毎日幸せに in青森

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今日の庭

2012-05-30 | ガーデニング
宿根草だけの庭は季節の移ろいを見せてくれますし、毎年の気候条件を表してくれます。
今年も花壇の花々が美しく咲く季節になりました。
寒かった今年の春を反映してか、植物の咲き出す季節に多少の遅れと、寒さに弱い植物の衰退は感じますが、ほぼ例年通りの花壇になっています。

成長の遅い花は何となく毎年気にかけていますが、今年の冬が寒かったために開花期にも多少のずれを感じます。
青森ではサザンカが枯れてしまったという話を聞きました。
暖地性の植物は、冬の寒い年に衰退してしまうのですが、ぎりぎりの植物というのもあって、何年か冬越しした後で枯れてしまうのは、耐寒性の限界にあったのだと思います。

花壇にぽっかり空いたスペースを嘆くより、新しく参加する植物の選定ができる楽しさを楽しみたいなと思うのです。






山の神

2012-05-24 | 巨樹・巨木と伝承 三頭木
三つ又の木の言い伝えに興味を持ち、関連本を探しては読み耽っていたなかで、読めば読むほど増えてくる疑問を簡潔に解説してくれたのがこの本でした。
ネリー・ナウマン 『山の神』
この本では山の神を、山の木や動物の所有者であり土地の所有者としています。
山の神の祭りは全国的に存在して、祭のしきたりなど記録も多く残っていますが、千年以上の長いオーダーの中で、他の宗教との融合を繰り返し、地域独自の変遷もあり多様な様相を呈しています。
共通する条件はやはり土地の神だ、というシンプルな分析は、複雑に絡まった糸をほどいて見せるような爽快感すら感じました。

『常陸国風土記』で引用の多い、行方郡の条の夜刀神(やつのかみ)に関する記述では、土地の神と人との関係が読み取れます。
口訳 常陸国風土記
昔,箭括(やはず)氏のまたちといふ人があって、郡家より西の谷の葦原を開墾して、新田を治った。その時、夜刀の神たちが群れをなして現れ出でて、左右に立ちふさがったので、田を耕すことができなかった。それを見かねたまたちは、鎧を着け矛を執り、立ち向かった。そして山の入り口の境の堀に標(しるし)の杖を立て、「ここより上の山を神の住みかとし、下の里を人の作れる田となすべく、今日から私は神司(かむづかさ)となって、子孫の代まで神を敬ひ、お祭り申し上げますので、どうか祟ったり恨んだりのなきやう。」と夜刀の神に申し上げて、社を設けて、最初の祭を行った。(俗に、蛇のことを夜刀の神といふ) (中略) 壬生連麿がこの谷を治めることになり、池の堤を築いた。そのとき、夜刀の神は、池のほとりの椎の木に登り群れて、なかなか去らなかった。

仮の姿になって現れる土地の神と土地を利用する人間との棲み分けを媒介するのが、神への祭りや物理的な境界としての石や樹木であったりする中で、境界を示す石や樹木もまた神格と認識されるようになったとも考えられる例でしょうか。
中略以降に「夜刀の神が椎の木に登り群れ」との表現があり、「神が宿る木」の具体的なイメージが湧きます。少し今までの想像とは違いますが。
所有者である神はすべての動物になれる可能性があるとも、すべての動物と同体とも理解できそうですが、人々が神性を感じた動物が神格を持つ事になるのでしょう。そんな動物の来る木が神の宿る木かもしれない。

アルビノや、並はずれて大きくなった動物などに山の神の神格を認める例は多くあります。
植物にも神格を認めるものの一つが三頭木(三つ又に分かれている木)であり、窓木(別れた枝が先で癒着し穴になった状態の木・連理)ですが、人々がその木に神を感じる条件である三つ又・窓の木の言い伝えの多くは、この木自体が神なのではなく、この木に神が宿る・来るというものです。
山の神のいる場所として木を祭ることで、神格も後から認識されてきたとも考えられます。神の座である磐座のように。
山の神は動物の姿になって現れる山の所有者、と今の時点で考えています。


アイヌ語の中にも動物や植物の神の名前があるほか、9世紀頃の東北で「連理」が見つかったとの都への報告があるなど、樹木と神の関係は古くから日本各地にあったと推察できます。
アイヌ語の場合は木自体が神であったらしく、神の来る場所とは少し違うようにも思うのです。

バチェラーWEB蝦和英辞典より
Shirampa-kamui シランパカムイ
The name given to any tree regarded as one's guardian deity and so worshipped. such a tree may be taken as the hunter's caretaker. the places where such tree's glow are held very sacred.
訳> 崇拝され名前の付けられた木は人の守り神として祭られた。そのような木は狩人の守り神でもある。この威光の木があるのは非常に神聖な場所。

Shiko-koro-kamui シココロカムイ
樹木 (土地の神聖な所有主) n. A tree. ( lit: "Divine possessor of the ground" )






