毎日幸せに in青森

ヒトはどんなときに幸せを感じるのか?
形而上の話を形而下に

ブログランキングに参加しています

人気ブログランキングへ にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 青森情報へ

世界は広い

2013-02-13 | 青森
自分が本当にやりたかったことは何だろう、と知人に聞かれて答えに困っていた先日の私。
本当にやりたい事など自分でも分からない難しい疑問です。
では私なら、何に興味があってどんなことを考えていたのかを考え続けけた数日でした。
好きな物の範囲が広くて、子供の頃の好みなど思い出すのも難しい。

都会の下町で銭湯があった子供時代、たいがい銭湯に付き物であった小さい坪庭が、とても小さい頃の私のワンダーワールドでした。
庭の無い下町育ちでしたから、銭湯にある池と組み石は、子供心に風呂上がりの涼み場として最高の場所でした。
作られた小さな滝の周りには苔が生して、その小さな苔の葉の一枚一枚をじいっと見つめていると、まるで草原のように見えてきます。
自分がそんな草原を進む小人のような者だったら、あの岩を超えて、その岩をよじ登ってと、想像の中で遊ぶのが何よりの楽しみでした。
今でも苔や小さい植物が好きなのは、その頃の感覚の名残りではないかと思います。

先日初めて「借り暮らしのアリエッティ」を観ました。
公開当時、建物のモデルになった尾上の盛美園が話題になりましたが、この映画の魅力はミニチュアの世界の魅力であって、必ずしも日本庭園や和洋折衷の古い建物の魅力ではないわけで、そのあたりのニーズの違いに気が付いた観光への結びつけが出来たのかどうか、今更ながらに気になります。
趣味の世界は奥深い物ですか、ミニチュアの世界というのもまた奥深いものだと最近知りました。
気が付いたばかりですから奥深さを語るのも憚られますが、日本に限らず世界的に、小さいものを好む趣味人は多いのだと思います。
かく言う私もその末端についてしまいました。






肉を食べるということ

2013-02-11 | 青森自然
今年の庭のお客様は常連のスズメ、シジュウカラ、ヒヨドリ、エナガの他に、スズメを狙いに来たハヤブサとキジでした。
ハヤブサは動きが早くて写真に撮るには難しいのですが、毎日のように庭に来るキジは動きのスピードが写真撮影に良く、冬の観察対象として楽しい相手です。
狩猟対象の鳥ですが、オス一羽とメス二羽の組み合わせが親子なのか兄弟なのか、はたまた違う関係なのかを想像するのも面白く、庭に来ない日には心配になるほどになりました。

ペットと家畜と野生動物への心理的な距離感が、年代や経験によって大きく変わるという事を考えています。
沖縄に住んでいた頃に、内地出身の友人がペットとしてヤギを飼いだしました。
ブラッシングをしたり散歩に連れて行ったり、当然名前を付けて可愛がっていたのですが、ある日「おまえの所のヤギはいつ食べるんだ」と言われ激怒していたと聞きました。
また別の沖縄生まれの農家の友人も家畜としてヤギを飼っていました。
それなりに大切に育てていましたが、名前は付けず家畜としての扱いをしていました。
自分で絞めて食べるのか聞いたところ、さすがにそれはできないので他所の家のヤギと交換したり、売ったりするということでした。

現代の生活の中で食べるために動物を飼うというのはほとんど体験しない事です。
動物との心理的距離感も、ペットと自分もしくは野生動物と自分の関係しか想像できなくなっています。
それしか知らなければ、食べるための家畜との心理的な関係については想像することも難しい。
それでも毎日のように何かの肉を食べている。
殺して食べる作業の心の痛みは、昔は信仰によって緩和されていたようにも思うのですが、信仰心を失くした時代には直視できなくなりつつあるのでしょうか。
天明の飢饉の記録を読むと、牛馬を食べた事の罪悪感も記述されています。
人肉食の悲惨さに比べればインパクトは小さいのですが、日本の家畜は食べるためというより労働力であったわけで、家族に準じる心理的地位を持っていました。
心理的な距離と、食べるという行為の関係性の模索はまだ答えが出ない状態です。








宮田のイチョウ

2013-02-09 | イチョウ巨木
昨年秋の、まだイチョウの黄葉には間のある頃に見学した青森市宮田のイチョウ。
上の写真が北株で、下が南株です。北株前の道を100mほど登ると南株があり、周辺は元は寺社の跡地だったらしく石段の跡が残っています。


宮田のイチョウ 北株 幹周 1470cm (全国3位)
        南株 幹周 1190cm (全国27位)

地図はこちら





節約という逆説

2013-02-08 | 家庭・経済
「貯金貧乏」という言葉を聞いたのは数年前だったと思います。
収入から貯金をするための節約を続けている、要するにシケた生活をしていることを表すようです。
そんな言葉がある事が意外だったので記憶していたのですが。

節約を書いた本は山ほどありますが、お金の使い方についての本はほとんど見かけません。
心配しなくてもお金を使うのは簡単だから、などと言われそうですが、本当は節約よりも使い方がより大切なのだと思っています。
自分のお金の使い方に、自分で深く納得できるルールを作ると、あれこれ悩むことが少なくなりますし、無駄に使ってしまう事も無くなります。
私のルールは以下の二点。

○ 自分の周辺の社会に有効に働くお金の使い方をする。
○ 必要なものを、必要な分だけ、適正価格で買う。

お金は使っても使わなくてもストレスの素になりますが、このルールを決めてからお金にまつわるストレスからは解放されました。
その頃からチラシを見なくなりました。
出費は逆に減っています。
「安く買う」事を目標にしてしまうと「必要か」という観点が抜け落ちてしまったり。
考えてみればチラシは販促活動の一環なわけで、企業のコマーシャリズムに乗る事の結果はすぐに分かるでしょう。
節約という言葉が逆に散財を促すのは興味深い現象です。