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黒石のポプラ日本一記念行事

2013-04-21 | 青森イベント
昨年12月に黒石市のポプラ2本の計測をして、日本一と二のポプラである事を確認し、環境省データベースへ登録しました。
黒石市の有志で記念イベントをするとの事で、ゴールデンウイーク中の5月5日に黒石市東公園にて歌謡ショーをするとの連絡がありました。

全国1、2位の巨木ポプラPRへ有志活動/黒石

巨木を捜し歩き、登録するという東北巨木調査研究会の活動から、このように地域の盛り上がりが生まれるのは嬉しい事です。
ちょうど桜のシーズンでもあるので、私も出かけてみようと考えています。
こうして繋がりの輪が広がっていくことが、何よりも楽しく感じるこの頃です。




超訳 びじゅつの学校

2013-04-19 | 青森文化芸術
超訳 びじゅつの学校が終了しましたね。
十和田市現代美術館でのイベントです。
私も、ほんの数度だけ参加しました。
自分の中で煮詰まっていた時期でもあり、何かからエネルギーが欲しいと思っていた時でもあって、学生時代に夜が白々と明けるまで作品制作に没頭していた時の自分の、白々と明けた夜空にため息を漏らすような、そんなパワーをもう一度思い出してみたいと思っていたからです。
あの頃、絵を描くのが好きだった。食べる事より寝る事よりも。
あのエネルギーは、いったいどこから溢れ出していたのかが、今となっては謎なのですが、若い頃は何かに没入するエネルギーというか、そんな物がありました。
大人になって自分の仕事を始めた時に、若かった自分とは決別する瞬間があって、それ以前の楽しみも同時に子供時代に置いてきたような、そんな感覚を持っています。
それは自分が生きていくための覚悟を決める瞬間だったりして、それはそれで納得できるのですが、置き去りにしてしまった夢や楽しみの事を思い出すたびに、今の自分に足りない物の存在を感じてしまって、辛くなるような気がするのです。
もう一度、あの頃の楽しみを取り戻すのは、それは悪い事じゃ無いと分かっていても、躊躇してしまいます。「いまさら」という言葉とともに。
睡眠を削って制作に没頭するほどの体力も、もう残ってはいませんし。

それでも物を作ることが好きで、出来上がった時の深いため息の感動を知っている身としては、こんなに楽しい事は他にありません。
自分の都合の付くほんの数時間を利用して、ささやかな作品を作り出す時間こそが、本当は一番大切な時間なのではないか、と思う、そんな体験をしました。
作品制作に没頭していた頃の自分と、長い時間を超えて会えたような、そんな体験でした。




野鳥の巣箱

2013-04-18 | ガーデニング
先週末に野鳥の巣箱を作ってみました。
シジュウカラが庭の植木鉢で本格的に巣作りを始めていて、毎日枯葉などを運んでいます。
風を避けるには良いのかもしれませんが、ヘビに狙われないか心配です。
庭の木に二つの巣箱を設置してみましたが、巣の場所選びの時期には遅かったかもしれません。
そのままにしておけば来年には巣として使ってくれるかも。





シジュウカラの行動

2013-04-12 | 青森自然
庭に置いてある空の植木鉢で、シジュウカラが不思議な行動をとっているのを見ました。
鳥の好きな知人によると、営巣だという事なのですが、シジュウカラがこんな場所に巣を掛けるのかどうか疑問です。
セキレイなら地面近くに営巣の事例も多いので、単純にエサ取りではないかと思っています。
鉢を持ち上げて見れば疑問は解消するのでしょうが、もしも本当に営巣だとしたら、そっとして見守りたい気持ちもあるのでそのままにしています。
まだ営巣の時期としては早く、これが巣なら不憫な気もするので、週末に巣箱を作成しようかと思っています。






山の神と日本人

2013-04-08 | 巨樹・巨木と伝承 三頭木
山の神と日本人(佐々木高明著)を読みました。
日本人はどこから来たのか、また、東北に住む人々と西日本では文化的な違いがあると感じるのだけれども、その違いはどの時代からあって、現在どんな痕跡を残しているのかという疑問に、仮説ながらも興味深い話が続く内容でした。

昨年秋に青森市で全国巨木フォーラムが開催された折、三頭木(三つ又の木)の言い伝えが東北には残っているという東北巨木調査研究会の高渕会長の話に、会場から「インドのシバ神の持つトライデント(三つ又の剣)はシバ神の象徴である」という御意見が出て、この二つの関連について述べておられました。
『山の神と日本人』では山の神の信仰観とよく似ている信仰観が、東アジア・東南アジア・南アジアにまで広がっていると焼畑農民の祭りの調査などから説き起こされています。
これほど広い範囲を持つ信仰観は、何かの宗教とともに広まったと考えるより、人類のグレート・ジャーニーの時点ですでにあった信仰観ではないかとも考えられますし、そうであるなら、ささやかに調べていた私の想像にも及ばぬ古い時代の記憶という事になってしまいます。
東北に広く分布する三頭木の言い伝えは、後からヒンドゥ教が伝わったためであると考えるより、同じ信仰観を持つ広い文化圏の中にあるためと考えた方が自然です。
しかし、同じ信仰観を持つ稲作以前の文化が、アジア大陸の東に広くあったというのも、なかなかに壮大な話とも思います。

昨年の全国巨木フォーラムでご意見を述べられた方の内容はこちら。
三頭木または三又の木
まだ定説の無い歴史についてあれこれと思いを馳せる楽しみが歴史にはあって、分からないからこそ面白い。ヒンドゥ教が日本に伝わったのかもしれないし、同じように元々あった信仰観を習合していった修験道とヒンドゥ教は似ているのかもしれない。
答えが無いからこそ、考えることが面白い。