが私の仕事のようでした。
深い紫色のスミレの花を。

今でも花を見るのが大好きです。
その花びらの暖かさの中に命の流れを感じることが。
生物が形づくる複雑な形態。

紹介したブログのスライドショーには、マクロレンズで撮影された植物が溢れています。
小さな植物の中にも命の力を感じます。
私と同じように、小さいものの中に命あることを感じる人がいるのでしょう。





イルカ その自由な生活空間

2009-02-20 | 思うこと
ダイビングをしていた時にイルカと出会った事がありました。
深い海底から切り立っている崖に沿って進んでいた時。
ふと沖のほうに目をやると、二頭のイルカが少し離れた所にいました。

イルカは泳ぎを止め、まるで珍しい物を見るように首を傾げてこちらを向いています。
私は嬉しくなってイルカに向かって泳ぎだしました。
海底も見えない海の中を。

上下左右どこまでも広がる海は自分のいる位置を見失わせます。
頼りになるのは手元にある水深計のみ。
水深33メートル、人間である私にとってはこれ以上の深さは危険です。
あと10数メートルのところでイルカは待っていてくれますが、私は心の中でありがとうと呟いてぼんやり見える崖へと戻っていきました。
イルカは超音波で物を見ています。
私の気持ちもイルカには見えていたかもしれない。

こんな広い海の中をイルカたちは暮らしている。
地球の三分の二に当たる広さの中を、国境もない世界を、多くの生き物と。
狭い地面の上で暮らす人間は自由だろうか。
広い海に恐怖を感じる自分は自由だろうか。

そして今でもあのイルカたちは自由に泳いでいるだろうか。