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新郷 山あそぶ山荘のキノコ採りハイキング

2012-10-21 | 青森自然
キノコの種類はさっぱり分かりません。
家の周囲や山を歩いてる時にキノコはよく見かけますが、それがどのようなキノコなのか食べられるのかなど皆目見当がつかず、ただ眺めているだけです。
キノコをたくさん採っている人も良く見かけますが、食用キノコと似ている毒キノコがあるようなので、分からない事には手を出さないようにしています。
それでも「採って楽しく食べて美味しい」といわれるキノコ採りをしてみたい願望がありまして、新郷の山あそぶ山荘でキノコ採りハイキングの集まりがあると聞き込み参加してきました。

まだ気温が高いのか、あるべき場所にない感じ。といっても私には分かりません、案内の方がそんな説明をしていたからというだけで。
参加者や案内してくれる方から食べられるキノコかどうかを聞きながらなので、言ってみれば全自動で動いてるだけとも。
それでも群生している場所には同じキノコが山ほどあって、キノコ採りとは楽しい遊びだと実感した次第です。
たくさん採っても処理に困るし、なにしろ食材として使った事が無いのでほどほどに収穫しました。
山菜は後処理が大変ではあるのですが、山の恵みを収穫する楽しみはよく分かります。
キノコを見分ける目があれば、きっと秋はワクワクする季節になるんでしょうね。

キノコが分からない代わりに花の写真も撮ってきました。
アケボノソウとマイヅルソウの赤い実です。
終わりに近い時期なので美しくは撮れないのですが、こういう山野草に会えるのも山に行く楽しみです。





カックイ群生の様子と、私の収穫。少ないです。


マイヅルソウの実と、終わりに近いアケボノソウ。





小牧野遺跡

2012-10-19 | 名所 旧跡
先日初めて小牧野遺跡を見学してきました。
ストーンサークルで県内では有名です。
実際に列石を見学できる遺跡は少なく、ストーンサークルのある遺跡のほとんどは埋め戻して保護されているのではないでしょうか。
冬の寒さで石が割れると聞いたこともあり、保存には賛同できますが、実際に見てみたいという希望もあり痛し痒しの気持ちです。
小牧野遺跡では、遺跡のある場所がどのような所であるかを見せるため周辺の樹木を伐採していて、青森市街と陸奥湾が遠望できます。
縄文中期頃までは青森市街も浅瀬であって、三内丸山遺跡から魚の骨が多数出土するように、海の幸は縄文時代の生活を支える食料の一つです。
縄文時代は今より海水面が4mほど高かったと言われていますから、広い海を見渡せたのでしょう。
祭祀の場所と云われるストーンサークルの、遠い昔に見えたであろう光景に思いを馳せられる素晴らしい遺跡であると思います。

現在も発掘は続いているのか、作業場所と小さな案内所がありました。
プレハブの案内所でありながら、遺跡の概要の分かる展示やガイドもあって、遺跡を見学する者にとっては充分だと思えます。
遺跡にはいくつかのチェーンソーアートが置かれていました。
発掘から出た盛土の丘の上に、まるでタヌキのようなオブジェがあって、近くまで行ってみてから初めて木彫りと分かるほど。
今でもタヌキの姿はよく見ますが、縄文時代は身近な野生動物だったのでしょうね。

蛇足ながら、八戸藩では1700年代後半にイワシの漁獲量が少なくなり、藩命で祈祷を行ったとの事。
時代は変われども、何か同じような感覚があるようにも思います。

参考 三内丸山遺跡の縄文海進と地名をアイヌ語で解く 




 




今年の夏にしていたこと

2012-10-17 | 手仕事
自分の画像フォルダを見ると、何をしていたかが分かる日記代わりとなっています。
色々な物を作ってみたいという気持ちはいつでもあるものの、実際に始めるまでには何をどのように作るかの計画と、道具と材料を取りそろえなければなりません。
今年の夏は暑すぎて、どこへ行く気にもならずほとんど家で過ごしていましたが、なぜか今年に限っては、何をどのように作るかがすぐに決まり、早朝の涼しい時間を利用して創作に励んでいました。
昨年買い求めたミシンは帽子作りに大活躍していますし、一束数百円の野地板とノコギリで小さなDIYも楽しい。

物作りの好きな人は、たいてい材料集めも好きなのだと思います。
不用品を見れば何に使えるか考えだしますし、使えそうな物は何となく保存しています。そして大抵は何を作るかが決まらずに何年も経ち、残念な気持ちとともに捨ててしまう事になるのです。
そんな不用品直前の材料に新しい用途を持たせると、達成感というより爽快感を感じます。





子育て雑感 決め打ち

2012-10-16 | 子供のこと
麻雀用語に「決め打ち」というのがあって、まだ手がどのように伸びるか分からないうちに、できる可能性のある役に向かって突き進んでいく打ち方を言います。
一牌引いた時に、上がれる可能性の高い手に順次作り変えていくのが王道の麻雀ですが、国士無双や四暗刻など高い点数の手が狙える場合に限って試す場合がほとんど。
確率が低く高配当が望めるのは博打性が高いとの認識から、実際の麻雀ではあまり使うことのない方法です。
ところが最近は、この「決め打ち」は子育てにおいて意外に重要なのではないかと思っています。

子供には本人の望む生き方があるはずで、親が子供の進路に口出しをするのは良くないとの考え方が一般的ですが、それでも家業継承が無いサラリーマン家庭においては、子供にとってやりたい事が何も見つからなかった場合の「でも、しか」に当たる職業は無いのが現状です。
子供にとっても、自分に向いている職業は何かと探し続けることになり、それは食べるために働くという基本からは少し外れた考え方ではないかと思うのです。
とりあえず仕事に就くという第一歩の先には無数の微調整や大転換があり、紆余曲折を乗り越えるのが大多数の人々の生き方で、社会人の入り口でそんなに悩まなくても良いのではと心配してしまいます。

子供の進路における決め打ちとは、子供の特性をよく観察したうえで、その子の興味あると思われる職業を説明して、「あなたにはこれが向いているんじゃないか」と誘導することで、子供が何を考えどのような決定をしようとそれはそれでいいのです。