参考図書  青森県史 資料編 古代1




幸せな庭

2012-05-23 | ガーデニング
庭造りには終わりが無くて、目指している理想の庭は、いつももう少し届かない。
毎年の気象条件や手入れの多寡で、庭の状態は大きく変わってきます。
植物ごとに生育速度が違う上、樹木の茂り方によっては日照時間が変わり、だんだんと衰退してしまうものや、逆に大繁茂し始めるものがあったり。
園芸好きな人との園芸談義も楽しいもので、話を聞いて何となく庭の様子を想像するのと、実際にその庭を見せて頂く時のギャップもまた楽しいのです。

山野草好きの知人の庭を見る機会があって、その庭があまりにも自分の好みと同じでびっくりしました。
本人は「手入れができなくて勝手に生えてしまう」と言っていますが、そうではない事は庭を見れば分かります。
山の林下のように、しかも本人の一番好きな状態を作り出しているこの庭は、園芸植物が整然と並ぶ庭の好きな人から見たらただの雑草だらけに見えるでしょう。
でも林の下の植物群が好きな人なら、まるで山の中にいるような素晴らしい庭です。
白い小さなクルマバソウの甘い香りの充満するこんな庭を、私も作ってみたいと思いました。


 




写真と人物

2012-05-19 | 思うこと
写真には人物が写っていると情報量が格段に増えます。
どんな場所で気温はどの位か、大きさの指標にもなりますし、時代も分かる。
できれば自然なまま、さりげなく写ってくれるのが個人的には望ましいのですが、動きの途中ですと立ち姿などが美しくならないこともあります。

写真家は美しいものが美しく見える場所を探す能力があるのか、撮影中の後姿は風景を含めて見事にまとまります。
ポーズがキマるのは、ファインダーを覗くカメラを使用しているからでしょうか。
昔、写真の撮り方の基本は三点支持と習った記憶があります。
手振れ補正機能のある今のデジカメは、ファインダー自体もなくなって、三点支持のポーズで撮影する人も見かけなくなりました。
そういえば私もいいかげんに写真を撮っていると気が付いた、そんな一枚です。







未確認カツラ巨木

2012-05-16 | 巨木
趣味や好みというのは、時に熱病のような症状を示すもので、気が付くと一本釣りのように吊り上げられてしまう魚の気持ちと同じになっています。

未確認の巨木があると聞き、万端繰り合わせて確認に行ってきました。
日本一かもしれないと言われると、見ずには居れなくなってしまい、自分の馬鹿さを笑いつつ参加してしまいます。
本当に日本一かどうかは今後の動向次第ですが、感動の体験であったことだけは確かでした。
木の前にいる人物が小さく見えるような素晴らしい巨木でした。





浅瀬石城跡 牛頭天皇社のポプラ

2012-05-15 | 巨木
神々の明治維新 -神仏分離と廃仏毀釈-には、明治時代に全国津々浦々の寺社を県庁職員などが『神社改め』として調べ、山の神・賽の神・道祖神・稲荷などの社を、祭神が山の神であれば大山津美など、地主神であれば大名持・少彦名神などと、記紀にまつわる神名へと変えていったと記されています。
羽黒修験であった戸川安章も、明治時代末に戸川安章の父が調べた山形県内の神主の経歴について書いていますが、元々修験者であった神主がほとんどで、元から神官であったのは千数百名中50人に満たなかったと記憶しています。
元が修験道であれば祭神も当然違っていたはずで、羽黒修験の多い山形県の数字ほどではなくとも、それに近い割合で主祭神も変わっているのでしょう。
現在は、神社といえば大概は記紀神話に登場する神を祭っているわけですが、小さな神社などはほとんどの場合は明治時代に祭神の変更があったと考えられます。
ですから現在の各地の神社で祭られている祭神は、明治時代に変えられたものだと思ってみる必要もあります。


黒石市の浅瀬石城址の片隅にある牛頭天皇社(ごずてんのうしゃ)は、鳥居のように二本のポプラの巨木がある神社で、社名が牛頭天皇であることが、とても興味を引きます。
黒石市内の羽黒神社の末社ということなので、元は修験道に関係する社であったと推察できますが、明治に社名を変えなかったとすれば、津軽のじょっばり精神からだったのでしょうか。
入内の石神神社でも感じた、自分たちの信仰に対する思い入れや信仰心の厚さは、ここでもまた感じました。

奇木でもあるポプラは、太い方が幹周4.7mで、国内でも10位内に入る巨木でした。
巨木の下調べに行っただけでしたが、地域の方々が集まって浅瀬石城の話や他にもある巨木の話などで大変盛り上がりました。
多くの方から歓待され、たくさんの話が聞けて、とても楽しい巨木調査でした。









極上の旅  黒石 高橋家

2012-05-14 | 青森
子供の頃、近隣には地主や農家の大きい家があって、子供同士のつながりからそういった御宅の庭で遊ぶ機会が何度かありました。
低く仕立てられた庭木は子供にとってジャングルジムの様に登りやすく、今思えばよく怒られなかったと不思議に思います。
そんな小さな頃の楽しかった記憶もあって、古い屋敷には今でもとても心惹かれます。

