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注連飾りについて

2012-12-30 | 思うこと
正月しめ飾りが店頭に並ぶ季節です。
年末の買い物も済ませて、しめ飾りも飾ったのですが、毎年しめ飾りを選びながら思うのは、プラスチックなど石油製品の飾りが多くて質素に稲わらと紙だけの飾りはとても少ないという事です。
しめ縄やしめ飾りを玄関に飾るのは、自宅にやって来る年神をお迎えするためで、年神の依代としての意味もあったかと思います。
年神は穀物の神とも云われていますし、依代としては稲を使っていないと御利益が無いような気もします。なのであちこち探した結果、藁と紙だけのシンプルなしめ飾りを買い求めました。
価格があまりにも安かったため、子供から嫌味を言われてしまいましたが、工業製品に年神様は来るだろうかと反論していた年の瀬でした。


今年は更新も少ない一年でしたが、このブログを読んで頂きありがとうございました。

         2012年の年の瀬に     しょー助







古川のっけ丼

2012-12-26 | 美味しいお店
今年、初めて体験した青森市の古川市場での「のっけ丼」。
どのようなシステムなのかも分からずドキドキしてしまいましたが、案内カウンターもあってチケットの使い方など詳しく説明してもらい、楽しく食事が出来ました。
攻略方法は、あわてずに市場内を一渡り見る事でしょう。
ご飯の盛られた丼を受け取ると、つい目の前にある物から乗せたくなるのですが、市場内を回るうちに食べきれないほどの量になっていたりします。
食材は逃げないので、ゆっくり見て回って楽しむのが秘訣でしょうか。

今年は何をしていただろうと考えながら、突然思い出した青森市の古川市場の「のっけ丼」でした。
楽しく食べられる食事のスタイルでしょう。
楽しさのあまり、出来上がった自分の丼写真を撮り忘れました。空腹だったためもあります。


百円ずつ切り取って渡すチケット
足りなくなったら現金でも可 千円券も有り   最初にチョイスしたイカメンチ


古川市場 のっけ丼 青森魚菜センター本店




編み直したセーター

2012-12-22 | 手仕事
今年の春にかせくり器を作って、クセを伸ばした紺色の毛糸が息子のスクールセーターへと変わりました。
古いセーターをほどいて編み直しするなど、現在ではほとんど聞かなくなりましたが、昭和の時代は毛糸も高価で衣服の補修やセーターの編み直しは一般的だったように記憶しています。
子供時代に母親がしていたのは、古いセーターをほどいた時の毛糸のクセを取るために、大鍋で沸かした熱湯にカセにした毛糸をくぐらせ、物干し竿に干していた作業でした。
記憶を頼りに作業してみましたが、習ったわけでなくとも見ているだけで多くの事を覚えているものですね。

最近の編み物でのマイブームは、首周りから編み始める編み方です。この方法だと「とじ・はぎ」が全くなくて面倒くさがりの自分にはぴったり。
減目もないので仕上がりもまあまあ綺麗にできます。
残念なのは、出来上がったセーターを当の本人に気に入ってもらえず放置されている事です。悲しいです(笑)


追記
最近この話を母にしたところ、
「そんな熱湯に入れたら毛糸が縮んじゃうよ、50~60℃くらいの温度で良いんだよ」
と言われてしまいました。
やっぱり古い記憶はあてになりませんね。
2014/12/27









今熊神社の歴史

2012-12-22 | book
非売品の地域歴史本を頼んでいて、やっと手元に届きました。
二年越しで八方手を尽くしてお願いしていたものなので、嬉しさも大きいです。
『今熊神社の歴史』と題されたこの本は、青森県六戸町にある今熊神社の歴史を、当社の神主である著者が調べて書き上げた自費発行の書籍です。
里修験の社であった今熊神社の変遷と、修験道や青森県南部地域の歴史や生業の変遷も交えながら、たいへん詳しく書かれている名著と思っています。
この本の圧巻は、江戸時代の宮司である修験者の家系をたどる部分で、特に天明の大飢饉前後の村の様子や宮司の動向など、大河ドラマを見ているような迫力があります。
歴史本としても充分に見ごたえがあり、また当時の農業や修験道という宗教のありようまで調べられていて、この本を一冊読むだけで江戸時代前後の青森県南部地方の産業まで理解できるような、そんな書籍です。

三頭木の言い伝えや、関連するであろう修験道の信仰形態などを調べるために、この本の事を聞きつけ借りて読んでみたのですが、資料というより読み物としての面白さに惹きつけられてしまいました。
山野を駆け巡って修行する山伏の姿と、里の修験とは、まったく違うイメージという事を知ったのもこの書籍からでしたし、地域に密着した信仰の形を築きあげていた民間宗教としての修験道を知ったのもこの書籍のおかげです。
私にとっては民間信仰としての修験道に興味を持つ入口だった、そんな本です。
もちろん資料としての価値も高いですし、氏子や関係者だけに配ったらしいこの本は、県の図書館の蔵書になるべき書籍と思います。
私が自分の手元に置くべく人を介して入手したのも、図書館等に置かれていなかったためでした。
著者に直接聞いたところ、六戸町図書館には寄贈しているとの事。
興味のある方は六戸町にお問い合わせください。


追記
十和田市民図書館にも蔵書があり、貸し出しもしているとのこと。

2013/4/6 追記
八戸市立図書館と青森県立図書館への寄贈を行い、現在、この二つの図書館でも閲覧・貸し出しが可能になったとの事。








価値観の多重性

2012-12-20 | 思うこと
今まで色々なボランティアをしてきましたが、いつも疑問に思うのは、サービスを提供する側と受ける側にはっきりと分かれてしまうこと。
ボランティアですから賃金を貰うわけでもなく、「もう止めます」と言ってしまえばサービスを受ける側に瞬時に変わってしまいます。この二極性に疑問もあって意地でも提供側の立場を選択していたのですが、考えてみればサービス=商品の考え方に囚われていただけとも考えられます。
物事にははっきりと白黒の付く事など少なくて、大概はグラデーションのように中間の考え方も多数存在します。
ベストな選択というモノがあるとすれば、それは極大に偏る物ではなくて、中間点のどこかの位置に、微妙なさじ加減で求められるものだとも思います。
お客の立場で少しだけ手伝うような選択も、あっていいのじゃないかと感じます。

一つのボランティア団体の推移をみると、多くの人が賛同して立ち上がる時期の後に、活動が停滞しつつ新規の参加者も少なくなる時期を過ぎ、消滅へと向かう繰り返しではないかと思うのです。
元々必要と思われた社会的ニーズが解消されれば、それは消滅してもいいのでしょう。
しかし、それまで築いてきた人間関係などの目に見えない財産までが同時に無くなってしまうのはもったいない話です。
特に人間関係のつながりは、築いていくのに時間がかかる上、必要に応じて短時間でできるものでもない。
今では大抵の市町村にボランティア応援のための部署がありますが、通常の資産とは違う価値観についての認識が少ない。
出来上がった人間関係を大切な資産として考えてみると、応用やさらなる拡大、別次元への移行などの可能性がたくさんあります。
一般的な資産とはまったく別の、もっと重要な価値を持つ物もあり、それは現在の資本主義的な価値観と重層になるように思います。
価値観の多重性は、もっと広く認識されてほしいところ。これからの日本の在り様は、別の価値観の裏付けの上に成り立つと思っているのですが。





新日本一となるポプラ巨木

2012-12-10 | 巨木
今年最後の巨木見学会で、黒石市に新たな日本一の幹周のポプラが確認されました。
上の写真の2本の巨木がそれで、計測の結果は右が647cm、左は656cmでした。
現在環境省データベースに登録されている日本一のポプラは、二戸市の福岡中学校校庭にある650cmとなっていますが、この木は福岡中学校建て替え工事のため伐採されてしまいました。
巨木が伐採されてしまうのは悲しい事ですが、入れ替わるように見つかったこの2本のポプラのおかげで明るい気持ちになれます。

黒石市では今年、浅瀬石城址の牛頭天皇社にある国内トップ10に入るポプラ「夫婦雷樹」が登録されましたし、また新しい名木が増えました。
場所は黒石市東公園の浅瀬石川河川敷側。東公園から階段を下りた横になります。
雪景色の巨木もまた美しいものでした。







今年最後の津軽巨木調査

2012-12-09 | 巨木
東北巨木調査会の忘年会旅行ということで五所川原、黒石方面の巨木を見学してきました。
前日から大荒れの天候でしたが、新雪に覆われた津軽の風景は初めての体験です。
巨木を見学するのも楽しい事ですが、なんといってもこの会は個性的な会員が多く、そんな方々との交流も魅力です。今回は遠く神奈川県から参加した会員もいて、巨木ファンの広がりを感じました。
今回見学した巨木のいくつかをご紹介します。

五所川原市 菊が丘公園のヌマスギ(日本一)
 
五所川原市 飯詰のクロマツ 
 
五所川原市 十二本ヤス(日本一)
 
黒石市 夫婦雷樹
 



料理と味の話

2012-12-05 | 料理
私の母は昔は料理が美味しくなくて、子供心に毎日の食事が苦痛だった事を覚えています。
子供を頻繁に殴る父は嫌いでしたが、ただ一つ尊敬していたのは母の料理を不味いと言わずにきちんと食べていたことでした。
ところが私が社会人になり、兄弟も家を出てからは、たまに帰る実家の食事は驚くほど美味しく変わっていきました。なぜ料理が美味しくなっていくのか姉妹で話すほど不思議ではあったのです。

わが家では今年の春に進学のため長男が家を出ていきました。
しばらくの間は料理にも気が入らず、考えてみれば長男の嗜好によって日々のメニューを組み立てていたのだと改めて思い至った訳です。
大食い番長で米好きの長男は夕食に麺類が出る事を好まなかったため、長男が好きな、ご飯とおかずというメニューの組み立てをしていました。味も同じように長男の好みの味付けをしていました。
今は食事の希望を言うのは、主に次男になっていて、麺類好きな次男の好みに合わせるようになっています。
この次男は私と味の好みが似ている所があって、毎日の調理に磨きをかけるような、そんな感想を言うのです。そして私の思う事と同じ批評をしてくれます。

子供たちが小さい頃は、味というより料理の安全性や栄養を主に考えていたように思います。
素材である野菜の組み合わせには、アブラナ科やナス科のような科ごとに、まんべんなく摂取できるようなレシピを考えていました。
たぶん味は二の次だったのでしょう。
バランスのとれた食事になるよう気を付けていますが、料理で重点を置いているのが栄養から味にシフトしているのでしょうね。
家族の味は、家族の歴史とともに少しずつ変化しているから、子供心に思った食事への不満もちょっとだけ納得できるようになりました。