現地の方の案内で黒石市へ行き、国指定重要文化財である高橋家の裏庭の松を見学させていただきました。
喫茶・甘味処として営業もしている高橋家ですが、バックヤードは生活空間のため非公開になっています。
今回は案内の方もいたため、普段見る事のできない土蔵なども合わせて見学でき、旧家の魅力を存分に堪能しました。
喫茶室になっている土間の三和土や、土と藁を練って造られた土蔵の壁など、現代では屋内で使うことのない土と建築の組み合わせは古い建物の魅力のひとつなのだと感じます。

非公開といっても座敷は喫茶室からなら見学できますし、甘味などをいただきながら土間の梁などを見学するだけでも充分に旧家の魅力を味わえます。
建物の持つ歴史的時間を感じるのも贅沢な時間でしょう。





他にも古いお宅を案内していただき、古民家尽くしの贅沢な一日となりました。町の底力を感じます。







日本の伝統柄について

2012-05-11 | 手仕事
編み物というのは、ほとんど数学なのだと思います。
柄のデザインには図形の回転や反転の理解が必要ですし、何かを編むには設計図にあたる製図と編み図を作成してからとなります。
海外の編み物SNSであるRavelryを見ていて、日本の伝統柄を編み物に取り入れる新鮮さに意外と人気があると知りました。
日本の伝統柄といえば青森の刺子を見た時に、北欧のニット柄を連想する幾何学模様の美しさを感じたのですが、世界の編み物好きにも受け入れられているのですね。

伝統というのは、見慣れてしまうと古さと同一視してしまいがちですが、極東の島国の伝統は、他の国から見たらエキゾチックそのものです。
ゴッホやゴーギャンが浮世絵から刺激を受けたのは有名な話で、見慣れた古さやダサさの中には発掘するべき宝が眠っています。
ただ、古い伝統を再発見して再び脚光を浴びせるには、中興の祖ともいえる存在が欠かせなくて、芸能などでも伝統として長らく続いているものには必ずそんな存在がいます。
そして日本の、日本の地方の、伝統柄は思っていた以上に美しいものであるとも感じます。

上の画像は自分で作ってみた柄ですが、セーターにするには目眩がしそうな柄になってしまいました。


和柄アレンジのニット本







カッコソウ

2012-05-10 | ガーデニング
どこだったかの山野草展へ行った折に購入したカッコソウを花壇に植えていますが、とてもよく増えます。
調べてみたところ、全体に絨毛が多い物はシコクカッコソウらしく、それでもレッドデータではシコクカッコソウも絶滅危惧Ⅱ類に指定されています。
庭ではよく増え、少し抜いて整理しようか考えていた程でしたので、ちょっと驚いています。

先日はこんなニュースがありました。
カッコソウが国内希少野生種 採取・売買禁止 上毛新聞ニュース 
カッコソウは日本固有種で山林に生育するサクラソウ科の多年生植物。5月上旬ごろに赤紫色の花を咲かせる。園芸目的の過度な採取や盗掘などが原因で激減。昨年の環境省調査で、約800個体が自生すると推定されている。

「盗掘が多いために激減」した山野草はラン科など増えにくい種に多くありますが、増殖しやすい種類では山の樹相の変化が理由として大きいのではないかと思っています。
庭のカッコソウが植えられている場所は、春先4時間、夏は2時間程度の日照があり、このような環境を自然の中に探すなら、落葉樹林で下草の少ない場所となります。
耐陰性がそれほど強くなければ、杉林の林下などではだんだんと衰退して無くなってしまいます。
杉の植林、もしくは下草刈りをすることが無くなったため少なくなってしまった植物は多いと考えています。
元々の生育適地が少なくなったため、衰退し、さらに盗掘で追い打ちをかけている。
もっと生育に適した山の状態を作り出すことで、少なくなった花が増えだすのは、種差海岸のミチノクヤマタバコの例もありました。
松の木の間伐で開花個体が増えたと記憶しています。






植えたら危険 ビオラソロリア

2012-05-08 | ガーデニング
連休中は各地で緑化祭があって、色とりどりに咲く花は眺めているだけで楽しいのですが、花が好きだと植え場所も無いのについ買い求めてしまうのが困るわけで。

園芸店などで売られているビオラソロリア(アメリカスミレサイシン)は、花色変化もあって良く育つ植物です。
良く育ちすぎて、山野でも大繁茂して在来種を圧迫しているとも聞きます。
種苗会社では発芽率が良く、生育速度も速く花も美しいと条件がそろえば良いのでしょうが、安易に良く育つ植物を流通させてしまうと、後々困る場合も出てきます。
最近は特定外来生物として指定され栽培禁止の植物も増えました。
以前は大面積修景用に使われたオオキンケイギクも指定されています。

以前、知人から貰ったスミレがこのビオラソロリアで、スミレに詳しいネット上の友人に、とにかく全部抜くようアドバイスされてから三年。
未だに庭のあちこちに生えてきます。
つい花を買ってしまう前に、「よく増えるから」という理由で譲渡される前に、ちょっと調べた方が良いでしょう。
あまりに増えた後では処分もできなくなってしまいます。

【後悔】植えてはイケナイ!16いろ蒔いて【挫折】 / 園芸(趣味)-2ちゃんねる過去ログ倉庫